「メートル法」は、いつからどのようにして世界標準の度量衡単位となったのか?

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メートル法

現代の日本では、度量衡の単位は「メートル法」が当たり前になっています。ただしゴルフでは距離の単位として今でも「ヤード表示」を使用しています。

ではこの「メートル法」は、いつからどのようにして世界標準の度量衡単位となったのでしょうか?

1.計量の歴史

日々当たり前のように使っているメートルやキログラムといった単位ですが、ほんの200年ほど前までは使っている国はほとんどなく、300年前になると存在すらしていませんでした。人類は正確な計量のために知恵を絞ってきましたが、それが現代の形に確立されたのはごく最近のことなのです。

現代の日本で主に使われているのはメートルやキログラムを基準とした単位です。しかし日本を含めた世界の歴史を見ると、実に様々な単位が基準として使われてきたことがわかります。

以下ではその中から、今でも耳にする単位の由来をいくつか紹介してみましょう。

「マイル」:古代ローマの2歩分の長さに相当する「パッスス」という単位の1,000倍を表す「マイル パッスス」が由来。ローマを中心に建設された道には1マイルごとに標石が設置されました(マイルストーン)。

「ノット」:英語の「knot(結び目)」に由来。速度系がない時代、船の速度は「28秒砂時計の砂が全て落ちる前に、等間隔のロープの結び目がいくつできたか」で計測していました。

「インチ」:男性の親指の幅(爪の付け根部分)に由来。古代ローマにおいてはフィートの12分の1の長さが1インチとされていました。日本ではジーンズのウエストの大きさなどに使われています。

「ヤード」:紀元前6,000年ごろのメソポタミアで生まれた、肘から中指の先までの長さを示す「キュビット」の2倍が由来とされています。

しかしこの他にも説があり、アングロサクソン人のウェスト周りの長さであるとする説、イングランド王ヘンリー1世が自分の鼻先から親指までの距離としたという説などもあります。イギリスやアメリカ国内、もしくはゴルフやアメリカンフットボールなどで用いられています。

「フィート」:古代ギリシア時代から現代に至るまで使用されている長さの単位。足一つ分の長さを1フィートとしたことが由来。

「ポンド」:メソポタミア地方では大麦1粒の重さが「1グレーン」と決められていました。1ポンドは7,000グレーンに等しく、パンにして焼くと1日分になる量として定められました。

「カラット」:ダイヤモンドの大きさ・重さをはかるために使う単位。語源はアラビア語のquirratもしくはギリシア語のkeration。これらはどちらも宝石の計量に使われた豆のことで、豆何粒分の重さかを示す単位がカラットになったと考えられています。

「尺」:日本古来の長さの単位。8世紀末以降〜明治政府が基準を定めるまでは、京都で使われていた竹尺、大阪で使われていた鉄尺、伊能忠敬が使った折衷尺など、全国各地で様々な基準がありました。

「貫」:大量の銭を携帯するために銭を束ねる道具「銭貫」が語源。そのため一貫は銭貫で束ねられた銭1,000枚分の重さだったと考えられています。

こうして見てみると、多くの単位が正確性に欠けることがわかります。例えばマイルやインチのように人間の体を基準に長さを決めてしまうと、長さが人によって微妙に違ってきて当たり前です。

ちなみにマイル・インチ・キュビット・ヤード・フィートのように「人間の身体部位を基準に定められた単位」を「身体尺(しんたいじゃく)」と言います。

そのため当時の統治者たちは自国で統一した基準を定めようとしましたが、日本の尺に見られるように統治者ごとに違う基準が生まれてしまい、国家間や地域間の取引ではその都度換算する手間に煩わされたり、ひどい場合はトラブルになったりしていました。

現代人の目から見れば非効率極まりない状態ですが、当時の人たちは自分たちが使っている単位を使い続け、場合によっては新しく作っていきます。

その結果、1838年にスイスが行なった調査によると、フィートだけで37種類、当時のヨーロッパの一般的な長さの単位「エル」だけで68種類、液体の体積を計量する単位だけで70種類もあるという状況に陥っていました。

極端に言えば「これは1フィートだ」と言っても「37種類あるどのフィートだ?」という話を毎回しなければならないということです。これでは正確で効率的な計量など望むべくもありません。

先進的な地域であったはずのヨーロッパでさえ、18世紀末にフランスでメートル法が誕生し、それが19世紀後半に各国に普及するまでは、このような非効率的な計量に甘んじていたのです。

2.「メートル法」とは

「メートル法」(:metric system 仏:système métrique)とは、長さの単位であるメートル(フランス語: mètre)と質量の単位であるキログラム(仏:kilogramme)を基準とする、十進法による単位系のことです。

3.「メートル法」の歴史

「メートル法」は、18世紀の末期の「フランス革命」の時期に、度量衡の単位を国際的に統一するためフランスがつくりあげた単位系です。

18世紀に入ると国際貿易が盛んになり、また地図を整える必要が生じてきました。その一方ヨーロッパ諸国の度量衡は、古代ローマから伝わった複雑な度量衡法が用いられ、しかも各国・各都市ごとに単位の大きさや名称が違い、非常に混乱していました。

そのため単位系を改革することの必要性は、学者間にはもちろん、一般社会の各層にも感じられるようになっていました。

1789年のフランス全国の総議会である「三部会」の政府に対する意見書にも、度量衡の統一があげられています。1790年にはタレーランが国民議会に、一秒打ちの振り子の長さを基準にすることを提案しています。この案は5月8日国民議会に承認され、政令により「自然の標準に準拠し、永遠に世界で用いられる新単位系」を創設する任務がパリ科学学士院に与えられました。

そこでパリ科学学士院はボルダ、ラグランジュ、ラボアジエ、チレー、コンドルセらによる委員会を設けて検討した結果、新単位系の基礎として地球子午線長の4分の1をとり、その実測を行うこと、および0℃における既知体積の蒸留水の質量の測定を行うことなどを決定しました。

この案は国民議会によって承認され、地球子午線の測量は、パリを通る線に沿ってダンケルクとバルセロナ間を実測することとし、ドランブルJean-Baptiste Joseph Delambre(1749年~1822年)とメシャンPierre François André Méchain(1744年~1804年)があたり、水の密度の測定はラボアジエがあたって作業が開始されました。

しかし測量はスペインとの関係が悪化して延引し、ラボアジエはフランス革命の恐怖政治のなか死刑に処されたことなどにより、作業が終わったのは1798年でした。

またフランス政府は、この作業を国際的なものにするためイギリスとアメリカに協力を呼びかけましたが、いずれからも拒否されました。

したがってメートル法の設定作業はフランスが単独で行ったのです。この測量作業と併行して、1740年ラカイユの測定による地球子午線長の4000万分の1を基礎にした暫定メートル法がボルダなどによってつくられ、1793年国民議会によって採択されました。

そして最初に決まったのが1メートル=地球の赤道〜北極までの距離の1,000万分の1という定義でした。

この単位系は十進法で、長さにメートル、面積にアール、体積にリットル、重量(質量)にグラム(のちにはキログラム)をとり、今日のものの原型になっています。単位の名称は各国の国民感情を考慮して、すべてギリシア語とラテン語によっています。

実測の結果に基づいた新原器は白金でつくられ1799年共和国文書保管所に納められ、この原器による法令が公布されて、メートル法は実質的に完成しました。これを記念してつくられたメダルには「すべての時代に、すべての人々に」と刻まれています。

しかしその普及は遅々として進まず、1812年にはナポレオンが旧に復して混乱を助長しましたが、1840年1月以後は他系の単位を禁止する法令によって統一は軌道に乗り、その後イタリア、オランダなど他国にも採用されるようになりました。

そこで1870年に、ナポレオン3世が国際会議を招集したところ、24か国270名が集まり、ここで新しい原器や国際度量衡局の設置に関する決議が行われ、ついで1872年のメートル法国際会議で、メートル条約の前提となる詳細な取決めが行われました。

さらに1875年3月にメートル法外交官会議が開かれ、5月にメートル条約の最終的な決定をみました。国際度量衡局にはパリ郊外セーブルのルイ14世の建てた宮殿があてられ、1875年10月国際度量衡委員会に引き渡されました。

新しい多数の原器は1888年に完成し、国際原器が決定され、各国原器が配布されました。1921年には条約が改正され、科学の発展によって必要となった度量衡以外の量の単位もメートル法に含めて扱うようになりました。

しかしこのころからメートル法もいくつかの単位系に分かれるようになり、第二次世界大戦後これらを再び統一するため、1960年「国際単位系(SI)」が決議されました。

「国際単位系(SI)」とは、「国際度量衡総会で決議されている国際的に合意された単位系」です。

SI単位系で、メートルの定義は、

1 秒の 299 792 458 分の 1 の時間に光が真空中を伝わる行程の長さ

とされています。

4.日本での「メートル法」の歴史

1900年11月10日、東京帝国大学運動会で、初めてヤード制をあらためてメートル制を採用しました。 さらに、1921年(大正10年)には同法改正で「尺貫法」を廃止しましたが、使い慣れた単位を移行することへの庶民による根強い抵抗もあり、本格的な普及は、メートル法の使用を義務付け、尺貫法の使用を法的に禁じた1951年(昭和26年)施行の計量法まで待たねばなりませんでした。日本のメートル法化完全実施1966年(昭和41年)4月1日までかかりました。

なお鉄道省は、1930年1月1日に全線でメートル法を実施しました。

5.「メートル法」を公式採用していない国

「メートル法(または国際単位系SI)」を公式採用せず、「ヤードポンド法」(*)を採用している国は、アメリカ合衆国、リベリア、ミャンマーの3か国です。

ただし、リベリアでは民間主導で「メートル法」への移行が行われ、今日では「ヤードポンド法」はほとんど使用されていません。またミャンマーは、2013年10月に、メートル法への移行を準備していると宣言しています。

(*)「ヤードポンド法」(Imperial units<イギリス>、United States customary units<アメリカ>)とは、現在アメリカ合衆国を中心に使用されている単位系です。

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