時間にまつわる面白い話(その2)。「短い時間」の単位や陸上競技等の計時方法も紹介

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陸上競技100m走

前に数字の単位や時間にまつわる話として、「数字の単位は摩訶不思議。数字の不思議なマジック・数字の大字」も紹介!」「時間にまつわる面白い話(その1)。13まである時計・天上界と人間界・ジャネーの法則」という記事を書きましたが、今回は「短い時間」に焦点を当ててご紹介します。

1.「1秒」の長さの起源

この世には、どんなに頑張っても避けられないものがあります。それは時間です。

時間という目に見えない概念をとらえるために、「分、時間、日、週、月、年、世紀、ミリ秒、マイクロ秒」などのさまざまな単位がありますが、全ての基本となっているのが「」です。

そもそも、1秒とはどれだけの長さなのでしょうか?

起源をたどると、メソポタミア文明にまでさかのぼります。紀元前1900年頃、メソポタミア南部に古バビロニア王国が成立しました。バビロニア人は、月を観測することで、「月は新月から満月までが30日周期で、それを12回繰り返すと、1年経つ」ということに気付いたのです。
これが、太陰暦の発祥です。

この、「12回繰り返すと」の部分から、12進法という考え方が生まれました。

手の指が10本あることから、現在も使われているのが、10進法です。
この10進法がよく使われていた世界において、12進法を便利に使えるようにするのは、なかなか難しいことでした。

そこで、バビロニア人は、10と12の最小公倍数の60を基本とした、60進法も使いはじめたのです。60は、1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30、60という、多くの数で割り切れる点でも、極めて便利なのです。

そして、バビロニア人は、12進法や60進法によって、次のような定義をしました。

 1日=24時間=1440分=86400秒

この考え方は約3000年経った今でも、使われています。
のちに 、暦は太陽暦が主流となり、「1秒は平均太陽日の86400分の1」と定義されました。

しかし、近世になり、地球の自転周期は一定ではないということが判明しました。

人々は、常に一定である時間を探し求めた末に、原子時計を発明し、1967年の第13回国際度量衡総会において、次のような定義が決定されました。

1秒とは、セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の
遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍に等しい時間

2.短い時間の単位

短い時間の単位としては、ヨクト秒(ys)(=10-24秒)が、秒の分量単位の中では最小ですが、実際に現代の科学で、計測することができるのは、100アト秒(*)が最小です。

(*)アト秒(as)=(10-18秒)

つまり、現在、計測することのできる最小の時間は、0.0000000000000001秒というわけです。

短い時間といえば、日本では、「刹那」や「一瞬」といった言葉が存在します。
これらの元となっているのは、仏典に書いてある時間の単位です。

(1)「刹那」について

『阿毘達磨倶舎論』(5世紀頃成立)によると、「刹那」などの短い時間の単位は次のようになります。

・牟呼栗多(むこりった):1/30日、2880秒

・臘縛(ろうばく):1/30牟呼栗多、96秒

・怛刹那(たせつな):1/60臘縛、1.6秒

・刹那(せつな):1/120怛刹那、0.013秒

(2)「一瞬」について

『摩訶僧祇律 巻十七』(408年頃成立)によると、「一瞬」などの短い時間の単位は次のようになります。

・須臾(しゅゆ):1/30日、2880秒

・羅予(らよ):1/20須臾、144秒

・弾指(たんじ):1/20羅予、7.2秒

・瞬(しゅん):1/20弾指、0.36秒

・念(ねん):1/20瞬、0.018秒

仏典によっては、異なる分類がされている場合もありますが、最もよく使われるのは、上にあげた分類です。

ちなみに、上記の単位はサンスクリット語の音訳です。(例:「牟呼栗多」は「murhutar」、「刹那」は「ksana」)

なお、「須臾」や「刹那」は塵劫記にも出てくるのですが、それは「命数法」(数に名前をつける方法)であって、時間の単位とは別物です。

上記の通り、刹那は0.013秒、一瞬は0.36秒であるということがわかりました。

ところで仏教において、「刹那生滅の道理」(せつなしょうめつのどうり)という概念が存在します。

 一日一夜をふる間に六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊ごうんともに生滅す。しかあれども、凡夫かつて覚知せず。覚知せざるがゆえに菩提心起こさず。仏法をしらず、仏法を信ぜざるものは、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。もし如来の正法眼蔵涅槃妙心しょうぼうげんぞうねはんみょうしんをあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり。

出典:『正法眼蔵』

これは、万物は刹那に生じて刹那に滅し、刹那に滅しては刹那に生じるという概念であり、人の一生というものは刹那の出来事であると考えられています。(あくまでも仏教思想)

前記の通り、現代科学では0.0000000000000001秒という極小時間を測定することができます。
人は、小さき世界を追い求めていった末、仏教最小単位・刹那をはるかに超える短い時間を見つけだしたのです。

2.陸上競技と水泳競技のタイムの計測方法

(1)陸上競技のタイムの計測方法

陸上競技の100m競走などの短距離種目は「100分の1秒単位」で表示されます。

陸上競技のタイムは、実は「赤外線」と「画像」で計測されています。

①「赤外線」による計測

コースを挟むように「投光器」と「受光器」を設置。その間に発生している赤外線のセンサーが遮られた瞬間を信号に変換し、計時機器へ送信することでタイムを計測します。

赤外線での計測値は「速報タイム」として発表され、ゴール直後に各選手が最初に掲示板を通して結果を目にすることになります。

全自動でゴールの瞬間にタイムが表示されるので、観客や選手に素早く情報を提供。特に日本記録更新の際などは、選手・観客とその場に居合わせた人すべてがすぐに結果が把握できるところが最大のメリットです。

②「画像」による計測

画像による計測

公式タイム」は1/10,000秒まで計測可能なフォトフィニッシュカメラを使用し、ルールに従って1/100秒単位で計測します。

各選手のフィニッシュ画像からトルソー(首から下の上半身)がフィニッシュラインを通過した瞬間を判定し、タイムや着順が決定します。

画像判定の画面上には風速を記録する場所もあり、+2.0m以内の状況で初めて公式記録として判定。+2.1m以上は追い風参考記録となります。

ちなみにルールが1/100秒単位の記録のため、同タイムで2人以上の選手がフィニッシュすることも十分あり得ます。この場合は「同タイム着差あり」となり、さらに細かく1/1000秒単位で着順を判定します。その距離僅か数センチ。短距離走は特にその数センチが勝負の分かれ目になることが多々あるのです。

(2)水泳競技のタイムの計測方法

水泳競技の記録も「100分の1秒単位」で表示されます。

水泳競技のタイムは、ほとんどがSEIKOの「競泳用自動審判計時装置(プリンティングタイマー)」で計測されています。

水泳競技の自動計時装置

最近の水泳競技会においては国際競技会から各地域の競技会までそのほとんどが全自動装置による電動計時によってタイムを計っています。これは視認による誤差を排除してより正確な記録の測定を行うためです。

出発合図員の長いホイッスルで選手はスタートの停止姿勢に入ります。そのあとのスタート合図音に連動して全ての計時装置が作動します。

スタート側、ターン側にはタッチ板というプレートが設置されていて水泳者がタッチすることで自動的に計時する仕組みとなっています。

ゴールまではスプリットタイムとなりゴールで最終正式タイムとなって計測されます。

そして競技処理コンピューターで処理されて電光掲示板に着順と正式タイムが公表され、印字されて中間報告として掲示板に公表されます。

最近の日本選手権などのビッグな水泳競技を見ていると1/100秒を競うレースとなっており、とても人間が計測できるタイムでは限界を感じてしまいます。

今後ますます完全自動システムによる計時の性能の向上と迅速な事後処理、そして故障時のバックアップなどが望まれています。

前に「陸上短距離の果てしないスピード競争はドーピング・鉄剤注射の弊害を招く」「果てしないスピード競争の水泳界。高速水着、薬物疑惑やドーピング違反も!」「今の世の中は過度なスピードを求め過ぎ」という記事を書きましたが、現代は日本を含めてどうも「行き過ぎたスピード競争時代」のようです。

私のような団塊世代の高齢者としては、「もう少し、世の中がゆっくりのんびり穏やかに流れてほしい」と切実に思います。