私の好きな石川啄木の短歌に「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」(『一握の砂』所収)というのがあります。
これは「友達が皆、ことごとく自分より偉く見える日だ そんな日には花を買って来て妻と親しみ、その寂しさを紛らわすことだ」という意味です。
私は若い頃、山歩きをしていた時に、厳しい環境にもかかわらず健気に可憐な花咲かせる高山植物を見て、「自分も頑張らなければ」と勇気づけられた記憶があります。
ところで、万葉集の頃は、「花」といえば「梅花」を指します。「令和」の由来となった「梅花の宴」のように、文化人たちは積極的に梅の花を愛でました。
やがて平安時代になると、花といえば「桜」を指すようになりました。平安時代の桜は、江戸時代に品種改良によって作られた葉が出る前に花が先に咲く「ソメイヨシノ(染井吉野)」ではなく、花より葉が先に出る「山桜」でした。
前に「花を詠んだ俳句。花がもたらす幸せ効果、人の心を癒し、慰め励ます力を実感!」という記事を書きましたが、今回は四季折々の花を詠んだ和歌(短歌)をいくつかご紹介したいと思います。
1.春の花の和歌(短歌)
・散る花もまた来む春は見もやせむ やがて忘れし人ぞ恋しき(菅原孝標女)
これは、「散っていく桜の花もまた春がくると見ることができるだろう。しかし死に別れたあの人とはもう会うことができない。悲しく恋しいことだ」という意味です。
・春の野に菫摘みにと来し我ぞ 野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人)
これは、「野には菫を摘みに来ただけなのに、離れがたくて一夜過ごしてしまった」という意味です。
菫は薬か染料か食料にしたようです。なお、山部赤人(やまべのあかひと)(?~736年?)は、元正・聖武期の宮廷歌人です。
・君ならで誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る(紀友則)
これは、梅の花を折って人に贈ったときに添えた歌で、「この梅の花の良さが分かるのはあなたを置いて他にない」という意味です。
「知る人ぞ知る」という慣用句はここから来たようです。
紀友則(きのとものり)(845年?~907年)は、平安時代前期の宮廷歌人です。百人一首の「久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」という歌の作者としても有名です。
・色も香も昔のこさににほへども うゑけん人のかげぞ恋しき(紀貫之)
これは、主の亡くなった家の梅の花を見て詠んだ歌で、「梅花は色も香りも昔のままなのに、植えた人にはもう会えない」という意味です。
紀貫之(きのつらゆき)(871年?~946年)は、『土佐日記』でも有名な平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人です。
・年をへて花の鏡となる水は ちりかかるをや曇るといふらむ(伊勢)
これは、水のほとりに梅の花が咲いているのを詠んだ歌で、「長い間、梅の花を映し続けて花の鏡となる水は、(水に花が)散りかかることを(鏡に塵がかかるごとく)曇るというのでしょうか」という意味です。
伊勢(872年~938年)は「伊勢姫」とも呼ばれる平安時代の歌人です。
なんとも幻想的な、鏡のような水面の穏やかさと温かさ、梅の美しさと永遠の春を閉じ込めた一首です。伊勢は恋多き女性で、宇多天皇に愛され、天皇の御子である敦慶親王に愛され、その他にも多くの貴公子と恋をしました。花と鏡、これもまた恋多き伊勢を象徴するような歌のひとつです。
・桜花ちりかひくもれ 老いらくの来むといふなる道まがふかに(在原業平)
これは、「桜の花よ曇るばかりに散れ、老いが来るという道が見えなくなるように」という意味です。
在原業平(ありわらのなりひら)(825年~880年)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人で、平城天皇の孫です。『伊勢物語』は彼をモデルにした歌物語と言われています。
2.夏の花の和歌(短歌)
・手も触れで惜しむ甲斐なく 藤の花 底に映れば浪ぞ折りける(凡河内躬恒)
これは、「手を触れると折れそうで、そっとしておいた藤の花なのに、水に映ったばかりに、波に手折られてしまった」という意味です。
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(859年?~925年?)は、平安時代中期の歌人です。百人一首の「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」という歌が有名ですね。
・月草に衣は摺らむ 朝露にぬれての後はうつろひぬとも(万葉集・古今集)
これは、「ツユクサの色に衣は摺り染めよう、朝露に濡れた後はその色が褪せてしまうとも」という意味です。恋歌としては、「ツユクサの色に衣を染める」とは、寄り添って親しくなるということで、「逢いましょう。翌朝にはあなたの気持ちがさめてしまっても」というきわどい意味になります。
「月草」とは、「露草」のことです。
3.秋の花の和歌(短歌)
・萩が花散るらむ小野の露霜に 濡れてを行かん さ夜はふくとも(古今集)
これは、「夜が更けてしまっても、萩の花散る野辺の露に濡れてゆこうか」という意味です。
・秋風の吹上に立てる白菊は 花かあらぬか浪のよするか(菅原道真)
これは、宇多天皇の御代の菊合(きくあわせ)で、浜辺を模した台に植えた菊に添えた歌で、
「秋風が吹き上げる吹上の浜に立っている白菊は、花なのかそうでないのか、あるいは波が寄せているのか」という意味です。
菅原道真(すがわらのみちざね)(845年~903年)は、平安時代中期の学者・政治家です。
・藤袴きる人無みや たちながら時雨の雨に濡らしそめつる(後撰集)
これは、「藤袴は切る人もいないので、立ったまま時雨に濡れはじめている」という意味です。
藤袴は枯れたり濡れたりすると香りが強くなります。桜餅のような匂いです。
「きる」=切る・着る、「たち」=立ち・裁ち、「そめ」=初め・染め、という掛詞です。
袴・着る・裁ち・染めという、布に関する「縁語づくし」でもあります。なお「藤袴」という花名自体が穿く袴に通じています。
4.冬の花の和歌(短歌)
・吾が屋戸(やど)の花橘のいつしかも 珠に貫(ぬ)くべくその実成りなむ(大伴家持)
これは「わが家の花橘はいつになったら玉に貫けるようなその実が成るのだろう」という意味です。
大伴家持(おおとものやかもち)(718年?~785年)は、奈良時代の公卿・歌人で、大納言・大伴旅人の子です。