「卍(まんじ)」は記号か、それとも漢字なのか?その意味と由来は何か?

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卍・右まんじ・ハーケンクロイツ

私が子供の頃は、8月23日と24日には「地蔵盆」があり、子供たちはお供え物のお下がりのお菓子や葡萄などの果物をもらうのが楽しみでした。

あちこちの町内で「地蔵盆」が盛大に行われており、お下がりを目当てに「地蔵盆」を「はしご」する子供もいたようですが、大人たちはよその町内の子供にも気前よくお下がりをあげていました。

町内の地蔵盆

この地蔵尊には「卍」のマークがありました。地蔵尊の提灯(ちょうちん)にも「卍」のマークが入っていました。

卍・地蔵尊地蔵尊と卍卍のある地蔵尊カラフルな地蔵尊ちょうちん地蔵尊ちょうちん

「卍」は、地図記号の「寺院」にも使われています。

またナチスドイツのシンボルマークの「ハーケンクロイツ(鉤十字)」も「卍」とよく似ていますね。

葛飾北斎も、70歳代以降は「卍(まんじ)」や「画狂老人(がきょうろうじん)」と号して作品を描いていました

この「卍」は単なる記号なのでしょうか?それとも漢字なのでしょうか?

1.「卍」の意味と由来

(まんじ、梵: svastika [スヴァスティカ、スワスティカ]、蔵: g.yung drung [ユンドゥン])は、「幾何学的な紋章や意匠・記号・文字」の一つですが、れっきとした「漢字」でもあります。

英語の swastika やフランス語の svastika も、サンスクリット語の「スヴァスティカ」に由来します。

世界の多くの文化や宗教でシンボルとして使用されており、ヒンドゥー教や仏教などの宗教的象徴、アメリカ州の先住民族、西洋では太陽十字からの派生などの例が存在しています。

新石器時代のインドでは、すでに卍の模様が生まれ、仏教やヒンドゥー教で頻繁に使われていました。卍はもともと吉祥を表す記号で、その形は「インドの神様の胸にある渦巻いた胸毛」に由来し、これが仏教に入って「菩薩の胸に現れた仏心」を表すとされたそうです。

そのために地蔵菩薩を祀る「地蔵尊」には「卍」のマークがあるのです。

最も古いと知られている卍は、ウクライナのメジネで発見された、旧石器時代の紀元前1万年に象牙で彫られた鳥の置物での複雑な蛇行パターンの一部です。

さらに、トロイ遺跡でも卍の模様が発見されており、古代ギリシア人や、青銅器時代に中部ヨーロッパに広がっていたケルト人、アングロ・サクソン人も卍を使用していたとみられます。

考古学分野で発見された遺物の数々から、バルト海からバルカン半島の東ヨーロッパに及ぶ広い地域において、卍の模様が古くから人々に親しまれていたことが分かっています。古代ギリシアでは、卍の模様は建築物やタイル、織物など広範囲に使われていました。

また、アメリカ原住民文化、アフリカの古代文化、ローマ文化、北欧の海賊の遺跡の中にも、卍の模様が残っています。

日本では家紋や漢字としても使用されています。また、青森県弘前市のシンボルマークとしても使用されています。

「左卍(ひだりまんじ)」(正卍、左向きまんじ)は「和の元」、「右卍(みぎまんじ)」(逆卍:卐)(右向きまんじ)は「力の元」とされています。

簡単な「卍」の模様は、長い歴史の中でさまざまな民族に親しまれてきましたが、その意味に関してもまた、さまざまな解釈がありました。

多くの場合は吉祥、幸運、神聖という意味で使われていましたが、はっきりとした意味は分かっていません。

2.「卍」という漢字の意味と由来

「卍」という漢字の部首は「十」で、総画数は6画です。

現在の日本語では「まんじ」は漢字「卍」の訓読みとされていますが、由来は漢語「卍字」または「万字」の音読みです。「卍」の音読みは「マン」「バン」です。

卍あるいは卐が変化した字が「万」であるとする説もあります。大漢和辞典には「西域では萬の數を表はすに卍を用ひる。万の字はその變形である。」とあります。中国文学者の藤堂明保(1915年~1985年)らもこの説を採用しています。一方、「新字源」などでは「万」を浮き草の象形としています。

なお珍しい苗字で「卍山」は「かずやま」あるいは「まんざん」と読みます。「卍山下」は「まんざんか」と読みます。

中国に現れた卍は、インド仏教の起源よりも古く、9千年前の新石器時代にはすでに卍の模様が存在していました。

ヨーロッパの場合と同じく、考古学分野で発見された数々の新石器時代の遺跡の中に、卍の模様が確認されています。

甘粛省と青海省の馬家窯文化遺跡、広東省の石峡文化遺跡、内モンゴルの小河沿文化遺跡、湖南省の彭頭山文化遺跡と高廟文化遺跡、浙江省の河姆渡文化遺跡、山東省の大汶口文化遺跡など、広域にわたる多くの遺跡の中に、卍の模様が残されています。

仏教の経典が中国に伝わった時、卍は「吉祥喜旋」、「吉祥海雲」などと漢訳されました。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」と訳しましたが、北魏の菩提流支(6世紀)は「十地経論」のなかで「萬字」と訳しています則天武后(武則天)の長寿2年(693年)に、「卍」は「萬」と読むことが定められました。「吉祥万徳が集まる所という意味です。この定めにより、卍は漢字として使用されることになりました。

3.「卍」が地図記号の「寺院」に使われている理由

「卍」はサンスクリット語でस्वस्तिक (スヴァスティカ)と呼ばれ、吉祥の印として仏教でも「幸せ」「めでたい」という意味があります。実は、寺院仏閣をよく見ると至る所に卍模様が彫刻されています。

1880年(明治13年)に国土地理院は、この寺院仏閣によく見られる「卍」を地図上のお寺や寺院を表すものとして初めて「卍」と表記し、現在も使われ続けています。

ただし、お寺の地図記号の「卍」は外国人観光客から寺院と理解されることは少なく「ナチスのマークに近いのでは?」という意見も聞かれました。そこで国土地理院は2016年3月に、寺院の地図記号を三重の塔のイメージの記号へと変更を提案しました。

これに対して、「寺院の地図記号として卍記号を尊重すべき」「卍記号の由来等を説明し、外国人に理解してもらうべき」という指摘が多数あり、地図記号の変更は見送られ、寺院の地図記号は現状のまま「卍」となりました。

わが国の伝統的文化を大切にし、安易に外国人に迎合・妥協をしなかったこの判断は正しかったと私は思います。

4.「ハーケンクロイツ(Hakenkreuz)」(鉤十字)の意味と由来

鉤十字・ハーケンクロイツ

19世紀末から20世紀初頭にかけて、卍は幸運のシンボルとしてヨーロッパで再び流行していました。また、20世紀初頭の米国ではボーイスカウトや男女平等、女子クラブなどの標識として使われました。第一次世界大戦の際には、米国第45軍団の腕章にも卍が採用されています。

1920年、国家社会主義のドイツ労働者党(ナチス)の党章に、「ハーケンクロイツ卍(右まんじ)」(鉤十字)が採用されました。

ナチスがこのシンボルを採用した経緯は、ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンがトロイの遺跡の中でを発見し、を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なしたためです。これに基づき、アーリアン学説のいうアーリア人の象徴として採用したものです。

この卍はアーリア人とインド・ヨーロッパ語族との関連性を示すために使用されたため、第二次世界大戦後のヨーロッパでは、卍は忌まわしいナチスのシンボルマークとして認識されています。

右卍、左卍に関わらず、これらを使用することを法律で禁止している国もあります。そのため、ハーケンクロイツとよく似ている卍の使用も忌避されています。

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