アドルフ・アイヒマンとは?ホロコースト実行者の素顔は、平凡小心な公務員!?

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アドルフ・アイヒマン

<2022/10/8追記>映画『ヒトラーのための虐殺会議』が2023年1月に日本公開予定

1100万ものユダヤ人絶滅政策を決定した「ヴァンゼー会議」。その史上最悪な会議の全貌に迫る映画『ヒトラーのための虐殺会議』が、ヴァンゼー会議が開催された日からちょうど81年後の2023年1月20日から日本で公開されます。

同作は、アドルフ・アイヒマンによって記録された会議の議事録に基づき、80年後の2022年にドイツで製作されました。その議事録は、1部のみが残されたホロコーストに関する重要文書です。

1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅で、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15人と秘書1人による会議が開かれました。

議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」はヨーロッパにおける1100万ものユダヤ人を計画的に駆除する(つまり抹殺する)ことを意味するコード名。移送、強制収容と労働、計画的殺害など、さまざまな方策を誰一人として異論を唱えることなく議決。その時間は、たったの90分でした。

日本版ポスタービジュアルは、ラインハルト・ハイドリヒを中心に、軍服やスーツ姿の出席者が整然と会議をする様子と、中央に配された「議題:1,100万のユダヤ人絶滅政策」という恐ろしい目的が目を引きます。

ヒトラーのための虐殺会議

皆さんはアドルフ・アイヒマンという名前をお聞きになったなったことがあるでしょうか?

ナチス・ドイツに関連する人物としては、総統のアドルフ・ヒトラーと、宣伝相で「プロパガンダの天才」と呼ばれたヨーゼフ・ゲッベルスが有名ですね。

しかし、「ホロコースト」(ユダヤ人の大量虐殺)に深く関わった人物として、第2次世界大戦後にイスラエルの特務機関によって逮捕され、処刑されたアドルフ・アイヒマンについてはあまり知られていません。

そこで今回はアドルフ・アイヒマンについて、わかりやすくご紹介したいと思います。

1.アドルフ・アイヒマンとは

アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann)(1906年~1962年)は、ナチス・ドイツの親衛隊隊員で、最終階級は親衛隊中佐。ユダヤ人集団虐殺(ホロコースト ) の責任者の一人です。

1932年ナチス党員となり、のちに親衛隊の幹部に昇進し、 1942年以降はアドルフ・ヒトラーのユダヤ人撲滅作戦の責任者の一人となりました。

「ゲシュタポ」(注1)のユダヤ人移送局長官で、「アウシュヴィッツ強制収容所」(注2) (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス ) へのユダヤ人大量移送に関わりました。「ホロコースト(注3)」(「ユダヤ人問題の最終的解決」 ) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担いました。

第2次世界大戦後、アメリカ軍に逮捕されましたが、1946年脱走。 1958年逃亡の末、アルゼンチンに落ち着きました。

1960年5月11日イスラエルの特務機関(モサド) により逮捕され、イスラエルに連行されました。

1961年4月より「人道に対する罪」や「戦争犯罪」の責任などを問われて裁判にかけられました。罪状は、「ユダヤ人に対する罪」(数百万人に及ぶユダヤ人虐殺)、「人道に対する罪」、「戦争犯罪」でした。

アイヒマンは、自分は祖国の法と旗、戦争の法則に従っただけであることを理由に最後まで無罪を主張しましたが、同年12月に死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処されました。

(注1)「ゲシュタポ(Gestapo)」とは、「ゲハイメ・シュターツポリツァイGeheime Staatspolizei)」の通称。ナチス・ドイツ期のプロイセン自由州警察、あるいはその後、ドイツ警察の中にあった秘密警察部門のことです。ちなみに「ゲハイメ・シュターツポリツァイ」は、秘密国家警察を意味するドイツ語です。

1939年9月、国家保安本部(警察機構を司るナチス親衛隊の組織)に組み込まれました。

(注2)「アウシュヴィッツ強制収容所」(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)とは、ドイツが第2次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)でした。

(注3)「ホロコースト」( Holocaust‎)とは、第2次世界大戦中の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)率いるドイツ国(ナチス・ドイツ)がユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺のことです。

2.「ホロコースト」を指揮した残虐性と意外な素顔

「ホロコースト」に至った経緯には、ナチスが提唱する「アーリア人種至上主義」が根底にありました。

世界を支配するに値する人種はアーリア人種のみであるという思想と、ユダヤ人の血は民族を腐らせる病原菌であるという思想です。

アイヒマンは、この「ホロコースト」(ユダヤ人の大量虐殺)計画を冷淡に実行し、また精力的に推進しました。

しかし、「アイヒマン裁判」の過程で明らかになった彼の人物像は、「真摯に職務に励む平凡小心な公務員の姿」でした。つまり、殺戮を好む性格異常者ではなかったのです。

裁判を受けるアイヒマン

ここで一つの疑問が生まれます。「特定の条件下では、誰しもが残虐な行為を行い得るのか?」という疑問です。

その答えを得るべく実施された実験が、世に言う「アイヒマン実験(アイヒマンテスト)」(ミルグラム実験)です。

3.「アイヒマン実験」の結果でわかった人間の恐ろしい心理

ミルグラムの実験

ミルグラム実験Milgram experiment)」とは、閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況の実験のことです。アイヒマン実験アイヒマンテストとも言います。

50年近くにわたって何度も再現できた社会心理学を代表する模範となる実験でもあります。

アメリカ・イェール大学の心理学者、スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)(1933年~1984年)(下の画像)が1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した、権威者の指示に従う人間の心理状況の実験です。

スタンレー・ミルグラム

東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていました。彼を追跡するイスラエル諜報機関が、クレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に、彼女に贈る花束を花屋で購入したことでした。その日付は、アイヒマンの結婚記念日と一致しました。またイスラエルにおける「アイヒマン裁判」の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む、一介の平凡で小心な公務員の姿でした。

このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起されました。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言います。

ミルグラム実験

実験の結果は、普通の平凡な市民でも、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するものでした。そのような現象を「ミルグラム効果」とも言います。

実験から約50年後の2015年、オーストラリアの制作会社が、シドニーで役者を用いてこの実験を再現した番組を発表しました。

1995年に「地下鉄サリン事件」を起こした「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃と信者たちの関係は、一般には「マインドコントロール」や「洗脳」と言われますが、この「ミルグラム効果」もあったのかもしれませんね。

また2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略を見ると、ヒトラースターリンのような独裁者とも言うべきプーチン大統領に対して文句の言えない側近やロシア軍にも「ミルグラム効果」が働いているように私は感じます。

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