近代的な美人画で有名な伊東深水とは?朝丘雪路の父親で真由子の祖父でもある!

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伊東深水

前に「鏑木清方」「上村松園」の記事を書きましたが、同じく代表的な「近代日本の美人画家」に伊東深水がいます。

そこで今回は、伊東深水についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.伊東深水とは

伊東深水(いとう しんすい)(1898年~1972年)は、大正昭和期の浮世絵師・日本画家・版画家です。本名伊東(はじめ)。娘は女優・タレント・歌手の「朝丘雪路(あさおかゆきじ)(1935年~2018年)(本名:「加藤雪会(かとうゆきえ)」)で、孫は女優・ジャズシンガーの真由子(まゆこ、本名:加藤 真由子)(1974年~  )です。

朝丘雪路朝丘雪路・津川雅彦・真由子

歌川派浮世絵の正統を継いでおり、日本画独特の柔らかな表現による美人画が有名です。人気の「美人画」以外の画題を描きたくとも、それ以外の注文が来ず、画家として困惑する時期もあったそうです。

本妻の好子をモデルに大作を数多く発表し評価を高めました。なお、朝丘雪路は、料亭「勝田」の女将であった勝田麻起子との間にできた子です。

伊東深水「爪」(1936年).png

戦後は美人画とも並行し、個人的に独自の題材で日本画を制作することも多くなりました。

次の「2.伊東深水の作品」で詳しくご紹介しますが、彼が美人画以外の「風景画」もたくさん描いていたのは驚きです。「静物画」もありますよ。

「東海道五十三次」や「名所江戸百景」で有名な歌川広重や、「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎のような「浮世絵風の現代の風景画」を目指したのかもしれません。

人気のあまり、戦後には多くの作品が複製版画として頒布されるようになりました。

彼は1898年、伊東半三郎の長男として、東京府東京市深川区深川西森下町(現東京都江東区森下一丁目)に生まれました。。1905年、深川尋常小学校(現在の江東区立深川小学校)に入学。同級生に伊東の友人となった関根正二がいました。

1907年、小学校3年で中退、以後は看板屋に奉公し住み込みで働きます。1908年、職工となり深川区深川東大工町(現江東区白河四丁目)の東京印刷株式会社の活字工になります。日本画家の中山秋湖に日本画を習った後、1911年、鏑木清方に入門し深川の水にちなむ「深水」の号を与えられました。

この頃から実業補習学校に入学し、昼の勤務後、夜学に通い、夜中に絵を描くという生活が続きました

1912年、第12回巽画会展に『のどか』が初入選。1913年、巽画会1等褒状。1914年、再興第1回院展に『桟敷の女』が入選、東京印刷を退社します。1915年、第9回文展に『十六の女』が初入選。1916年、渡辺版画店から第1作『対鏡』を発表、伝統的技法による新版画運動に参加、東京日日新聞などに挿絵を描きます。1919年、好子と結婚し長男と次男をもうけます。

1922年、平和記念東京博覧会で『指』が2等銀牌、同年中国大陸へ旅行。1927年、大井町に深水画塾を設立。1932年、人物画の再興を目指し「青々会」を設立。1935年、料亭「勝田」の女将であった勝田麻起子との間に雪会(後の朝丘雪路)をもうけました。

1939年、再び中国大陸へ旅行。1943年、召集され海軍報道班員として南方諸島へ派遣、外地で4000枚ものスケッチをしています。

太平洋戦争のさなか、東京が空襲に見舞われると1945年3月から1949年8月まで長野県小諸市に疎開しました。

1948年、『鏡』で第4回日本芸術院賞受賞。1949年、鎌倉に転居。1950年、白鳥映雪、児玉希望、奥田元宋、佐藤太清等と日月社を結成、後進の育成にあたりました。1958年、日本芸術院会員に推挙。1972年、癌により5月8日没。享年75。

墓所は品川区上大崎の隆崇院にあります。法名は画光院一誉明澄深水大居士です。

歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊東深水と続く流れを「玄冶店(げんやだな)派」(*)と言います。

(*)「玄冶店派」と「亀戸(かめいど)派」について

「玄冶店」は、江戸初期の幕府医師・岡本玄冶の屋敷跡があったことから名付けられた地名で、現在の東京と中央区日本橋人形町3丁目あたりで、歌川国芳が住んでいました。

一方、「亀戸」には歌川国貞が住んでいました。

そのため、「歌川国芳一門」のことを「玄冶店派」と呼び、「歌川国貞一門」のことを「亀戸派」と呼んだのです。

深水の門人には、徳永春穂、志村立美、白鳥映雪、岩田専太郎、立石春美、浜田台児、八幡白帆、朝倉摂、高木義夫、水戸童、大竹五洋がいます。

2.伊東深水の作品

・「夢多き頃」

夢多き頃

・「現代美人第一輯 岐阜提灯」

岐阜提灯

・「現代美人第一輯 手鏡」

現代美人第一輯 手鏡

・「現代美人第一輯 潮干狩」

現代美人第一輯 潮干狩

・「現代美人第一輯 口紅」

現代美人第一輯 口紅

・「現代美人第一輯 半襟」

現代美人第一輯 半襟

・「現代美人第一輯 初浴衣」

現代美人第一輯 初浴衣

・「現代美人第一輯 湯の香」

現代美人第一輯 湯の香

・「現代美人画第二輯 髪」

現代美人画第二輯 髪

・「現代美人画第二輯 ほたる」

現代美人画第二輯 ほたる

・「現代美人画第二輯 舞妓」

現代美人画第二輯 舞妓

・「現代美人画第二輯 こたつ」

現代美人画第二輯 こたつ

・「現代美人画第二輯 花火」

現代美人画第二輯 花火

・「吹雪」

吹雪

・「浴後」

浴後

・「秋庭」

秋庭

・「丸まげ」

丸まげ

・「仕舞 熊野」

仕舞・熊野

・「ささやき」

ささやき

・「雪の夜」

雪の夜

・「春雨」

春雨

・「鏡獅子」

鏡獅子

・「昭和美人風俗 浅春」

昭和美人風俗 浅春

・「新美人十二姿 島の女」

新美人十二姿 島の女

・「新美人十二姿 浴衣」

新美人十二姿 浴衣

・「新美人十二姿 口紅」

新美人十二姿 口紅

・「七十年前の新橋駅」

七十年前の新橋駅

・「信濃十景 つつじヶ原初夏」

信濃十景 つつじヶ原初夏

・「信濃十景 初夏の千曲川」

信濃十景 初夏の千曲川

・「信濃十景 小諸の暮春」

信濃十景・小諸の暮春

・「信濃十景 小諸路の暮雪」

信濃十景 小諸路の暮雪

・「信濃十景 野尻湖畔の秋」

信濃十景 野尻湖畔の秋

・「信濃十景 北佐久滝原」

信濃十景 北佐久滝原

・「信濃十景 浅間山麓の春」

信濃十景 浅間山麓の春

・「信濃十景 軽井沢の早春」

信濃十景 軽井沢の早春

・「信濃十景 上林の朝」

信濃十景 上林の朝

・「伊豆八景之内 早春の吉田」

伊豆八景之内 早春の吉田

・「伊豆八景之内 網代の夕映」

伊豆八景之内 網代の夕映

・「伊豆八景之内 炭焼く日野」

伊豆八景之内 炭焼く日野

・「伊豆八景之内 田子の夜雨」

伊豆八景之内 田子の夜雨

・「伊豆八景之内 朝の白浜」

伊豆八景之内 朝の白浜

・「伊豆八景之内 午後の白浜」

「伊豆八景之内 午後の白浜

・「伊豆八景之内 白浜の残照」

伊豆八景之内 白浜の残照

・「伊豆八景之内 宇久津の夕照」

伊豆八景之内 宇久津の夕照

・「明石の曙」

明石の曙

・「池上本門寺山門雪景」

池上本門寺山門雪景

・「メロンと水蜜桃」

メロンと水蜜桃

3.伊東深水の名言

・今日頑張った褒美に明日がやってくる

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