皆さんは影絵作家の藤城清治をご存知でしょうか?
名前は知らなくても、作品を見ればきっと誰でも一度は見たことがあると思います。私も母が定期的に購読していた「暮らしの手帖」に載っていた影絵で、幼い頃から親しんできました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災後、彼が現地に赴き、そこでのスケッチを元に影絵を制作する様子をNHKのドキュメンタリーで放送したのを見た記憶があります。
藤城清治は、100歳の現在も現役として活動していることも驚異的ですが、歌手のMISIAとは20年以上の交友関係があることも驚きです。
そこで今回は、藤城清治についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.藤城清治とは
藤城清治(ふじしろ せいじ)(1924年~ )は、東京都出身の画家・影絵画家・影絵劇作家で、キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られています。ホリプロとマネジメント契約を結んでいます。紫綬褒章、勲四等旭日小授章を受賞。
大学(慶応義塾大学経済学部)在学中から仙波均平に水彩画、エッチング、油絵の指導を受け、先輩の縁で、猪熊弦一郎のアトリエに出入りし、モダニズム絵画に影響を受けます。
大学時代に人形劇・影絵を知ると人形劇と影絵の劇場「ジュヌ・パントル」を結成(「ジュヌ・パントル」は後年、「木馬座」と名称変更)します。
大学卒業後は東京興行(現:東京テアトル)に入社し、宣伝部に勤務しました。
1948年、『暮しの手帖(てちょう)』誌に載せた影絵イラストレーションの成功を手始めに、1950年には初の影絵絵本『ぶどう酒びんのふしぎな旅』を出版をしています。
また、邱永漢(きゅうえいかん)作『西遊記』(1958年~60年)の挿絵などで評価を高めました。
セロファン紙やプラスチックフィルターを切り抜き、それに背後から光を当てて構成する藤城の影絵挿絵は、夢幻的な美しさにあふれ、大衆の支持を受けました。
この仕事の一方、劇団を率いての縫いぐるみ人形劇や影絵劇などの児童劇活動にも、多くの力を注いでいます。
影絵劇では『銀河鉄道の夜』をはじめとした名作を多数生み出し、日本ユネスコ協会連盟賞、厚生省児童福祉文化奨励賞、文化庁芸術祭優秀賞など多数の賞を受賞、国内外の博覧会でのロングラン公演実績も多くあります。
一方「ヘンゼルとグレーテル」などぬいぐるみ人形劇のノウハウを活かし、テレビ番組「木馬座アワー」で生み出したキャラクター「ケロヨン」は、日本武道館や大阪万博でもショーを開催するほど爆発的人気を博しました。
劇団名は、1952年に「木馬座(もくばざ)」と改称しましたが、1972年に木馬座は解散し、ふたたび「ジュヌ・パントル」としました。
1993年、山梨県に影絵美術館を開館、1999年には児童文化功労者賞を受賞しました。
藤城清治の妻(滝山千代)は2006年に82歳で他界していますが、娘(藤城亜季)が1人います。
藤城亜季は、現在栃木県那須町にある「藤城清治美術館」の館長を務めています。そのほか、日本各地で開催される藤城清治の作品展示会・ギャラリーでは作品説明やトークイベントをこなしています。
2.藤城清治とMISIAとの交友関係
歌手のMISIAが、10月12日に放送された黒柳徹子の長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系、月~金曜午後1時)に出演しました。
積極的に社会貢献活動を行っているMISIAは、アフリカの教育支援を始めて16年になりますが、そこでの経験をいかして発売した絵本を紹介しました。
その後で、藤城清治による「MISIA 星空のライヴ Across The Universe」のツアーロゴマークが完成したことを報告しました。
ロゴマークの小人はM I S I Aのこびとです
MISIAは影藤城清治と20年以上にわたる交友があるそうです。
藤城清治がリズメディアグループと一般財団法人mudefの「ウクライナ支援プロジェクト」に賛同した際には、MISIAのエシカルショップMY CHOICE MY LIFE(MCML)で、この作品をプリントしたチャリティTシャツと、提供された作品の水彩画を原画とする版画を販売したそうです。
3.藤城清治の作品
(1)東日本大震災をテーマにした作品
<陸前高田の奇跡の一本松>
<南三陸防災対策庁舎 がれきは宝石>
<福島原発ススキの里>
<復興の兆し 七ケ浜町被災地を描く>
<南三陸防災対策庁舎>
<復興の光 閖上被災地を描く>
<気仙沼 陸に上がった共徳丸>
(2)その他の作品