江戸時代の笑い話と怖い話(その6)。心中寸前で逃げ出した男

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想山著聞奇集

江戸時代は総じて平穏で、だからこそ人々は奇怪な話題を好み、書物に書き残しています。

嘉永3年(1850年)に刊行された『想山著聞奇集』という本の中に「死神(しにがみ)の付きたるといふは嘘とも言ひ難きこと」という心中寸前で逃げ出した男の話があります。

1.「想山著聞奇集」とは

「想山著聞奇集(しょうざんちょもんきしゅう)」は、江戸後期の書家・随筆作者である三好想山(みよししょうざん)(?~1850年)の主著で、動植物の奇談、神仏の霊異、天変地異など57話の奇談を集めたもので全5巻です。

三好想山は右筆も務めた名古屋藩士で、名は永孝、通称六左衛門。想山の他に起雲、玩文などと号しました。書ははじめ佐々木庸綱に学び、のち天保9年(1838年)ごろ主命を受け、京都の花山院家厚について大師流を修めました。古篆もよくして、筆道指南家の免許を得ました。文政2年(1819年)から江戸定府となり、同地で没しています。尾張地方や江戸の奇談57話を集めた『想山著聞奇集』(絵入り5冊)はその主著です。

ちなみに「著聞(ちょぶん)」とは、「世間によく知られていること」です。なお「著聞集(ちょもんじゅう)と言えば、鎌倉時代の説話集「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」の略称です。

2.『想山著聞奇集』より「死神の付きたるといふは嘘とも言ひ難きこと」

この話は、筆者である三好想山の名古屋の家に出入りする按摩の可悦(かえつ)が語った体験談で、心中寸前で逃げ出した男の話です。

まだ目が見えていた若い頃、大阪島之内(道頓堀の北一帯の花街)の女郎と馴染みになり、女から心中を持ち掛けられ、若気の至りで承知してしまいました。

ある晩、手に手を取って出かける途中、女は道頓堀にかかる戎橋のたもとの履物屋で、下駄は歩きにくいからと草履(ぞうり)を買いました。店を出ると、女は不要になった下駄を橋から無造作に投げ捨てました。

これを見て、男は「この女はいよいよ死ぬつもりなりと初めて悟りたり」。当時の道頓堀は多くの舟が常に行き交っていました。

男はぞっとして後悔しましたが、女は「懐より背中へ手を差し入れ、命がけにて下帯(ふんどし)をしっかりと握りつめいたるゆえ」、男は逃げられません。

ついに死に場所と決めた今宮の森(近松門左衛門作『今宮の心中』の舞台でもある今宮戎神社の森)に着いてしまいます。男は少しでも時を稼ごうと、首を縊(くく)る前に最期の一服をしたいからと火打ち石を取り出して打ちました。

すると、その音を聞きつけた夜番(やばん)にとがめられ、女が手を緩めたすきに、男はこれ幸いと逃げ去りました。数日後、女は遠国から来た、別の年配の客と心中を遂げたということです。

3.『想山著聞奇集』から引用した南方熊楠の随筆

粘菌の研究で有名な博物学者・生物学者の南方熊楠(みなかた くまぐす)(1867年~ 1941年)は、柳田国男(やなぎたくにお)とも親交のある民俗学者でもありました。

南方熊楠の随筆に、『想山著聞奇集』から引用したものがありますので、ご紹介します。

(1)田原藤太竜宮入りの話

想山著聞集・巻五

想山著聞奇集』五に、 蚯蚓みみず が 蜈蚣むかで になったと載せ、『和漢三才図会』に、蛇海に入って 石距てながだこ に化すとあり、播州でスクチてふ魚 海豹あざらし に化すというなど変な説だが、 うじ が蠅、 さなぎ が  となるなどより推して、無足の物がやや相似た有足の物に化ける事、 蝌蚪かえるご が足を得て蛙となる同然と心得違うたのだ。これらと同様の誤見から、無足の蛇が有足の竜に化し得、また蛇を竜の子と心得た例少なからぬ。南アフリカの 蜥蜴蛇アウロフィス など、前にも言った通り蜥蜴の足弱小に身ほとんど蛇ほど長きものを見ては誰しも蛇が蜥蜴になるものと思うだろ。

(2)十二支考 蛇に関する民俗と伝説

想山著聞奇集』に、武州で捕えた白蛇の 尾尖おさき に玉ありたりとて、図を出す。尾尖に大きな 小豆あずき 粒ほどの、全く舎利玉通りなる物、自ずから出来いた由見ゆ。十六年ほど前、和歌山なる舎弟方の倉に、大きな 黄頷蛇あおだいしょう の尾端  く切れて、その あと 硬化せるを見出したが、ざっとこの図に似いた。余り不思議でもなきを、『奇集』に玉と誇称したのだ。毎度尾を引き切れた蛇はかようになるらしく、ロンドン等の地下鉄道を徘徊する猫の尾が、短くなると同じ理窟だ。かく尾切れた蛇を神とし、福を祈る風大和に存すと聞いた。

(3)猪に関する民俗と伝説

想山著聞奇集』五に、野猪 さか り出す時は牝一疋に牡三、四十疋も付き まと うて噛み合い、互いに血を流し朱になっても平気で群れ歩く。この時は色情に目暮れて人をも一向恐れず、甚だ不敵になり居ると載す。

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