私は大人になるまで、フランス料理のフルコースなど食べたことがなく、初めて食べた時はテーブルマナーやナイフやフォークの使い方などもよく知りませんでした。
明治時代に西洋料理を初めて食べた日本人も同じようなものだったのではないかと思います。
江戸時代の貧しい庶民も、普段の食事は「一日二度」で「一汁一菜(いちじゅういっさい)」(下の画像)が普通だったようです。なお「一日三食」が定着したのは、江戸時代中期の元禄期(1688年~1704年)以降です。
このような江戸時代の庶民にとって、「御馳走」にありつける機会はめったになかったでしょうから、そのようなもてなしを受ける時は相当な戸惑いがあったものと思われます。
江戸時代の「一汁一菜」と言えば、お米のほかにおかずと汁物が一品ずつしかない質素な食事のことです。
特別な日や来客があった時には「一汁三菜」などになりました。当時の食事は「箱膳(はこぜん)」と呼ばれる一人分の小さなお膳に乗せて出され、家族用の大きな食卓は普通使われていませんでした。
今なら食べ方のマナーとして、箸の持ち方や食べる時の姿勢、さらには万遍なく箸を伸ばして食べることなどが教えられます。それと似たことを記した江戸時代の百科事典もありますが、当時は残さずに食べることが第一だったのでしょう。
1.『飛談語(とびだんご)』より「料理」
「あした、きちんとした御馳走の席に呼ばれて行くことになったんだけど、恥ずかしながら二汁七菜っていう料理なんてものは、今まで食ったことがないんだよ。どんな順番で食べたらいいんだろう?」
「そういうのを食べたことがないんだったら、教えてやるよ。まずご飯を一口食べて、汁を飲んで、またご飯を一口食べる。それからしっかり体を起こして、お膳をよく見渡して、値段の高そうなものから先に食べるといいのさ」
2.『金財布(かなさいふ)』より「献立」
「八兵衛よ。あそこに料理が一汁三菜とか、二汁五菜とか書いてあるのは何だい?」
「全く物を知らないなあ。あれは料理の番付なんだよ」
御馳走の席に招かれた時、お礼を述べたり料理をほめたりするのは、一つの礼儀でした。ただし、ほめ方があまりにも細かすぎると、かえって薄っぺらな印象になってしまって逆効果です。
この料理のほめ方の失敗にまつわる笑い話をご紹介します。
3.『露休置土産(ろきゅうおきみやげ)』より「物を誉めてほめぞこなひ」
ある人が息子にアドバイスしました。「よその家に行った時には、何を出されてもたくさんほめて食べるんだ。ただ黙々と食べてるだけなんて、やっちゃダメだよ」そう教えられて、息子は「よくわかりました」と答えました。
ある時、さっそく御馳走の席が開かれました。お膳が出てきたので「おっと、これはまた結構なお膳ですね。きっと根来(今の和歌山県内)の漆器でしょう。そしてお米は肥後(今の熊本県)米か讃岐(今の香川県)米でしょうか。味噌は京都の四条烏丸かも」などと、いちいち名物の品を並べ立ててほめました。
すると主人は、それをおかしく思って「あなた様は、細かくお気づきですね」と言うと、例の息子は自慢げな顔をして食事に添えられたお茶を飲み、「ほう、これはこのあたりの湯ではありますまい。きっと有馬の湯だと思います」