海外要人が殆ど来ず、弔問外交も期待薄!国葬から内閣・自民党葬に変更すべき!

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安倍元首相の国葬問題

<2022/9/25追記>参列予定だったカナダのトルドー首相も欠席表明

G7の現職首脳で唯一人参列予定だったカナダのトルドー首相も欠席を表明しました。

これでは「弔問外交」の大義名分も消滅し、「国葬」の意義は完全になくなりました。「過ちては改むるに憚ること勿れ」で、直ちに「内閣・自民党合同葬」に変更すべきです。

<2022/9/14追記>岸田首相の「エリザベス2世の国葬に参列せず」は当然

もともと、イギリスからの招待状は天皇皇后両陛下を想定した「元首ら2人」宛で、首相への招待状は届いていなかったようです。

招待もないのに「参列を検討」と言っていたのは滑稽で、皮肉にも岸田首相の異名「検討使」(「検討します」を繰り返すだけで実行力に欠けることによるあだ名)をよく表しています。

<2022/9/12追記>「弔問外交」をしたければエリザベス2世の国葬の時にやればよい!

9月19日には先日亡くなったエリザベス2世の国葬が行われます。天皇陛下と岸田首相が参列する予定で、主要国の現職首脳の参列も見込まれますので、本気で「弔問外交」をするつもりであれば、その時にやればよい話です。また、9月下旬の国連総会もあります。

そもそも日本で安倍元首相の国葬をしても、主要国の現職首脳はカナダのトルドー首相以外は来ませんし、彼にしても国葬が終わればさっさと帰国します。「弔問外交」の時間的余裕も事務方の準備もないので「成果はゼロ」と思った方がよいでしょう。

岸田首相は「弔問外交」と称して、どういう成果を狙っているのかさっぱりわかりません。

<2022/9/6追記>「海外要人」はほとんど来ない「弔問外交」の成功は見込めない

今からでも遅くないので「国葬」をやめて、「内閣・自民党合同葬」に変更すべきだと私は思います。最初に「ボタンの掛け違い」をした岸田首相の判断ミスは重大ですが・・・

本日、「海外から190の以上代表団が参列し、そのうち特別な接遇を要する首脳級の代表団50程度と見込まれる」との発表がありました。

しかし、9/5付けの「日刊ゲンダイDIGITAL」によると「<8月中旬締め切り>としていた参列者申し込みですが、ほとんど回答がない」とのことです。

立憲民主党など野党が9月2日に行った安倍氏の国葬に関する合同ヒアリングで、外務省から驚くような発言があった。  政府は国葬費用として、すでに今年度予算の一般予備費から2億4940万円の支出を閣議決定している。これに加えて警備費や海外からの要人対応の費用など総額いくらになる見込みなのかという野党の質問に対し、外務省の担当者はこう答えた。 「外務省が担当するのは外国から来る要人の接遇経費ですが、現時点でまだ多くの国から返事を頂いていない。そういう国に対して返事の刈り取りを進めている」 「各国・地域には8月中旬をメドに回答していただきたいと伝えています。とにかく早く教えて欲しいということで、働きかけを続けています」

岸田首相は国葬を決めた理由のひとつとして「安倍元首相に対する諸外国の弔意と敬意」を挙げている。31日の会見でも「諸外国から多数の参列希望が寄せられている。国として礼節をもって応える必要がある」と言っていた。  ところが実際は、多数の参列希望どころか、8月中旬の締め切りを大幅に過ぎて9月になっても多くの国から返事がないというのだ。

「G7で一番長く一緒だったメルケル前首相まで来ないのには驚きました。諸外国首脳は、弔意は示しても、国葬にわざわざ行く価値はないと判断したのでしょう。海外の対応はシビアで、安倍元首相が日本の地位を高めたと言うけれど、残念ながら、これが国際社会における実力ということです。あのような亡くなり方をしたこともあり、日本の警備に対する不信感もあるのかもしれません。テロ対策を考えたら、各国とも首脳の参列はなるべく避けたいはずです。統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のようなカルトとつながっていたことも、忌避される要因のひとつと考えられる。名だたる国家首脳の参列が見込めない以上、国葬で大々的に追悼して敬意を示すつもりが、かえって故人に恥をかかせることになりかねません」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)

ロシアのプーチン大統領が参列しないことは早くから明らかになっており、来てほしくない人物でもあります。しかし、目玉とされていたドイツのメルケル前首相が参列しないことが最近明らかになりましたし、現役の首脳級が果たして何人参列するのか疑問です。

G7(主要7カ国)の現職の首脳で参列するのは、カナダの「トルドー首相のみ」との情報もあります。アメリカのバイデン大統領・イギリスのジョンソン首相(後任のトラス首相については不明)・フランスのマクロン大統領・ドイツのシュルツ首相・イタリアのマッタレッラ大統領は参列しません。

参列の意向と伝えられているのは、以下の方々です。

  • アメリカ…ハリス副大統領、オバマ元大統領
  • インド…モディ首相
  • ウクライナ…シュミハリ首相
  • カナダ…トルドー首相
  • ドイツ…メルケル前首相からウルフ元大統領に変更
  • ニュージーランド…シンディ・キロ総督(国家元首の代理)
  • フランス…できるだけ高位の人物(サルコジ元大統領やオランド前大統領の可能性)

このメンバーでは、失礼ながらまともな「弔問外交」が出来るとはとても思えません。

これは、「旧統一教会の問題」で岸田政権が批判にさらされている上、「国葬反対の世論」が多いことや、安倍元首相が狙撃された事件での「警備の不備」が指摘されており、要人警備は万全なのか不安になっているのではないかと思います。

<2022/9/6追記>「国葬費用」の金額訂正の問題点と業者選定の不透明感

当初「式典経費として2.5億円」とされていましたが、本日、「警備費(8億円)海外要人接遇費(6億円)を含むと合計16.6億円になる見込み」と公表しました。

「国葬反対」の世論が多い中で、費用をできるだけ小さく見せかけようとする姑息なやり方だったと思います。

また国葬の企画・演出を、「桜を見る会」の会場設営を担った企業が受注しました。岸田首相は「適正な手続き」としていますが、入札したのはこの1社だけで、形式上は「一般競争入札」でも、実質的に「随意契約」なので不透明感は残ります。

2022年7月8日に参院選候補者の応援のために奈良市を訪れて演説していた安倍元首相が、山上徹也容疑者に狙撃されて亡くなりました。

岸田首相は7月14日に早々と「今秋に安倍元首相の国葬儀を行う」と言明しました。「国葬」を営むことを通じ「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と強調しました。

岸田首相は(1)憲政史上最長の8年8カ月にわたり、厳しい内外情勢に直面するわが国のため、首相の重責を担った(2)外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けている(3)民主主義の根幹である選挙の中、突然の蛮行で逝去され、国の内外から、幅広い追悼の意が寄せられている――ことを挙げました。

首相経験者の国葬は1967年の吉田茂元首相以来で、極めて異例です。官邸筋によると、安倍氏の国葬は、吉田元首相と同じ東京・北の丸公園の「日本武道館」が有力ということです。

これに対しては野党を中心に反対意見や異論が出ています。官邸内でも反対意見があったようです。

そこで今回は「国民の総意とは何か」を、「安倍元首相の国葬」について考えてみたいと思います。

1.「総意」とは

総意」とは、全員の一致した意見・考えのことです。

組織全体を構成する構成員全体の直接または間接による意思表示によって帰結される意思、即ち全体に共通する意思のことです。

「構成員個々人の意思の総和」であると考える場合が多いですが、ジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」において「一般意思(ヴォロンテ・ジェネラール)」(意思の総和だけでない正しい理念)という意味で用いました。

また、「組織または団体の比較多数または一定機関の意思」を総意と表現する場合もあります。

2.安倍元首相の国葬について

(1)岸田首相が性急に「国葬」を決めた背景

自民党派閥

自民党の最大派閥の「安倍派(旧細田派)」の支持を取り付けるための配慮や、安倍氏亡き後の自民党内で弱小派閥の「岸田派」出身の岸田首相としては首相の求心力低下を防ぎ党内基盤を磐石にするためのパフォーマンスだったのではないかと私は思います。

そして安倍元首相の国葬に海外の首脳が参列することで「外交的成果」を強調する狙いがあるのではないかと私は思いいます。

(2)安倍元首相を悼む気持ちは全国民の一致した総意

安倍元首相狙撃事件は、「要人警備の重大な不備の問題」や「旧統一教会の巨額寄付や霊感商法の問題」を改めて浮き彫りにしましたが、安倍元首相を悼む気持ちは与野党を問わず全国民の一致した気持ち(総意)だと私は思います。

(3)安倍元首相の功罪や評価は人によってさまざま

しかし、岸田首相も総裁選の最初に「森友問題についての国民への十分な説明が必要」(*)と言っていた(後に取り下げ)ように、安倍元首相の功罪や評価は人によってさまざまです。

(*)2021年9月2日夜のBS-TBS番組で岸田氏は「調査が十分かどうかは国民が判断する話だ。国民は足りないと言っているわけだから、さらなる説明をしないといけない国民が納得するまで努力することが大事だ」と述べ、十分な説明が必要との認識を示していました

しかしその後、森友学園問題を巡る財務省の決裁文書改ざんについて「再調査は考えていない」と必要性を否定しました。

安倍元首相や麻生氏からの牽制を見ての明かな豹変です。最初は思い付きの人気取りで言ったのかもしれませんが、明らかに主張に一貫性がなく、「竜頭蛇尾」のそしりを免れません。

憲政史上最長の通算約8年8カ月間にわたり首相を務めたこと(「歴代最長政権」であったこと)は事実で、アメリカのトランプ大統領との親密な関係や、ロシアのプーチン大統領との27回にも及ぶ会談を行ったことを「外交的成果」と評価する向きもあります。しかしトランプ大統領の言いなりになったとも言えますし、プーチン大統領とは27回も会談を重ねたにもかかわらず北方領土交渉で何の進展もなかったのも事実です。

北朝鮮による拉致被害者問題も未解決のままです。

また「アベノミクス」による「デフレからの脱却」や「一億総活躍社会」「新自由主義」についても、肯定的な評価がある一方で、失敗との批判もあります。

「森友問題」や「桜を見る会問題」も有耶無耶のままになりました。

(4)「国葬」とすべきかどうかはもう少し慎重な議論と国民の幅広い合意が必要だった

自民党総裁選

「国葬」の対象者や実施要領を明文化した法令はなく、国民の理解を広く得られるかが問われることになります。

 戦前に国葬の対象者などを規定していた勅令「国葬令」は、現行憲法制定を機に失効しました。

岸田首相は会見で、「国葬」は内閣府が所管する国の儀式で、閣議決定を根拠に実施できるとし「行政が国を代表して行える」と説明し、国費の使用についても国会の審議や採決は必要ないとの認識を示しました。

ところで岸田首相は、総裁選の時に自分の長所を「聞く力がある」と述べていましたが、安倍元首相の重石がなくなったせいか急に「独断専行」になったように見えます

「リーダーシップを発揮した」ということなのでしょうか?

全額国費を投入する「国葬」については、自民党内の意見を幅広く聞いたり、野党の意見にも耳を傾けた上で、国民にも丁寧に説明して結論を出しても遅くはなかったと私は思います。

政府内では当初、「国葬」の形式にするのは難しいとの見方がありました。戦前の国葬令は1947年に失効しました。1967年に吉田茂氏の国葬を閣議決定で行った例はあるものの、1980年に死去した大平正芳氏以降は、政府と自民党が共催する「内閣・自民党合同葬」が主流となりました。葬儀費用の全額を国費で賄えば、世論から批判が出るとの懸念もあったからです。

 このため、政府は「合同葬」か、政府と自民党のほかに財界などの国民有志も主催者に加わる「国民葬」の実施を軸に検討していました。

 一方で首相は、多大な功績をあげた安倍氏を国葬で弔いたいとの思いが強く、実現を模索しました。安倍氏の葬儀が行われた増上寺やその周辺には多数の市民が詰めかけ、首相周辺に「国葬がふさわしい」との声が多く寄せられたことも首相を後押ししました。

首相官邸は内閣法制局と法的根拠について協議し、国の儀式に関する事務を内閣府の所掌として定めた同府設置法に基づき、閣議決定で実施するのは問題ないと結論づけました。

しかし、日本維新の会の松井一郎代表は「反対ではないが、賛成する人ばかりではない」と述べました。「批判が遺族に向かないことを願っている」とも語っています。
鳩山由紀夫元首相は、自身のツイッターで安倍元首相の「国葬」に反対の意志を示しました。鳩山氏は共産党が「国葬」に反対していることを紹介し、「共産党の志位委員長は安倍元総理の国葬に対し、(1)弔意は内心の自由に関わり国家が求めてはならぬ、(2)彼の政治的評価は大きく分かれるが、国家が政治姿勢を全面的に賛美、礼賛することになる、ので反対を表明された」と綴りました。
琉球新報は、社説で「全く納得できない。憲法が保障する内心の自由に抵触する国葬には反対する」として辛辣に批判しています。
戦後、首相経験者の国葬とされるのは1967年の吉田茂元首相だけで、そもそも異例だった。岸田首相はこの例に倣い閣議決定で可能だとする。しかし、根拠法がなく定義もない。国会で説明もせずに公費が使われていいのだろうか。
吉田元首相の国葬では、当時の佐藤栄作首相が「追悼の辞」で吉田元首相の功績として、敗戦後の苦難の時代に長く首相を務めたこと、サンフランシスコ講和条約を締結して日本の独立を回復したことを挙げ「戦後史上最大の不滅の功績」とたたえた。
その「功績」の裏側で、沖縄は日本と切り離され、米統治下で人権を制限され核基地化が進められた。吉田氏が調印した日米安保条約、日米行政(地位)協定は現在も沖縄を苦しめている。
その後の首相経験者の葬儀は、内閣と自民党の合同葬が大半だ。佐藤元首相の場合は自民党と国民有志による「国民葬」だった。内閣として公費を使ってきたことにも批判があった。それなのに今、なぜ国葬なのか。
安倍元首相の功績の評価も疑問だ。在任期間の長さは功績といえるのか。米国と軍事的一体化を進めたことを米政府関係者が高く評価するのは当然だが、国内には根強い批判がある。誰もが認めるような外交成果はあるだろうか。
沖縄の立場からはさらに厳しい評価をせざるを得ない。安倍元首相は、沖縄の民意を踏みにじりながら辺野古新基地建設を力ずくで進めてきた。地位協定見直し要求も無視し続けた。「台湾有事は日本有事」などの発言は、沖縄を再び戦場にしようとするものとして批判された。
岸田首相は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」とも述べた。しかし安倍元首相は民主主義を空洞化させた。安全保障関連法などで強行採決を重ね、森友・加計問題、桜を見る会問題では、長期政権のおごり、権力の私物化と批判された。国会でうその答弁を積み重ね、公文書改ざんなどを引き起こした。数々の疑惑に口を閉ざしたままだった。
銃撃は民主主義への挑戦であり、今求められることは民主主義の精神を守ることだ。「国葬令」が失効した歴史をかみしめるべきである。

3.他の首相経験者の葬儀

(1)戦後の首相経験者

他の首相経験者では、佐藤栄作氏は内閣、自民党、国民の有志による「国民葬」、中曽根康弘氏は「内閣・自民党合同葬」が実施されました。

(2)戦前の首相経験者

戦前には国葬の規定が明文化された「国葬令」があり、首相経験者では伊藤博文山県有朋西園寺公望が「国葬」で送られました。

同令は1947年に失効したため、吉田茂元首相の「国葬」の時にはすでに法的根拠がなく、当時の佐藤栄作政権が閣議決定の上で例外として実施を決めました。

(3)国葬令とは

「国葬令」(こくそうれい、大正15年10月21日勅令第324号)は、1926年(大正15年)に制定された勅令。日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律第1条の規定により、1947年12月31日限りで失効しました。

  • 第一條 大喪儀ハ國葬トス
  • 第二條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ國葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
  • 第三條 國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ
前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣總理大臣之ヲ公告ス
  • 第四條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝シ國民喪ヲ服ス
  • 第五條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣總理大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム

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