江戸時代の笑い話と怖い話(その24)。葬礼にまつわる笑い話

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江戸時代の葬儀

葬礼を笑い話にするとは「不謹慎」とおりを受けそうですが、「土葬」はともかく「火葬」をテーマにした「葬礼」と題する笑い話がたくさんあります。

余談ですが、江戸時代は基本的に「土葬」だと思っておられる方も多いと思いますが、実は大坂(道頓堀墓所など7ヵ所は火葬専門)では多くが「火葬」で、江戸は逆に「土葬」の方が多かったそうです。江戸は人口密度が高すぎるため、火葬すると大量に発生する煙と異臭がクレームのもととなったからです。

1.『再成餅(ふたたびもち)』より「麻上下(あさかみしも)」

江戸時代の葬礼

江戸時代の葬礼の衣服は、亡くなった人の家族や親族の男性は白い麻の裃(かみしも)を着ていました。江戸の長屋では、その麻裃がよく貸し借りされていました。

あわて者が、大家(おおや)のもとに行って、「ちょっと大家さん。今日お葬式に出るんですけど、裃を貸してもらえませんか?」と頼みました。

大家が「お安いご用です。お貸ししましょう。これ、母さんや。そこの麻の裃を出して、お貸ししてあげなさい」

そこへあわて者が割り込みました。「ちょっと大家さん。夏じゃあるまいし」

この主人公は、あわて者なりに葬式なら裃を身に付けるというルールまでは知っていたのです。それでも麻の素材と言えば、風通しの良い夏着というイメージが強かったようです。

その麻裃は、もともと武士の礼装で、同じ染め色の肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)を小袖(こそで)の上に着るスタイルです。

それが江戸時代には、民間にも広まっていたのです。

2.『軽口星鉄砲(かるくちほしでっぽう)』より「ふるはかま」

次の話のテーマは、借りずに中古の袴を安値で買ってきた人の話です。

あるケチな人が古い袴を買って帰宅したところ、ちょうどお葬式の連絡が入りました。さっそく出かけてみると、また次の日も葬式があり、ほんの十日ばかりの間に五度も出かけたため、妻が不満を口にしました。

「何とまあ、怠け者の袴だこと、ウチの葬礼には一度も使わないうちに、よそで五回も出番があるなんて」

自分の家で着る機会がないのが、一番幸せなことなのに、この物語の奥さんにとっては、「せっかく買ったのに自宅で使わないのはもったいな」という感覚だったのでしょう。

3.『好文木(こうぶんぼく)』より「八朔」

旧暦の八月一日は、「八朔(はっさく)」とも言います。農家では稲の穂を摘んで神前に供え、台風シーズンが無事に乗り切れるよう祈りました。そこから八月一日と書いて「ほづみ」(=穂摘み)とも読みます。

この日、江戸の吉原では年中行事があり、遊女たちが白無垢(しろむく)の衣装を着て人前に出ていました。

八月一日、田舎の人が江戸で出会った男と江戸見物に出かけました。吉原を一回りしてから茶屋に戻った時、連れの男が「遊びに行こう」と言いました。

すると田舎の男が「それもいいけど、まあ、お葬式を見てからにしよう」と答えたので、連れは驚きました。「葬式なんて、どこ?それって何のこと?」「そんなこと聞くなよ。みんな白無垢を着てるじゃないか」

この話でもわかる通り、当時は結婚式の花嫁だけでなく、葬式の時にも、身内の女性たちが白無垢を着ていました。黒衣の喪服というスタイルは、明治時代になってから広まったものです。

4.『当世口まね笑(とうせいくちまねわらい)』より「しはきものゝ事」

葬礼には着る物のほかにみ、決まり事やタブーがいろいろとありました。たとえば、履物については、「藁の草履」をはき、火屋(=火葬場)までの道で転ぶことを忌み嫌いました。

草履は帰りに道端に脱ぎ捨て、また帰りの道は行きの道と同じルートを避けました。

帰宅して戸口に入ったら、足を洗う時に手を使わず、足と足をこすり合わせるようにして洗いました。

ケチな人が葬式に参列するたびごとに、丁稚らに言いつけて、参列者たちが脱ぎ捨てた草履を拾い集めに行かせていました。

その町に慣れ住んでいた貧乏な男がいて、その話をよく知っていて、彼らに取られる前に、どれもこれも拾い集めていました。

丁稚がそれを見て旦那様に報告したところ、出し抜かれたと思い、顔を真っ赤にして怒りました。

「全く心の薄汚い貧乏人だよなあ。そこまでして拾ったって、ナンマイだと思っているんだ?」

オチの「ナンマイだ」は、「草履の何枚」と「念仏の南無阿弥陀仏がくずれたなんまいだ」を掛けているのです。

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