前に「死語になった残しておきたい美しい日本語」という記事を書きましたが、このほかに「二十四節気」や「七十二候」にも季節を表す美しい言葉があります。
それ以外にもまだある日本の四季を表す美しい言葉のうち、今回は「秋」の季節感を表す言葉をご紹介したいと思います。
・星合いの空(ほしあいのそら)
星合いの空とは、七夕の日の空のことを指します。天の川が満天の星をたたえて輝いているさまを思い浮かべることができる言葉です。
なお、「星合い(星合)」は陰暦7月7日の夜、牽牛 (けんぎゅう) ・織女の二星が会うことで、「秋」の季語です。
・待宵(まつよい)
待宵は、もともと女性が恋人(夫)が来るのを待つこと、あるいは、そうした宵のことをいいました。『万葉集」や『源氏物語』などの古典に見られるように、古くは男性が女性のもとに通う「通い婚」「妻問婚」が行われていたためです。
やがて通い婚の習慣がなくなり、時代も移り変わると、待宵は「翌日の十五夜の月を待つ宵」の意味で十五夜の前夜(陰暦8月14日の夜)を指すようになり、その日の夜空に眺めることができる月を「小望月(こもちづき)」と呼びます。クリスマスよりもクリスマス・イブのほうが盛り上がるのと同じ感覚でしょうか。
ところで、待宵草(月見草)といえば夏の花。夕方になると花開き、夜間咲き続けて翌朝にしぼむ花を、待宵の女性にたとえてこの名がつきました。
・落とし水(おとしみず)
稲が実ると、刈り入れ前に田を干すため、畦を切ったり、落ち口を開けて、田の水を溜め池や用水路などへ流します。これを落とし水といいます。
夏の炎天下でぬるま湯のようになっていた田の水も、秋になると、大気と同様に冷たく澄んでいくようです。
稲と同様に、水の中で育つ植物に沢わさびがあります。沢わさびは、新鮮な湧き水の流れる浅瀬で栽培されます。稲田の水は、わさび田と違って溜まり水ですが、この落とし水ということばには、いかにも「水澄む」秋らしい清涼な雰囲気があります。
落とし水の後は、ひと月ほどかけて田が乾くのを待ち、いよいよ刈り入れに入ります。
・穂波(ほなみ)
穂波は、稲や薄などの穂が、風にそよぐさまを波にたとえた言葉です。秋晴れの高空の下、刈り入れを待つばかりのたわわな穂がざわざわと風に揺れて立てる音を、まざまざと耳にするような気がします。
穂波は、穂のある植物が風に揺れるさまをいうので、6月に実りのときを迎える麦の穂にもいえる言葉です。しかし、実際には、爽籟(そうらい)といわれる、秋風が起こす爽やかな風の響きを言外に含んで、秋の季節感をもたらすことばとして認識されているようです。
この時期、田には稲を狙った稲雀が群がります。穂波は、熟した実を奪われまいと稲穂が抵抗するようにも見えます。
女優の鈴木保奈美さん(本名も同じ)の名前も、この「穂波」にちなんで命名されたのかもしれませんね。
・栞(しおり)
栞は、もともと「枝折」と書き、山道などで帰り道を知るために木の枝を折って道しるべにすることを意味しました。広い意味で、道を歩くための目印となる物をいうようになり、そこから転じて、読みかけの本のページにはさんで用いる目印や、「旅のしおり」などのように、初心者や不案内な人のための手引書などのこともいうようになりました。
この季節なら、美しい紅葉の落ち葉を栞にするのも素敵ですね。
落ち葉を押し花にしてみる要領は次のとおりです。
①葉を重ならないように新聞紙のあいだにはさんで、さらに段ボール紙ではさみます。
②辞典などの重さのある本を重しにして置いておきます。
③ときどき新聞紙を取り替え、すっかり水分が抜けたら完成です。
好みの紙に貼ったり、和紙にすき込んだり、ラミネート加工をしたりして栞にして使いましょう。葉をそのまま便菱にはさんで同封すれば、粋な季節のお便りになりますよ。
女性の名前にも、「栞」のほか「志桜里」「詩織」という漢字をあてたものもありますね。
・不知火(しらぬい)
不知火は、旧暦の8月1日前後、すなわち9月の初めころに、九州の八代海や有明海で見られる唇気楼の一種です。
夜更けから明け方にかけて、海上に数キロにわたって無数の火が現われるといいます。近づくと逃げていくこの怪火を、昔の人々は妖怪「不知火」の仕業と考えたそうです。
「糸遊(いとゆう)」や「海市(かいし)」と同様、光の屈折で漁船の漁火がそのように見えるのではないかといわれています。海の神様といわれる竜神にあやかって、「竜神の灯明」(竜灯)ともいわれます。
現在では、夜の海上にも真闇がなくなり、この不知火を見ることは難しくなっているそうです。
・秋麗(あきうらら)
「しゅうれい」とも読みます。気候が良く、空が明るくて気持ちの良いさまを表した言葉です。晴れた秋の日のうららかな空の情景や、美しく澄み切った青空のイメージが浮かぶ人も多いでしょう。
・菊日和(きくびより)
菊は秋に咲く花で、菊日和とは菊を見物するのに一番良い日であることをあらわす言葉です。菊の香がよく晴れ渡ってしみ通るように澄んだ秋の日のことで、「秋」の季語です。
・虫時雨(むししぐれ)
野原に一歩踏み出すと虫の声があちこちから聞こえて、虫の声の洪水を浴びているような様子を表現した「秋」の季語です。
・夜長(よなが)
夜が長いことで、多くは秋の夜をいいます。「長き夜」「長夜(ちょうや)」ともいいます。
終夜コンビニエンスストアの灯りが輝いているような今の世の中では、間が悪いほど手持ち無沙汰な秋の夜長のイメージは、少しつかみにくいですね。しいていえば、寝つけない夜、かすかな家鳴りと、家人の寝息やいびきが聞こえてくる夜更けに、一人でしんと天井を見上げているときの感じに近いでしょうか。
「秋深き隣は何をする人ぞ」と詠んだ松尾芭蕉は、秋の夜長、旅先で病気になって寝込んでいる折でもあり、いよいよ寂しさが増して、隣人が時折立てる小さな物音を、息を潜めて聞いていたのでしょう。
・露時雨(つゆしぐれ)
秋の野原には草露がたくさん降りてきています。その野原を歩くと、露で足元がぐっしょりと濡れてしまう、そんな様子を表現した言葉で、「秋」の季語です。
・桐一葉(きりひとは)
桐の葉が一枚落ちる光景を目にし、秋の訪れを感じること、という意味を表します。
「一葉(いちよう)」落ちて天下の秋を知る」という言葉があります。落葉の早い青桐の葉が一枚落ちるのを見て秋の訪れを察するように、わずかな前兆を見て、その後に起こるであろう大事をいち早く察知することを言います。また、わずかな前兆から衰亡を予知するたとえとしても使います。『淮南子・説山訓』に「一葉の落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知る」とあるのに基づく言葉です。「一葉秋を知る」「一葉落ちて天下の秋」とも。
「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という言い方は、明治時代に坪内逍遥が戯曲『桐一葉』を著してから広く知られることになったようです。
高浜虚子にも「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」という俳句もあります。
この言葉を使用する具体的な例としては、例えば「桐一葉とは言いますが、秋も深まって参りました。」と使用すると良いでしょう。秋が少しずつ深まっていく様子を上手く表現できます。
・冬隣(ふゆどなり)
冬がすぐそこまで来ている様子を表しています。晩秋を表した季語です。昔の人たちにとって、冬は寒さが厳しく作物も育たない「春を待つ」季節。安心して冬を迎えるための支度をする、覚悟が感じられる言葉です。
朝はひんやりとする日が多くなり、だんだんと冬の気配が感じられる晩秋。紅葉し鮮やかな色に染まっていた葉は枯れ落ちていき、山や木々も冬の支度を始めます。人も動物も植物も、寒い冬がやって来る前には準備が必要です。そんな「冬の足音」を思わせる、美しい日本語です。