1.「季節感の明確な動物たち」を詠んだ俳句
季節ごとに身近で目立つ動物たちは俳句によく詠まれています。
・閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声(松尾芭蕉)
・やれ打つな 蠅が手をする 足をする(小林一茶)
等の有名な俳句は誰でも知っています。
これらの句に出てくる昆虫は、季節感がはっきりしています。
「蝉」は「空蝉(うつせみ)」(蝉の抜け殻)も含めて「夏」の季語です。
「蠅」も「夏」の季語です。
2.「季節感の不明確な動物たち」を俳句ではどう詠むのか?
それでは雀や猫、犬など年中身近に見かける「季節感の明確でない動物たち」を俳句ではどう詠むのでしょうか?
俳句では、このような動物の名前の上か下に別の言葉を加えて季節感を表すようにしています。
ただし、犬は決まった季節に発情期や目立った変化のようなものがありませんので、季節と関連付けることが難しく、猫のように季語になっていません。
(1)雀の子
・雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る(小林一茶)
という有名な俳句があります。
「雀の子」が「春」の季語となります。それは、雀は3月から4月に繁殖・卵を産み、ヒナとなるからです。
基本的には雀は年に2、3回ほど繁殖をしますが、日本では「初物=縁起が良い」という風潮があるため、俳句にもこちらの考えが該当し、年の初めての繁殖である「春」が季語となるのです。
ちなみにこの句は「雀の子よ。早くその場所をどかないと馬に踏みつぶされてしまうよ」という意味ですが、「雀の子よ。早くその場所をどかないと竹馬で遊ぶ子供たちにつぶされてしまうよ」という解釈もあります。後者の方が一茶らしい気もしますが、「竹馬」は「冬」の季語で、季節の異なる「季重(きがさ)なり」となるため、一般的な解釈ではありません。
(2)炬燵(こたつ)猫・竈(かまど)猫・へっつい猫・灰猫
・薄目あけ 人嫌ひなり 炬燵猫(松本たかし)
「薄目を開けて、人に寄って欲しくないように炬燵(こたつ)の上で丸くなっている猫」の様子を書いた俳句です。確かに猫って薄目を開けてこちらを見ているときがありますよね。せっかくまどろんでいるのに邪魔されたくないのかもしれませんね。
・何もかも 知ってをるなり 竈猫(冨安風生)
竈猫は、火をおとしたあとの、まだ温かい竈のなかで、灰にまみれて暖をとっている猫のことです。この句の猫は、作者の飼い猫でしょう。家の竈のなかで、ふわりと丸まって、家長である作者の知っていることはもちろん、知らないことや、知りたいこと、はては、知られたくないことまで、すべて、ちゃんと見聞きして、知らんぷりで寝ているのです。
風生のこの一句によって「竈猫」は冬の季題として定着しました。
・しろたへの 鞠のごとくに 竈猫(飯田蛇笏)
しろたへのとは、「白妙の」という意味で、コウゾなどの木の皮の繊維で織られた白い布を表します。つまり、竈の火のぬくもりを求めて、鞠のように丸くなる白猫のことを指したものです。
(3)猫の恋・恋猫・うかれ猫・猫の妻・春の猫
・声立てぬ 時が別れぞ 猫の恋(加賀千代女)
こちらの俳句の季語に入っている「猫の恋」は、猫たちの声が聞こえなくなったら、猫の恋(春)にも別れが訪れるという俳句です。
どのような別れなのかは聞き手の想像によって変わってきますが、想像が広がる非常に奥深い一句と言えます。
・麦飯に やつるる恋か 猫の妻(松尾芭蕉)
これは、松尾芭蕉が猫の妻(メス猫)を登場人物として詠んだ俳句とされています。
普段、麦飯しか食べられない痩せたメス猫が、恋の季節になると食欲を失い、更にやつれてしまった…あのメス猫は。と言う意味で、松尾芭蕉は恋にやつれるメス猫の健気さに愛情を込めて詠んだとされる一句です。
・猫の恋 止むとき閨(ねや)の 朧月(松尾芭蕉)
朧月と猫の恋で春の夜を感じさせ、閨(寝室)で眠る前という情景を思わせる、松尾芭蕉の巧みな俳句です。
この俳句の解釈では、先ほどまで猫の恋する、騒々しい鳴き声が聞こえていたが、今は静寂が戻ってきた。ふと見れば、春の短夜の朧月が部屋に差し込んでいる。
猫に刺激されたわけでもないが、何となく私も人恋しくなる春の夜です。
というように解釈されており、この短い文章の中で松尾芭蕉の心境と、風景を組み込んだ奥深い一句と言えます。
・ふみ分けて 雪にまよふや 猫の恋(加賀千代女)
季語である雪と、猫の恋が混ざる加賀千代女の俳句です。
もしかすると、春が訪れようとする冬の終わりとも捉えられる俳句ですね。
また、冷たい雪をふみ分けようと…どこを歩こうと悩む猫の姿を、恋に迷う姿を重ねて詠んだ非常に女性らしい繊細な一句です。
・またうどな 犬ふみつけて 猫の恋(松尾芭蕉)
「またうどな」という言葉の意味は、真面目や正直と言った意味がありますが、扱われる場面によっては、真面目すぎる性格や愚かなという意味をほのめかします。
この俳句の解釈では、恋に狂った猫が、ぼーっとして横になっている犬をふみつけて、闇雲に走っていったよ。と解釈されており、松尾芭蕉が猫と犬の性格の対比の面白さを詠んだものとされています。
(3)「犬」を詠んだ俳句
犬は季語ではありませんが、身近で親しみのある動物なので、ほかの季語を入れて俳句にたくさん詠まれています。
・初蝶の 一夜寝にけり 犬の椀(小林一茶)
「初蝶」とは、春になって初めて見る蝶のことです。ワンちゃんのごはん皿の中で蝶々が一休みしていたのを見つけて、静かに見つめながら春の訪れを感じたのでしょうか。
・うれしけに 犬の走るや 麦の秋(正岡子規)
秋とありますが、「麦の秋」は夏の季語です。楽しそうに麦畑を走り回って遊ぶ犬の姿を想像できます。
・犬抱けば 犬の眼にある 夏の雲(高柳重信)
真っ青な夏の空に浮かぶ入道雲がワンコの瞳に映っているところを想像しますね。ダイナミックで鮮やかな色を想像できるところが夏らしい俳句です。
・曳かる犬 うれしくてうれしくて 道の秋(富安風生)
「曳かる犬」とは、リードで繋がれてお散歩している犬のことでしょう。「うれしくてうれしくて」が10文字なので字余りですが、7文字の型にはまらないほど溢れる「お散歩が楽しい!」という犬の喜びを感じます。
・蟷螂に 負けて吼立つ 子犬かな(村上鬼城)
蟷螂(とうろう)とはカマキリのことです。子犬がカマキリを怖がってキャンキャンと鳴いていて、それを見た人たちが笑っているような、なんともほほえましい情景を想像します。
・七夕や 犬も見あぐる 天の川(正岡子規)
満天の星空、壮大な天の川を見上げた犬の目は、きっと星が映ってキラキラしていたのでしょう。七夕のロマンチックな一句です。
・白砂に 犬の寐ころぶ 小春哉(正岡子規)
「寐ころぶ(ねころぶ)」は「寝転ぶ」のことです。冬の小春日和にほっとした犬がお昼寝をしているのでしょう。優しい気持ちになる俳句です。
・羽子板を 犬咥え来し 芝生かな(高浜虚子)
お正月にワンコが羽子板(はごいた)を咥えて「一緒に遊ぼう!」とはしゃいでいる情景を想像します。
現代では「羽根つき」遊びもあまり見かけなくなりましたが・・・
・三日月や 枯野を帰る 人と犬(正岡子規)
細い三日月が顔を出す夕暮れに、寒さを感じながら一緒に帰る犬と飼い主さんの情景を想像します。冬のもの悲しさもありつつ心温まるような優しい一句です。