文部省唱歌「雪」の前に瀧廉太郎作曲の幼稚園唱歌「雪やこんこん」があった!

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雪やこんこ

懐かしい童謡に文部省唱歌の「雪」があります。

私は「雪やこんこ あられやこんこ♪」という歌詞だとばかり思っていたのですが、原曲の歌詞は「雪やこんこ あられやこんこ♪」だというのを最近知りました。

1.文部省唱歌の「雪」

♪ 雪やこんこ

「雪やこんこ あられやこんこ」が歌い出しの「雪(ゆき)」は、1911年の「尋常小学唱歌」第二学年用に掲載された文部省唱歌です。

100年以上前の曲だけに、「こんこ」といった若干古めかしい表現が見られますが、今日では逆にその古さが味わい深く感じられます。

ちなみに、「こんこ」の正確な意味・語源は不明ですが、「雨がしとしと降る」のような「オノマトペ」(擬音語・擬声語・擬態語)ではなく、「来ん来(こんこ)」(雪よもっと降れ降れの意)で、「来む来む(こむこむ)」(「来い = 降れ」で、降れ降れの意)あるいは「来む此(こむここ)」(此処に降れ)と関係があるとのことです。

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く

雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる

2.瀧廉太郎作曲の幼稚園唱歌「雪やこんこん」

【鏡音誕生祭2017】雪やこんこん【作歌:東くめ、作曲:瀧廉太郎】

文部省唱歌「雪」が出版される10年前の1901年(明治34年)、瀧廉太郎が作曲、東くめが作詞を担当した「幼稚園唱歌」の第18曲目に、「雪やこんこん」と題された曲が掲載されました。

「雪やこんこん」の冒頭の歌詞は、「雪やこんこ あられやこんこ」で、文部省唱歌「雪」は明らかにこの「幼稚園唱歌」から大きな影響を受けていることが窺えます。

なお、瀧廉太郎の「雪やこんこん」のメロディーは、文部省唱歌「雪」のそれとはまったく異なっています。東くめが作った歌詞の着想だけを拝借したのでしょう。

雪やこんこん あられやこんこん
もっとふれふれ とけずにつもれ
つもった雪で だるまや燈籠
こしらへましょ お姉様

3.文部省唱歌の「雪」のメロディーはドヴォルザークの「聖書の歌」に似ている?

Antonín Dvořák: Biblische Lieder / Biblické písně / Biblical songs / Chants bibliques op. 99

余談ですが、文部省唱歌「雪」のメロディについては、19世紀チェコの作曲家ドヴォルザークが1894年に作曲した歌曲集「聖書の歌」の第10曲(終曲)「主に向かいて新しき歌を歌え」と似ているとの説があります。

当時の日本の唱歌には、西洋のクラシック音楽や賛美歌に影響を受けた曲がいくつもあります。賛美歌の影響を強く受けて小学唱歌を作曲した岡野貞一などがその代表です。

したがって「聖書の歌」が「雪」の作曲者に何らかのインスピレーションを与えた可能性もあります。

4.瀧廉太郎とは

瀧廉太郎

瀧廉太郎(たきれんたろう)(1879年~1903年)は、東京生まれの作曲家です。

高等師範付属音楽学校(後の東京音楽学校)在学中からピアノと作曲の才能を示し、研究科卒業と同時に母校の教師となり2年間勤務しました。この時期に、ピアノ曲「メヌエット」、組歌「四季」、中学唱歌「箱根八里」「荒城の月」、幼稚園唱歌「鳩(はと)ぽっぽ」「お正月」などの今日よく知られる作品を書きました。
1901年(明治34)ドイツに留学し、ライプツィヒ音楽院で和声法や対位法など本格的な作曲技法を学びました。しかし病気のため1902年に帰国し、翌年郷里の大分で23歳の若さで亡くなりました。
彼は明治の洋楽揺籃(ようらん)期において、初めての本格的作曲家として近代西洋の作曲技法を用い、その後の山田耕筰(こうさく)以後の日本の歌曲の創作に大きな影響を与えました。

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