我々の最も身近な星の一つが「太陽」です。太陽があるおかげで、地球上に生命が生まれ、人間が暮らしていける環境が出来上がっています。太陽の恩恵を受けながら生きている我々にとって、太陽がない生活は考えられません。
ところで皆さんは「太陽の寿命はあとどのくらいあるのだろうか?」と考えたことはありませんか?
「太陽はあと何年でなくなるのだろうか?」「太陽消滅の時期はいつか?」と言い換えてもよいでしょう。
「地球の寿命」については、「地球の寿命はいつまであるのか?人類を含む全生物はいつ滅亡するのか?」という記事に詳しいていますので、ぜひご覧ください。
山口百恵の歌「さよならの向こう側」の歌詞にもあるように、太陽にも他の星と同じように寿命があります。
そこで今回は「太陽の寿命」についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.太陽とは
「太陽(sun)」は、銀河系(天の川銀河)の恒星の一つです。地球も含まれる「太陽系」の物理的中心であり、太陽系の全質量の99.8 %を占め、太陽系の全天体に重力の影響を与えています。
2.太陽はこれからどうなるか?
(1)今から50億年後までは現在のまま
太陽は水素ガスが「核融合反応」を起こして光を出しています。つまり太陽の燃料(ねんりょう)は水素なのです。したがって「核融合反応」に利用できる水素がなくなるまでの時間が太陽の寿命となります。
この水素は、あと50億年は持つといわれています。
(2)今から50億年後に表面温度が低くなり、大きさは100倍以上の「赤色巨星」となる
「核融合反応」が起こると、太陽をより大きく膨張させようとする力が生じます。それに対して、太陽には重力があるので、内側に収縮しようとする力も同時に働いています。この膨張と収縮の力がバランスよく保たれているのが現在の太陽です。
太陽の中心部で水素が使い果たされると、中心部よりも少し外側で核融合反応が始まります。すると太陽の外側部分では、核融合反応による膨張の力のほうが、重力の収縮させる力よりも大きくなり、徐々に太陽は膨張していきます。その大きさは水星や金星を飲み込み、太陽の表面が地球の近くにまで迫る大きさになると考えられています。
50億年後には、太陽を輝かせる水素という燃料が少なくなり、「核融合反応」がだんだんと弱まってきます。「核融合反応」が弱まると、エネルギーのバランスが崩れてしまい、太陽の表面温度は今より低くなり、大きさは逆に大きくなります。
そして太陽は、今の100倍以上に膨らんで、明るさの変化する大きな赤い星「赤色巨星(せきしょくきょせい)」になってしまうのです。
(3)さらに10数億年後、ガスを放出する「惑星状星雲」となる
太陽の中心部で起きている「核融合反応」が止まり、中心のひとつ外側で次の核融合が起こり始めると、膨らみ出します。膨らみ始めて10億年ほど経つと、いったん少し縮みますが、また数億年後には膨らみ出し、1億年ほどたつと星の外側のガスが抜(ぬ)けた「惑星状星雲(わくせいじょうせいうん)」になります。
(4)今から60億~70億年後、中心だけが残り、地球ほどの大きさの「白色矮星」となる
そして今から60億~70億年後に、地球ほどの大きさで明るい「白色矮星(はくしょくわいせい)」となり、一生を終えると考えられています。
この星はその後、何十億年もかけて少しずつ冷えていくと考えられていますが、その先どうなるかはよくわかっていません。
宇宙が誕生して約140億年。初めのころにできた白色矮星でも、まだ冷(さ)めている途中(とちゅう)と考えられています。
3.太陽の寿命はあと50億年
地球にも一生があり、地球の寿命は太陽と深く関わっています。ずっと地球を照らし続けている太陽ですが、永遠に輝いているわけではありません。
太陽は最後には爆発して、太陽と太陽系の惑星が誕生する前と同じように、「惑星状星雲」となり、ガスとチリに戻ってしまいます。
しかし、太陽が爆発することでガスとチリが宇宙にばらまかれ、また新しい星が生まれる材料になると言われています。
4.太陽よりも寿命の短い恒星もある
太陽よりも質量(しつりょう)が15~20倍もある恒星は、太陽よりも寿命が短く、数百万~数千万年しかありません。このような寿命の短い恒星も、太陽と同じように最後には爆発して一生を終えます。
オリオン座のベテルギウスという「赤色巨星」は、今から数万年すると爆発するかもしれないと言われています。その兆候のあることがすでに観測されています。
質量の重い恒星の寿命が短くなる理由は、「重い恒星ほど核融合反応のスピードに追い付かなくなるため」です。
重い恒星の内部は、自らの重力によりそれだけ圧力が高くなります。圧力が高くなると、それだけ温度も高くなります。
たとえば太陽の10倍の質量を持つ恒星は、中心部の高い圧力で温度も1億度になると言われています。
「核融合反応」は、温度が少し上るだけで反応のスピードが急激に速くなる性質があるので、太陽の10倍の質量を持つ恒星は、太陽の1万倍の明るさで輝くと言われています。
明るく輝く分それだけ核融合の為の「燃料消費」も多くなるというわけです。
5.地球以外の星に生命が誕生する可能性
これまで太陽のエネルギーが及ばなかった遠い星にエネルギーが到達するようになると、生命が生きていくのに必要な条件である「光」と「気温」が変わり、生命が生存するために十分な状態になる星が新たに出来上がるかもしれません。
もちろん水や空気そして土壌など、生物にとって適した条件には幾つもあり、光と気温の条件が満たされただけでは難しいのはもちろんです。しかし、近年になって火星に水があった痕跡が発見されるなど、太陽系の惑星についても分かっていないことが多い現状があります。
これからの宇宙探索の進歩などにより、他の惑星で生命が生きるのに必要な環境が発見される可能性もあるかもしれません。
6.人類が滅亡から免れる方法はあるのか
(1)地球を少しずつ太陽から遠ざける
地球には定期的に小惑星が接近しており、NASAの発表によるとその数は約8,500個もあります。今後100年間は衝突の可能性は少ないとされていますが、ここ数年でも衝突の危険があったケースが何度かあったと言われています。この小惑星の衝突を利用して、地球の軌道を変える方法が提案されています。
小惑星を軽く地球に衝突させると、地球の軌道にはわずかにズレが生じ、角度と力をうまく調整すれば、生命が存在できる程度に太陽系の外側に移動させることができます。計算上は6,000年に一度程度の頻度でこれを実施できれば、少なくとも太陽の寿命までは地球上の生命を維持できると考えられています。
しかし、計算に誤りがあって万一太陽に小惑星が衝突すると、太陽表面の熱が地球まで及び、地球は大打撃を受けるかもしれません。また、お気付きかもしれませんが、この案は研究者が冗談半分で提唱しているもので、あまり真面目に取り組まれている研究ではありません。
(2)惑星間を自由に移動できる宇宙船を開発する
より現実的なのはこちらの案です。太陽のエネルギーを利用して惑星間を航行できる宇宙船によって、地球や特定の惑星という場所にこだわることなく、人類は移動しながら生活できるというものです。その前提になるプロジェクトとして、NASAや民間企業は、火星への移住計画を2030年代を目標に実現させようとしています。
太陽が寿命になったときは、火星ももちろん影響を受け、人類が住める土地ではなくなる可能性が高いです。そのため、さらに外側の星に移住するか、大規模な宇宙ステーションのような施設内で一生を過ごせるようなシステムをこれから構築していく必要があります。
しかし、「ノアの箱舟(方舟)」ならいざ知らず、現在世界で約80億人もいる人類を他の星に移住させる計画というのは、私には「夢物語」としか思えません。
この「宇宙船計画」が可能だとしても、実際に移住できるのは全人類のうちの極めて少人数になるでしょうが・・・
7.「ノアの箱舟(方舟)」について(蛇足)
(1)「ノアの箱舟(方舟)」とは
「ノアの箱舟(方舟)」(Noah’s Ark)とは、『旧約聖書』の「創世記」6~9章に言及され、アダムより数えて10代目のノアとノア一族を洪水による滅びから救った舟のことです。その大きさをメートル法に換算すれば、全長135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルになります。
この舟が漂着したと伝えられるアララテ山(アララト山)中に、今日でも箱舟探しを試みる人たちがいるそうですが、徒労です。なぜなら、ノアの洪水伝説は、『旧約聖書』の「創世記」より古いバビロニア洪水伝説『ギルガメシュ物語』中の一挿話に由来すると考えられるからです。
むしろ聖書の作者が箱舟のモチーフによって何を伝えようとしたかが重要です。『ギルガメシュ物語』によれば、神から洪水の予告を受けたウトナピシュティムは、乗船し、自分で舟の入口を閉めます。他方ノアの場合、最後に舟の戸を閉めるのは神です。
つまり後者の語りでは、神による救済と審判との行為が問題であり、ノアの幸運を語ることには無関心です。また箱舟を表すヘブライ語tēbāhは、神の保護を約束された容器を意味し、捨て子モーセの置かれた籠(かご)をも意味します(「出エジプト記」2章3、5節)。
(2)「ノアの箱舟(方舟)」を題材とした絵画
<Kaspar The Elder Memberger 作 16世紀」>
<フランスのマスター作 1675年>
<エドワード・ヒックス作 19世紀前半>
<時祷書の挿絵 中世>
<Simon de Myle 作 1570年>
<Kaspar Memberger the Elder 作 16世紀>
<Francis Danby 作 1837年>
<フィリップ・リチャード・モリス作 19世紀後半>
<コンデ美術館にある写本の挿絵 15世紀後半>
<ヒエロニムス・ボス作 1510-15年頃>
<ダニエル・マクリース作 1847-53年>