「修学旅行」とは?その意味・目的と歴史をわかりやすく紹介。

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修学旅行スナップ

新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)は、2020年から3年以上にわたって全世界の人々に大変な恐怖・不安と不自由な生活を強いるなど様々な影響を与えて来ました。

なかでも学校現場では「修学旅行」や「運動会」などの「学校行事」の中止が相次ぎ、児童・生徒にとってかけがえのない楽しみが奪われました。高校野球の中止もありましたが、クラブ活動の成果を競う中高校生のスポーツ大会も軒並み中止され、気の毒なことでした。

「修学旅行」と言えば、皆さんはどんな思い出をお持ちでしょうか?「枕投げ」をしたり、友達との会話など楽しい思い出も多いことでしょう。

関西に住む団塊世代の私の修学旅行の行き先は、小学校が伊勢方面(伊勢神宮・五十鈴川・二見ヶ浦など)、中学校が東京方面(箱根・皇居・東京タワーなど)、高校が九州方面(長崎の平和公園・大浦天主堂・グラバー邸・阿蘇山など)でした。

京都や奈良のような観光地に行くと、修学旅行生をよく見かけました。近年では「海外修学旅行」をする学校も出てきています。

ところで「修学旅行」とはいったい何でしょうか?

そこで今回は、「修学旅行」の意味・目的と歴史をわかりやすくご紹介したいと思います。

修学旅行専用列車・ひので号修学旅行・将棋を楽しむ生徒

1.「修学旅行」の意味・目的

(1)意味

修学旅行」は、日本の初等教育・中等教育の諸学校(特別支援学校を含む)における学校行事の一つとして、教職員の引率のもとに児童、生徒が集団で見学・研修等をするための宿泊を伴う旅行です。

特に「宿泊を伴うこと」「行き先がある程度遠隔地であること」で「遠足」や「社会科見学」とは区別され、「宿泊施設が野営地ではないこと」で「野外活動」と区別されます。

広義の「校外学習」(または校外教育)の一種です。

(2)目的

「学習指導要領」においては、特別活動のうちの学校行事の一つとして、小学校では「遠足・集団宿泊的行事」、中学校及び高等学校では「旅行・集団宿泊的行事」に分類され、共通の狙いとして「平素と異なる生活環境にあって、見聞を広め、自然や文化などに親しむとともに、よりよい人間関係を築くなどの集団生活の在り方や公衆道徳などについての体験を積むことができるようにすることとされています。

2.「修学旅行」の歴史

学校行事としての修学旅行の始まりは明治時代に遡ります。その実質的な歴史的起源は、1886年(明治19年)2月に東京師範学校(現・筑波大学)が実施した長途遠足」であり、「修学旅行」という名称も、同校が1886年中に独自に使用しはじめた造語です。

C.G.ザルツマン(Christian Gotthilf Salzmann)、シュトイ(Karl Volkmar Stoy)、ライン(Wilhelm Rein)らドイツの教育者により,18世紀後半から19世紀にかけて自然学習および身体訓練の目的をもって唱道され組織された「徒歩旅行(Wanderungen)」、「教育旅行(pädagogischer Reisen)」などの影響を受けつつも,日本独特の性格をもつ学校行事として展開されました。

日本以外では、台湾、韓国に日本の統治時代(植民地教育)の名残として存在し、中国でも実施されています。ヨーロッパ諸国などでも泊まりがけの旅行は学校行事として存在するそうです。

近代教育史上、類似する校外学習的事例としては、1877年(明治10年)の設立当初から東京大学で実施されていた各学部教員・生徒らによる動植物採集・地質調査・貝塚発掘などの専門教育としての「実地研究旅行」などがありますが、定期的な学校行事として今日に至る「修学旅行の嚆矢(こうし)とされているのは、兵式体操導入を契機として実施された東京師範学校(日本初の官立教員養成機関)による軍隊式の長途遠足」(11泊12日で、全行程260km余りの長距離徒歩旅行)です。

この遠足については、当時の新聞や教育雑誌で多くの事前事後報道がなされ、『大日本教育会雑誌』第30号(1886年4月)掲載の最も整備された報告日誌「東京師範学校生徒長途遠足」によれば、1886年(明治19年)2月15日〜25日、同校男子師範生徒99名は「戎装」=軍装で、「銃器及ヒ背嚢外套毛布ヲ附着シ、数部ノ兵書及ヒ靴、靴下シャツノ着代ヘ等数品」を携えて、東京〜千葉県銚子間を往復行軍したということです(兵式及び学術教員・職員を含め総勢121名)。

その実施にいたる経緯は、東京師範学校監督を兼任した初代文部大臣・森有礼による師範教育改革において、兵式体操などの軍隊的規律訓練が過度に導入されることに抵抗した東京師範学校の高嶺秀夫校長(1854年~1910年)(下の画像)及び教員らが、当初予定されていた行軍・発火演習「諸学科ヲ実地ニ研究」する要素(気象観測・測量・動植物採集・写生・名所見学・貝塚採集・学校参観など)を採り入れたとされています。

高嶺秀夫

それら実地研究は、当時の教員らにとっては各専門領域の基礎的実習であり、また高嶺秀夫が主導していた開発主義教育(実物教授)によって必然化された方法的実践であり、かつ教材としての実物資料の発見収集という当時の師範教育特有の技術的実習を兼ねていました

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