『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第4回は「ゼウスの最初の妻メーティスと娘アテーナー
ゼウスの最初の妻であり、アテーナーの母です。
ティーターン神族の末弟クロノスは、母ガイアの命を受けて父であるウーラノスを倒し、神々の王となりました。
しかしその際ウーラノスによって、自身も同様に子に倒されるという予言を受け、子が生まれるたびにそれを飲み込みました。
スペインの画家ゴヤ(1746年~1828年)にローマ神話を題材にした「我が子を食らうサトゥルヌス」という絵画がありますが、サトゥルヌスはギリシャ神話のクロノスに相当します。
クロノスの妻レアーはそれを悲しみ、ガイアに相談して闇夜の外で末子ゼウスを産み、石をゼウスと偽って持ち帰り、それをクロノスに飲み込ませたために助かりました。
ゼウスはクレータ島で育てられ、成人すると母レアーと知恵の女神メーティスとともに、食べられた兄妹たちの仇を討つことにしました。
ゼウスはメーティスに命じ、メーティスは自分の作った嘔吐薬をネクタール(神酒)に混ぜてクロノスに飲ませることに成功しました。
クロノスはまずゼウスと偽られて飲み込んだ石を吐き出し、続いてポセイドーン・ハーデース・ヘーラー・デーメーテール・ヘスティアと、飲み込んだ際とは逆の順で彼らを吐き出しました。
ただし一説では、メーティスは関与せず、ゼウス自身がクロノスの背中を叩き、吐き出させたということです。
そしてゼウスは吐き出された兄姉たちと力を合わせ、クロノスをはじめとするティーターン神族との戦い「ティーターノマキアー」に勝利しました。なお、この戦いには、ティーターン神族の長兄であるメーティスの父オーケアノスは参加しなかったということです。
2.ゼウスが妊娠していた妻メーティスを飲み込む
その後、神々の王となったゼウスはメーティスを妻として迎え入れました。一説によれば、メーティスはゼウスの妻ではなく、ゼウスから逃げ回った末に子を身ごもったとされます。
このことを知ったガイアとウーラノスは、「メーティスの子はゼウスよりも聡明で剛毅であり、もし男児であったらゼウスの地位を脅かすであろう」と予言しました。そのためゼウスは祖父ウーラノスや父クロノスのように子に権力を奪われることを恐れ、用心のために父クロノスのようにメーティスを飲み込みました。
一説では、飲み込まれる際にメーティスはさまざまな姿に化けて逃れたものの、蠅に変身したところを飲み込まれてしまったともされます。このことでメーティスはゼウスと同化し、ゼウスは知恵の神としても信仰されるようになったということです。
3.しかし胎児は成長し、ゼウスの頭から女神アテーナーとなって飛び出す
しかし時すでに遅く、メーティスはすでに懐妊しており、胎児はゼウスの頭部に移って生きていました。さらにメーティスは胎児のために甲冑を作り、その行為がゼウスに激しい頭痛をもたらしました。
やがて子が生まれる月になると、ゼウスは痛みに耐えかね、リビアのトリートーニス湖のほとりでプロメーテウスやヘーパイストス、ヘルメースなどに相談し、ヘーパイストスに斧で頭を叩き割るように命じました。
すると中からすでに成人し、甲冑で完全に武装した女神が飛び出しました。これがアテーナーでした。ルネ・アントワーヌ・ウアスの「アテーナーの誕生」(1688年以前)という絵画(下の画像)があります。
この後、メーティスはゼウスの体内で善悪を予言するようになったということです。
4.女神アテーナーとは
アテーナー(ミネルヴァ)は、「戦いの女神」「知恵の女神」「都市の守護女神」で、ゼウスと最初の妻メーティスとの間に生まれた娘です。
知恵・芸術・工芸・戦略などを司る処女神ですが、父親の頭部から武器を持った姿で現れたと言われています。
<アレースとアテーナーの戦争 ジャック=ルイ・ダヴィッド画>
アテーナーは他の神に武器を与えるなど好意的な行動をしています。彼女は武器の発注のため、ヘーパイストスのもとを訪れました。彼は妻のアプロディーテーとの仲が悪かったので欲求不満になっており、アテーナーに関係を迫りました。
彼女は処女神なので拒否して逃げ回りましたが、追いついたヘーパイストスはアテーナーの足に精液を漏らしました。
彼女は足に付いたものを羊皮でふき取って大地に投げ捨てたのですが、なんとこれをきっかけに大地が身ごもり、そこからアテナイの王エリクトニオスが生まれました。ちなみにエリクトニオスは上半身が人間で、下半身が蛇であったとのことです。
5.女神アテーナーに蜘蛛(くも)にされた機織り(はたおり)の天才少女アラクネの悲話
<アテーナーとアラクネー ルネ=アントワーヌ・ウアス画>
<アラクネの寓話 織女たち ディエゴ・ベラスケス画>
アラクネーは、ギリシア神話に登場する女性で、リューディアのコロポーンで染織業をいとなんでいたイドモーンの娘です。
『変身物語』によればアラクネーは優れた織り手で、その技術は機織りを司るアテーナーをも凌ぐと豪語するほどでした。これを耳にしたアテーナーは怒りを覚えましたが彼女を諭す為に老婆の姿を借りて神々の怒りを買うことのないように忠告を与えました。
しかし、アラクネーはそれを聞き入れずに神々との勝負を望んだため、女神は正体を表してアラクネーと織物勝負をすることになりました。
アテーナーは自身がポセイドーンとの勝負に勝ちアテーナイの守護神に選ばれた物語をタペストリーに織り込みました。
アラクネーはアテーナーの父ゼウスのレーダー、エウローペー、ダナエーらとの浮気を主題にその不実さを嘲ったタペストリーを織り上げました。
アラクネーの腕は非の打ち所のない優れたもので、アテーナーでさえアラクネーの実力を認める程でした。しかし、アテーナーはそのタペストリーの出来栄えに激怒し、最終的にアラクネーの織機とタペストリーを破壊してアラクネーの頭を打ち据えました。これによりアラクネーは己の愚行を認識し、恥ずかしさに押しつぶされ逃げだして自縊死を遂げました。
アテーナーは彼女を哀れんだのか、それとも怒りが収まらず死すら許さずに呪おうとしたのか、トリカブトの汁を撒いて彼女を蜘蛛に転生させました。
なお、「アラクネー」という彼女の名は、ギリシア神話の多くの登場人物と同様、普通名詞を人格化したもので、古代ギリシア語では「蜘蛛」「蜘蛛の巣」を意味する単語でした。
余談ですが、これは「サンドイッチ」や「シルエット」のように人名の固有名詞が普通名詞になった「エポニム」の逆のパターンですね。
現在、分類学で「クモ綱」を Arachnida と呼んだり、クモ恐怖症を英語で arachnophobia などと言うのは、この語を語根に用いたものです。
ダンテの『神曲』「煉獄篇」では、煉獄山の第一層にて「傲慢」の大罪を戒める例の一つとして、すでに下半身が蜘蛛に変じたアラクネーを写した姿が山肌に彫刻されています。