<メーディア イーヴリン・ド・モーガン画>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第16回は「コルキスの王女メーデイアは恐ろしい魔女!?」です。
1.メーデイアとは
<クラテール(大型の壺)に描かれたメーデイア>
「メーデイア(メディア)(古希: Μήδεια, Mēdeia)」は、ギリシア神話に登場するコルキス(現在のグルジア西部)の王女です。イアーソーン率いるアルゴナウタイの冒険を成功に導いたとされます。
太陽神ヘーリオスの孫であり、魔女キルケーの姪にあたります。すでにヘーシオドスの『神統記』に名前が現れており、コルキスの王アイエーテースとオーケアノスの娘エイデュイア(イデュイア)の娘で、アポロドーロスによればカルキオペー とアプシュルトスという兄弟がいましたが、ロドスのアポローニオスはアプシュルトスを異母兄としています。
後代の説ではタウリケー王ペルセースの娘ヘカテーとアイエーテースの娘で、キルケー、アイギアレウスと兄弟とするものもあります。イアーソーンとの間にメーデイオス、あるいはメルメロスとペレース、あるいは双生児テッサロスとアルキメネース、ティーサンドロスを生みました。またアテーナイ王アイゲウスとの間にメードスを生んだともいわれます。
ヘーシオドスはメーデイアを《眼輝く乙女》と呼んでおり、ロドスのアポローニオスはメーデイアやキルケーがヘーリオスの子孫の証である黄金色の光を発する輝く瞳を持つとしています。
ヘカテー神殿に仕える巫女であり、ヘカテーの魔術に長けていました。その名は「慮る、統治する女性」を意味し、本来はコリントスで崇められた主女神だったと考えられています。
2.メーデイアにまつわる魔法と神話
<メーデイア フレデリック・サンズ画>
(1)魔法
ロドスのアポローニオスによると、メーデイアは女神ヘカテーからあらゆる魔法の薬草とその扱い方を教わっており、彼女が薬草を用いて行う魔法は激しく燃える炎の勢いを和らげ、川の流れを堰き止め、星々や月の運行を妨げることが出来たということです。
そしてメーデイアは良からぬ研究をするたびに、月の女神セレーネーを恋の魔法でエンデュミオーンのいる地上に引き下ろし、夜空から月明かりを消し去ったということです。また冥府の住人を呼び出したり、幻を見せることもお手の物でした。
シケリアのディオドーロスも、メーデイア自身が研究して習得した薬草学と薬学の知識に加えて、母ヘカテーや姉キルケーが得た知識も等しく学んでいたとしています。
メーデイアの薬草の知識の中でも特筆されているのはプロメーテイオンと呼ばれる薬草です。この薬草はカウカーソスの山頂に縛られたプロメーテウスが不死身の大鷲に肝臓を食われた際に、大地に飛び散ったイーコールから生まれたもので、この薬草から作った魔法の薬を真夜中にヘカテーに供儀した後、身体や武器・盾に塗りつけると、1日の間だけ刃や火から身を護り、無双の力を得ることが出来ました。
ただし供儀の最中にヘカテーに対して礼を失するとその限りではありません。供儀においては1人で黒衣をまとい、円形の穴を掘り、その中で雄の羊を屠殺した後、穴のそばに積み上げた薪の山に置いて火をつけ、ヘカテーに捧げます。
さらに蜂蜜を注いで女神を慰撫しつつ加護を祈願します。するとヘカテーが供物を受け取りに現れるので、薪の山から戻って来ます。その際に女神の足音や地下の犬たちの鳴き声が聞こえても決して後ろを振り返ってはなりません。さもないと努力が水泡に帰すだけでなく、無事に帰ってこられないとメーデイアは語っています。
①眠りの魔法
またメーデイアは眠りの魔法にも優れていました。ロドスのアポローニオスはメーデイアが金羊毛を守護する竜を眠らせた手順を次のように語っています。まず呪文を唱えて眠りの神ヒュプノスに助力を乞い、ヘカテーに加護を祈ります。すると呪文の力で竜は力を緩め警戒を解きましたが、まだ眠らせることは出来なかったので、切り取ったばかりの杜松の枝を薬草の汁に浸し、魔法の秘薬を直接竜の眼にかけて眠らせ、最後に竜の頭に薬を塗りました。
こうしてイアーソーンは金羊毛を手に入れることができました。一方、オウィディウスはまず見たものを忘却させる効果のある薬草を竜にかけた後、眠りをもたらす呪文を唱えたとしています。この呪文には荒波や激流を鎮める効果もありました。
②若返りの魔法
<若返りの魔法を施すメーデイア>
メーデイアの最も有名な魔法は老人を若返らせる魔法です。オウィディウスによれば、それは次のようなものでした。まず満月の夜に、星々と月、ヘカテー、薬草をもたらす大地をはじめとする諸神に祈りをささげた後に有翼の竜の戦車に乗って各々の地方で薬草を採取します。次に男との接触を断ち、館の戸口に芝土でヘカテーとヘーベーの祭壇を作ります。
そしてその傍に2本の溝を掘り、黒い羊を屠殺して血を注ぎます。さらにそこに白い葡萄酒と温めた乳とを1杯ずつ加えた後、冥府の王ハーデースとペルセポネーに祈り、魔法を施す過程で老いた者の生命が失われないように祈願します。ここでようやく魔法を施す相手を運び入れます。
燃える祭壇の周囲をめぐり、松明を溝の血に浸して火をつけます。集めた薬草は、極東産の石、大海の引き潮のあとの砂、満月の夜に集めた白霜、ワシミミズクの翼と肉、人狼のはらわた、キニュプスの河の水蛇の皮、長寿とされる牡鹿の肝臓、9代を生きた鳥のくちばしと頭などと煮込んで魔法の薬を作ります。
大釜の中を乾燥したオリーブの枝でかき混ぜたとき、枝に生命力が戻って葉が茂ったりオリーブの実がなると頃合であり、魔法で眠らせた老人の首を切開して血を流し、薬を喉や傷口に流し込みます。するとたちまちのうちに若返るということです。
ただし、アポロドーロスは身体を切り刻み、薬草とともに大釜で煮ることで若返らせるとしています。一説によると逆に薬を身体に塗って老人の姿にすることも出来たそうです。そして体に塗った薬を洗い流すと、再びもとの若々しい姿に戻るのでした。
(2)神話
①ヘーラーの企み
ピンダロスによると、美と愛の女神アプロディーテーはメーデイアをイアーソーンに恋させるため、車輪にアリスイを結びつけた呪具イユンクスを作り、呪文とともにイアーソーンに与えました。イアーソーンはこの呪いを用いることでメーデイアを仲間に引き入れ、金羊毛を奪うことに成功しました。
ロドスのアポローニオスによると、メーデイアに恋させるようアプロディーテーを説得したのは女神ヘーラーです。ヘーラーはイオールコス王ペリアースへの憎しみとイアーソンがアイエーテースに殺されないようにという親切心から、アプロディーテーを訪れ、彼女の息子エロースの矢でメーデイアの心にイアーソーンへの恋を目覚めさせ、イアーソーンの味方をさせるよう説得しました。エロースの矢に胸を射抜かれたメーデイアはイアーソーンの冒険を様々に助けました。
②アプシュルトスの殺害
アポロドーロスによると、イアーソーンとメーデイアが金羊の毛皮(金羊毛)を獲ってアルゴー船を出航させたとき、アイエーテースの船団に追われ、メーデイアは、一緒に連れてきていた幼い弟アプシュルトスを殺し、亡骸を海にばらまき、追手がこれを拾い集めている間に脱出したとされています。
しかしこれには異説があります。ロドスのアポローニオスによると、アプシュルトスはアイエーテースとカウカーソスのニュムペーのアステロディアーの子で、このときすでに成人しており、船団を率いてアルゴナウタイを追跡しました。
そこでメーデイアは金羊毛を取り戻すつもりであると偽りの伝言を使者に伝え、アプシュルトスが騙されてやって来るように、魔法の薬を空に撒きました。そして首尾よくアプシュルトスを小島におびき出すことに成功すると、物陰に隠れたイアーソーンが彼を殺しました。
いずれにせよ、メーデイアは親族殺しの罪を浄めなければならないことを、アルゴー船に取り付けられたドードーナの聖なる樫の予言で知らされました。そこでアルゴナウタイはアイアイエー島を訪れ、アプシュルトス殺害の罪を魔女キルケーに浄めてもらいました。
③イアーソーンとの結婚
<イアソンはメディアに永遠の愛を誓う ジャン=フランソワ・ド・トロワ画>
<イアーソーンとメーデイア ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス画>
メーデイアはその後もアルゴナウタイと行動を共にし、プランクタイの岩礁やセイレーンの住む島といった海の難所を乗り越えて、アルキノオス王が統治するケルキューラ島にたどり着きました。彼らはアルキノオスから歓待を受けましたが、コルキス人の追手が島にやって来てメーデイアの引き渡しを要求しました。
メーデイアは王妃のアレーテーにすがりついて、引き渡しに応じないでほしいと懇願しました。王妃がアルキノオスにどうするつもりなのか尋ねると、アルキノオスは「もし、メーデイアが処女のままであったならアイエーテースのもとに返そうと思うが、しかしイアーソーンと夫婦の契りを交わした後ならば夫婦を引き離すような裁定は下さないし、もし子供を身ごもっていたならば決してコルキス人に引き渡すことはしない」と語りました。
そこでアレーテーはアルゴナウタイに王の判断を知らせ、納得した彼らは、ケルキューラ島の海岸にあるマクリスの聖なる洞窟で婚礼と初夜の床の準備をしました。床の上には金羊毛が敷かれ、ヘーラーは2人のためにニュムペーたちを送って祝福しました。
そしてアルゴナウタイがコルキス人の襲来に備える中で、オルペウスは婚礼の祝歌を歌い、メーデイアはイアーソーンと夫婦の契りを交わしました。翌日、アルキノオスがメーデイアに関する裁定を下すと、コルキス人はメーデイア返還の要求が無駄であることを悟りました。しかしアイエーテースの怒りを恐れて帰国をためらい、アルキノオスの許しを得てケルキューラ島に移り住みました。
④タロース退治
その後も航海は続きました。クレータ島ではタロースに遭遇しましたが、メーデイアは船の甲板で三度呪文を唱え、生者の生命を食らう冥府の死霊や猟犬を召喚し、タロースに幻を見せました。
するとタロースはアルゴー船に投げつけようとした巨岩を落とし、踵の一本の血管を覆う薄い膜を傷つけてしまい、イーコールが流れ出て死んでしまいました。メーデイアが薬で狂わせた、あるいは不死にすると約束してタロースを欺き、血管を塞ぐ釘を抜き去ったため、イーコールが流れ出て死んだという説もあります。このような冒険を経て、メーデイアはイアーソーンの祖国イオールコスにたどり着きました。
⑤アイソーンの若返り
<メーデイアはアイソーンを若返らせる コッラード・ジアキント画>
オウィディウスの『変身物語』によると、イアーソーンは、メーデイアに対して自らの寿命を縮め、年老いた父アイソーンの延命を願い出ましたが、メーデイアは夫の望みに応じて死期の迫ったアイソーンを魔法の秘薬で若返らせるという不思議な術を行いました。
⑥ペリアース殺し
メーデイアはペリアースの娘たちに老いた雄羊を切り刻んで鍋に入れてぐつぐつ煮て、若返らせる所を見せました。姫たちは父親を同じように若返らせようと、ペリアースを切り刻み、鍋に入れてぐつぐつゆでましたが、ペリアースは死んでしまいました。
メーデイアがペリアースを謀計によって殺した後、イオールコスの人々はメーデイアの残酷な仕打ちに怒って追放し、メーデイアはイアーソーンとともにコリントスに向かいました。
⑦イアーソーンへの復讐
<我が子を殺すメデイア ウジェーヌ・ドラクロワ画>
<メーデイア アルテミジア・ジェンティレスキ画>
追放されたイアーソーンとメーデイアはコリントスで幸福に暮らしましたが、コリントス王クレオーンに気に入られたイアーソーンは王から娘グラウケーを与えられました。そこでイアーソーンはメーデイアと離婚してグラウケーと結婚しましたが、激怒したメーデイアは結婚の誓約を立てた神々にイアーソーンの忘恩をなじり、グラウケーに毒を浸したペプロス(あるいは魔法の薬で作った黄金の冠)を贈り、それを着たグラウケーは炎に包まれ、助けようとしたクレオーン王とともに王宮もろとも焼け死にました。さらにメーデイアは2人の息子であるメルメロスとペレースを殺し、ヘーリオスから授かった有翼の竜の戦車に乗ってアテーナイに逃れました。
この復讐劇は後代のエウリーピデースによる脚色であるとも言われます。イアーソーンとメーデイアの間には、7人の息子と7人の娘がいましたが、メーデイアが手にかけたのではなく、グラウケーとクレオーンの殺害に憤激したコリントス人たちが、彼らをことごとく捕らえ、石を投げつけて殺したというものです。また、長男のメーデイオスは、イアーソーン同様ペーリオン山のケイローンに養育されていて、難を逃れたともいいます。
また、復讐劇は起きなかったとする説もあります。パウサニアースによるとコリントスはもともとメーデイアの父アイエーテースの出身地であり、アイエーテースが国政を執った時期があったので、コリントス人は王統が途絶えた後にメーデイアを迎え入れました。
しかしメーデイアは子供を不死にしようと考えてヘーラー神殿に隠しましたが、そのことを知ったイアーソーンはコリントスを去ったため、メーデイアもコリントスをシーシュポスに譲って去ったということです。
⑧逃避行
コリントスを追われたメーデイアは、初めテーバイのヘーラクレースを頼りました。そしてヘーラクレースが狂気に憑りつかれて我が子を殺戮しているのを目の当たりにしました。ヘーラクレースはイアーソーンが本当に不誠実で、自分を襲った狂気を治してくれるのなら匿おうと言いました。
そこでメーデイアは英雄を苦しめる狂気を薬草で治癒しましたが、エウリュステウスがヘーラクレースに別の苦役を強いたため、英雄に保護してもらうことを諦めざるを得ませんでした。
次にメーデイアはアテーナイを訪れました。アテーナイのアイゲウス王は喜んで迎え、メーデイアと結婚しました。しかしメーデイアは王宮にやって来たテーセウスを危険視し、排除しようとしました。そこで夫にテーセウスに用心するよう言い含めました。
アイゲウスは彼が自分の息子だとは気づかずにメーデイアの言葉を信じ、テーセウスをマラトーンの牡牛退治に行かせました。そしてテーセウスが無事に戻って来るとメーデイアは今度は毒殺しようと試みました。
しかしアイゲウスがメーデイアから渡された毒薬入りの飲物でテーセウスをもてなそうとしたとき、トロイゼーンに残した自分の剣をテーセウスが献上したので自分の息子だと気づきました。こうして毒殺に失敗したメーデイアは王の息子を殺そうとしたために息子メードスとともにアテーナイを追放されました。
その後テッサリアー地方に一時滞在し、女神テティスと美しさを競いましたが、イードメネウスの審判で敗れたということです。
⑨コルキスへ帰国
コルキスで父王アイエーテースが伯父ペルセースに王座を奪われたと聞いたメーデイアは、メードスを連れて故郷コルキスに帰り、ペルセースを殺してアイエーテースを再び王座につけました。息子のメードスは後に周辺諸国を征服してメーディアを建国しました。
一説によると、メーデイアはアルテミスの巫女だと身分を偽ってペルセースの国に訪れました。そして自分が殺したコリントス王クレオーンの息子ヒッポテースが投獄されていることを知りました。
実は彼は母の後を追ってきた息子メードスでしたが、そうとは知らずにヒッポテースが自分を殺しに来たのだと考えて、彼はメーデイアの息子メードスであり、王を殺すためにやって来たに違いないから自分に引き渡してほしいと説得しました。
しかしメードスが連れて来られるとメーデイアは自分の息子であることに気づき、メードスにペルセースを殺すよう命じました。そしてメードスがペルセースを殺して王権を奪うと、メーデイアはその地を自分の名前にちなんでメーディアと名付けました。
ヘーロドトスも、メーディア人たちはアテーナイから逃亡したメーデイアが自分の名前にちなんでメーディア王国と名付けたと主張したと述べています。
⑩その後
やがてメーデイアは不死の身となり、エーリュシオンの野を治めたということです。アキレウスは死後ヘレネーと結婚したという伝説がありますが、相手はヘレネーではなく、メーデイアだという説もあります。
3.ギリシャ悲劇『メディア』
ギリシャ神話を代表する悲劇の一つ『メディア』は、日本でも舞台化などされている有名な物語です。この悲劇の主人公が上のご紹介したメーデイアです。日本においては『王女メディア』のタイトルで呼ばれることも多いようです。
これは、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人エウリーピデースによる戯曲です。
ギリシア神話に登場するコルキス王女メディア(メーデイア)の晩年におこったとされるコリントスでの逸話、すなわち夫イアソン(イアーソーン)の不貞に怒り、復讐を果たして去っていく話を劇化したものです。