源頼朝の愛妾・亀の前とは?牧の方の北条政子への告げ口で館を破壊された!?

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亀

今年はNHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されている関係で、にわかに鎌倉時代に注目が集まっているようです。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ドラマ『半沢直樹』にも出演していた個性派女優の江口のりこさんが「源頼朝の愛妾」の「亀の前」を演じており、重要な役どころである予感がします。

彼女は一般的な美女とは違ったユニークな魅力で、浮気性の源頼朝を虜にしたようですが、どのような人物だったのでしょうか?

ところで歴史上の人物で、肖像画などがある有名な人はイメージしやすいのですが、「亀の前」のように何もない場合は想像しにくいので、冒頭に江口のりこさんの画像を入れました。

ただ、江口のりこさんを亀の前に起用したのはミスキャストではないかと私は思います。頼朝が「亀の前事件」の前も後も、政子に隠れて通い続けた美しく癒されるような心優しい女性というイメージではないからです。

むしろ田中みな実さんや壇蜜さん、あるいは「人生の楽園」で声の出演をしている菊池桃子さんの方が(年齢はバラバラですが)、イメージに近いように個人的には思います。

田中みな実壇蜜菊池桃子

1.亀の前とは

亀の前・相関図

亀の前(かめのまえ)(生没年不詳)は平安時代末期から鎌倉時代初期の女性で、良橋太郎入道の娘です。源頼朝の愛妾です。

2.亀の前の人物像

鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』によると、亀の前は頼朝の伊豆国での流人暮らしの頃から仕えており、容貌すぐれて柔和な性格(見た目が美しいだけでなく穏やかな性格)で気に入られ、頼朝は寿永元年(1182年)の春頃から密かに亀の前を鎌倉に呼び寄せて寵愛していました。

頼朝の正室・北条政子が万寿(後の源頼家)を妊娠中の寿永元年(1182年)6月、日を追って寵愛が増した頼朝は亀の前を小坪(逗子市)の小忠太光家の宅に呼び寄せます。外聞を憚って居拠を遠くに構えたということです。

その後、頼朝は亀の前を飯島(逗子市)の伏見広綱の宅へ移して寵愛を続けました。

勝ち気で嫉妬深い政子と違って、頼朝は亀の前の温和な人柄に癒されたのでしょう。

3.亀の前事件

亀の前相関図

寿永元年(1182年)8月12日に出産した後、この事を継母の「牧の方」から知らされた政子は激怒し、11月10日、「牧の方」の兄・牧宗親に命じて広綱宅を破壊する「後妻打ち(うわなりうち)」(*)を行い、大いに恥辱を与えました

(*)「後妻打ち」とは、日本の中世から江戸時代にかけて行われた風習で、夫がそれまでの妻を離縁して後妻と結婚するとき、先妻が予告した上で後妻の家を襲うというものです。

後妻打ち・歌川広重

亀の前は広綱に連れられ、命からがら鐙摺(葉山町)の大多和義久の宅へ逃れました。

11月12日、怒った頼朝は遊興にことよせて鐙摺に出向き、牧宗親を呼び出して叱責しました。宗親は顔を地にこすりつけて平伏しましたが、怒りの収まらない頼朝は自ら宗親の髻を切って辱めました。宗親は泣いて逃亡しました。

これを知った政子の父・北条時政は義兄である宗親への仕打ちに怒り、一族を率いて伊豆国へ立ち退いてしまう騒動に発展しました。

12月10日、亀の前は小坪(逗子市)の小忠太光家の宅へ移されました。亀の前は政子の嫉妬をひどく恐れましたが、かえって頼朝の寵愛は深まりました。

しかし政子の怒りが収まらず、12月16日、伏見広綱は遠江国へ流罪となりました。

これが「亀の前事件」と呼ばれるものです。

政子が激怒したのは「頼朝が不倫したから」というだけでなく、「自分の地位や、自分の家が脅かされる存在が現れたから」という感情も含まれていたのかもしれません。

「亀の前事件」は、「政子VS亀の前」の「女の戦い」と、「北条VS伏見」の「家の戦い」が絡み合った事件です。

もし亀の前との間に男児が生まれたら、亀の前が正室です。そして彼女の後ろ盾となっていた伏見広綱が北条氏に代わって大きな発言力を持つようになり、歴史も大きく変わっていたのかもしれません。

4.その後の消息

この騒動の顛末がどうなったかは、亀の前は三浦に逃げ込んだという記述以降、『吾妻鏡』には登場せず、『吾妻鏡』の寿永2年(1183年)が欠文のため追うことができません。

亀の前のその後も不明で、歴史の表舞台からは消えてしまいました。

しかし三浦半島には、この続きの伝承が残っています。

現在マグロの町で有名な三崎港には頼朝の別荘が3つありました。「桜の御所」「桃の御所」「椿の御所」と呼ばれ、それぞれの花の季節になると中庭に溢れんばかりに咲くので、花見をしに来ていました。

実は、亀の前はこの椿の御所に匿われていました。頼朝は政子に「三浦に花見に行く」と言っては、恋人に会いに来ていたのです。

頼朝の死後、亀の前は尼となり、椿の御所に「大椿寺」という寺を開きました。

3つの別荘はその後鎌倉の歴代将軍に引き継がれ、三浦での花見会場として使用されるのですが、頼朝と政子の息子である、2代目将軍頼家と3代目将軍実朝は、とても気まずかったでしょうね。

なお、その他の登場人物については「NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主な登場人物・キャストと相関関係をわかりやすく紹介」に書いていますのでぜひご覧ください。

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