<岩を持ち上げるシーシュポスを描いたアッティカ黒絵式アンフォラ>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第20回は「徒労を意味するシーシュポスの岩」です。
1.シーシュポスとは
<フランツ・フォン・シュトゥック画>
シーシュポス(シシュポス、シジフォス、シシュフォス)は、徒労を意味する「シーシュポスの岩」で有名なギリシア神話に登場する人物で、コリントスの創建者です。
シーシュポスはテッサリア王アイオロスとエナレテーの息子で、兄弟にサルモーネウス、アタマースなどがいます。
プレイアデスのひとりメロペーを妻とし、グラウコス、オルニュティオーン、テルサンドロス、ハルモスをもうけましta。シーシュポスの子のうちグラウコスはベレロポーンの父です。
シーシュポスはエピュラーを創建し、エピュラーは後にコリントスの名で知られるようになりました。一説には、メデイアがシーシュポスにコリントスを贈ったともいわれます。
また、ヘーラーに狂気を吹き込まれたアタマースに追われたイーノーとメリケルテースが海に身を投げた事件を追悼してイストミア大祭を創始しました。
2.シーシュポスにまつわる神話
(1)ペイレーネーの泉
ゼウスがアイギーナを誘拐したとき、シーシュポスはアイギーナの父親である河神アーソーポスに行方を教えたとされます。シーシュポスは、娘を捜してコリントスまでやって来たアーソーポスに、「コリントスの城(アクロコリントス)に水の涸れない泉を作ってくれたら、アイギーナのことを教える」と持ちかけました。
アーソーポスがペイレーネーの泉を湧き出させたので、シーシュポスは、ゼウスとアイギーナの居所を告げました(このときゼウスは恐れて岩に姿を変え、アーソーポスをやり過ごしました)。
ペイレーネーの泉は、後にベレロポーンがペーガソスを馴らした場所として知られます。
(2)テューロー
父のアイオロスが死ぬと、シーシュポスの兄弟であるサルモーネウスが、その跡を継いでテッサリアー王となりました。
シーシュポスは、このことに腹を立て、デルポイの神託所に伺いを立てました。与えられたお告げは、「おまえの姪と交わって子供をもうければ、その子供たちが恨みを晴らしてくれるだろう」というものでした。
そこで、シーシュポスは、サルモーネウスの娘テューローを誘惑しました。テューローは、やがてシーシュポスの行為が自分への愛情からではなく、サルモーネウスへの憎しみからであることに気づき、生まれた2人の子供を自分の手で殺しました。
(3)シーシュポスの抵抗
ゼウスは、シーシュポスをタルタロス(奈落)に連行するようタナトスに命じました。その理由として告げ口の恨みがありました(ゼウスの命を受けたのはタナトスではなくハーデースだという異説もあります)。
しかし、シーシュポスは言葉巧みにタナトスが持ってきた手錠の使い方を教えてくれと頼み、これにまんまと引っかかったタナトスが自分の手で実演してみせると、いきなり手錠に鍵をかけてしまいました。
タナトスは、死の神であると同時に死の概念そのものでした。そのため、彼がシーシュポスの家から出られなくなると、首を切られた者も八つ裂きに処された者も、誰も死ぬことができなくなりました。このことで一番困ったのは、アレースです。自分の権利を侵されそうになったアレースは、タナトスを助け出し、シーシュポスを捕らえました。
その間、シーシュポスは、妻のメロペーに、決して自分の葬式を出してはならないと言い含めておきました。冥府に連れてこられたシーシュポスは、ペルセポネーに葬式が済んでいないことを訴え、自分を省みない妻に復讐するために三日間だけ生き返らせてくれと頼みました。
冥府から戻ったシーシュポスは、ペルセポネーとの約束を反故にしてこの世に居座りました。やむなくヘルメースがシーシュポスを力ずくで連れ戻しました。
(4)シーシュポスの岩
<シシュポス ティツィアーノ画>
<シーシュポスの岩 アントニオ・ザンキ 画>
シーシュポスは神々を二度までも欺いた罰を受けることになりました。彼はタルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられました(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれます)。
シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返されます。
このことから「シーシュポスの岩(the stone of Sisyphus)」「Sisyphean labor」という言葉は、日本での「賽の河原(さいのかわら)」同様に「(果てしない)徒労」を意味します(この「シーシュポスの岩」については、タンタロスにも似た話が伝えられています)。
シーシュポスの末路を恥じたメロペーは、夜空に輝く星の姉妹から離れ自らの姿を隠しました。
(5)シーシュポスとアウトリュコス
シーシュポスがコリントスにいた頃、その近くにはヘルメースの息子アウトリュコスが住んでいました。彼はシーシュポスの家畜をたびたび盗んでは自分の物にしていました。
アウトリュコスは父であるヘルメースから盗んだ家畜の姿を変える力を授かっており、シーシュポスの家畜のうち、角が生えているものは角をなくし、色の黒いものを白くしたりして、盗みが誰の仕業かわからないようにしていました。
シーシュポスは家畜が度々盗まれるのを怪しみ、自分の家畜の蹄の内側に「SS」という頭文字を刻み込んでおきました。ある夜、例によってアウトリュコスが盗みを働きました。翌朝、シーシュポスは自分の家畜小屋から道沿いに蹄の跡が続いているのを見て、近くの人々を呼び出して証人にしました。そして、アウトリュコスの家畜小屋で家畜の蹄の内側を確認すると、果たしてSSの文字があったのです。
アウトリュコスは知らとぼけて証人たちと口論を始めます。その間、シーシュポスはアウトリュコスの娘でラーエルテースの妻となっていたアンティクレイアと交わりました。こうして生まれたのがオデュッセウスです。オデュッセウスの抜け目のなさは、アウトリュコスとシーシュポスの2人から受け継いだのだといわれます。