「どうする家康」が面白くない・つまらない原因は?改善策は?

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どうする家康

<2023/5/1追記>朝ドラ「らんまん」の方がよっぽど「大河ドラマ」にふさわしい展開!

4月から始まった牧野富太郎の生涯をモデルにした朝ドラ「らんまん」を、私は欠かさず見ています。こちらは主人公だけでなく脇役の人物像もきちんと視聴者によくわかるように描かれており、物語の展開も円滑です。

主演の神木龍之介さんをはじめ、松坂慶子さん、佐久間由衣さん、志尊淳さんの演技も光っています。シンガーソングライターあいみょんさんの主題歌「愛の花」もこの物語にぴったりで、勇気をもらえます。

主人公の成長する過程もよくわかり、「大河小説」「教養小説」の要素も備えていますので、こちらの方がよっぽど「大河ドラマ」にふさわしいと私は思います。

「どうする家康」の脚本家・演出家は、ぜひ参考にすべきです。

私は昔からNHK大河ドラマのファンで、1964年の「赤穂浪士」などは今でもよく覚えています。

「国盗り物語」「春日局」「秀吉」「篤姫」も良かったし、最近では「真田丸」「麒麟がくる」「青天を衝け」「鎌倉殿の13人」もなかなか力作でした。

特に「鎌倉殿の13人」は、一般には実像があまり知られていない北条義時を主人公に据えて、面白い群像劇に仕上げた脚本家の三谷幸喜氏の力量に感服したものです。

今年の「どうする家康」も大いに期待していました。

しかし3月19日放送の第11回まで見てきて、「あまり面白くない・つまらない」「軽すぎるコメディータッチやラブストーリー的な脚本が大河ドラマにそぐわない」「ありえないようなフィクションが多すぎて違和感がある」というのが、私の正直な印象です。

そこで今回は、「どうする家康」の「面白くない・つまらない原因」と「改善策」について考えてみたいと思います。

なお、主要な登場人物の相関関係については「NHK大河ドラマどうする家康の主な登場人物・キャストと相関関係をご紹介。」という記事に書いていますので、ぜひご覧下さい。

またそれぞれの人物の詳細については、このブログ記事の最後に該当する記事ご紹介しています。

1.面白くない・つまらない原因

(1)徳川家康(1543年~1616年)の人物像が不可解

①家康があまりにも頼りなく優柔不断なダメ人間に描かれている。

幼少期はともかく、成長してからは家康も自主的な判断ができるようになったはずで、いつまでたっても(20歳を過ぎても)頼りなく優柔不断なのは不自然です。

「こんな状態で本当に天下人になれる(なれた)のか?」と無用な心配をしたくなるほどです。何をきっかけに変身するように描くのでしょうか?

②家康が人質に取られた今川義元(1519年~1560年)を、死後もなお熱烈に敬愛しているように描かれている。

実際は、今川義元が織田信長(1534年~1582年)に討たれるというまさかの事態に遭遇した時、家康は「人質から解放される絶好の機会」と状況を冷静に判断して、岡崎城で独立。今川氏を見限って、織田氏との同盟に踏み切っています。

家臣たちが岡崎に帰りたがっているにもかかわらず、妻の瀬名や子供たちのいる「駿府に戻りたい」と駄々をこねるように描かれたのは、全く理解に苦しみます。

③家康が人質に取られた織田信長のBL(ボーイズラブ)の相手風に描かれている。

今川義元ほどではないにしても、家康は信長からも何らかの影響を受けたと思われます。「俺の白兎」というBLや、なぶりものにされてただただ恐怖心を植え付けられただけのような描かれ方には違和感を覚えます。

「桶狭間の戦い」(1560年)の後に、対等な立場での「清州同盟」(1562年)を結ぶようになる連続感が全くありません。

④瀬名(築山殿)との関係が、「相思相愛」のラブストーリー仕立てに描かれている。

人質に取られていた今川家の家臣の娘との間で、「相思相愛」のラブストーリーが生まれるとは到底考えられませんし、そのような記録もありません。

むしろ無理やり結婚させられて複雑な心境だったというのが真相ではないかと思います。だからこそ、後年の「築山殿事件」(1579年)で瀬名の殺害を命じるに至ったと思われます。

⑤今川義元の薫陶を受けた割には、民を慈しむわけでもなく、「主君意識」が強く描かれている。

今川義元から、「主は民」と教えられたように描かれていますが、「三河一向一揆」(1563年~1564年)は「主はわしじゃ」と述べ、寺院の「不入(ふにゅう)の権」(徴税拒否権)を否定して強制徴収したことがきっかけとなっています。

⑥家康が経験を重ねるごとに、徐々に成長し、「タヌキおやじ」と呼ばれる狡猾でしたたかな戦国武将になって行く姿を描いてくれると思ったが、相変わらず人質時代の頼りない家康のままで、一向に代わり映えがしない。

⑦今川義元の人質時代に、氏真と本気で対決して「実はとんでもなく強かった」というのは、織田信長の人質時代に「白兎」としていたぶられていた姿からはとても想像できない違和感がある。

「いじめられっ子」が、急に無敵の「正義の味方」に変身したようで、不自然です。

⑧松本潤の演技が下手なこともあるが、家康の人物像が全く伝わってこない。

「どうする、どうする」とか言っている間に、何となく難事が過ぎてしまうように描かれていて、肝心の「家康がどのように判断して決断を下し、どのようにして困難に打ち勝ったのか?」が全くわかりません。

「家康の人物像が全くにじみ出て来ない」というのが私の正直な実感です。

「松平」から「徳川」への改名(1566年)は、実際は家康が「征夷大将軍」を目指す布石として「源氏の末裔という家系」が必要で、公家の近衛前久の仲介で金で買ったもの。

しかし「どうする家康」では、家康は「源氏の末裔」かどうかには無頓着で、「松平家が源氏の流れなんて怪しいもんじゃ」と放言しています。

実際は23歳にして「征夷大将軍」への野心を秘めた「徳川への改名」の史実を全く無視した脚本です。家康が「吾妻鏡」を愛読して、「源氏の末裔」という家系の重要性を認識していたのを全く見落としています。

(2)寺島しのぶの「講談調ナレーション」が鼻に付く

①「我らが神の君」という表現は、家康を「神の君」などと思っていない私には気に入らない。

②素人が力んで講談調にするのは「変な大阪弁(関西弁)」と同様に聞きづらい。「いだてん」でビートたけしが古今亭志ん生の真似をして大失敗だった「二の舞」。

もしどうしても講談調にしたいのであれば、若手講談師・神田伯山を使った方がまだましです。

(3)豊臣秀吉(1537年~1598年)の人物像が不可解

秀吉が憧れているお市の方の話題を、お市と結婚する可能性のあった家康にする時、下品で卑猥な表現があった。

実際、秀吉は好色でそういう下品な話もした可能性がありますが、NHK大河ドラマでやる必要があるのか、またそれが適切な表現なのかは多いに疑問です。

②まだ側近でもない秀吉が、スポークスマンのように信長の戦略を得々と家康に解説するのが不自然。上洛前なら足利義昭との仲介をした明智光秀が出て来ないのも不自然。

③ついこの間まで、柴田勝家などの織田家重臣から「猿」と呼ばれてこき使われていたのに、いつの間にか側近気取りになっており、展開があまりにも早すぎる感がある

④「桶狭間の戦い」の勝因は、「山の民」出身の秀吉による巧妙な戦術だという説(加藤廣の「空白の桶狭間」)もあるように、戦術・戦略に長けていたことは事実。

しかし「どうする家康」では「桶狭間の戦い」も単に「信長による奇襲作戦」という月並みで雑な描き方に終わっています。

(4)時代考証がおかしい

①信長が「桶狭間の戦い」の後に、家康の前に現れた時、「南蛮マント」を着ているのはおかしい。

織田信長といえば、南蛮胴と黒のマントを身にまとい、ワインを堪能している姿を思い浮かべる人も多いでしょう。

南蛮胴と黒のマントを着用した信長といえば、映画「影武者」(1980年公開)における隆大介さんが有名です。この映画がきっかけとなり、テレビや映画に登場する信長は、おおむね南蛮胴と黒のマントを身にまとうことになりました。

しかし、文献上は、南蛮胴と黒のマントは信長の死後に伝わったとされ、信長が着用した可能性は極めて低いと考えられます。

②信長の火縄銃が、「単発式」でなく「連射式」になっているのもおかしい。

当時は「単発式」しかなく、信長は射撃手を三段構えにして切れ目なく射撃できるようにしたと言われていますが、「連射式」はまだありませんでした。

(5)「桶狭間の戦い」や「三河一向一揆」など重要な出来事の描き方が雑すぎる

①いくら家康が主人公としても、「桶狭間の戦い」(1560年)をきちんと描いていないのはおかしい。

また「桶狭間の戦い」で今川義元が死んだと知らされた時、家臣たちは岡崎へ帰りたがったのに、家康は自身の人質解放の好機と考えず、駿府に帰りたがったように描かれているのは不自然です。

②「三河一向一揆」(1563年~1564年)の和議のあとの処理も、「元に戻す」という和議条件をどうごまかすかを本多正信の入れ知恵で「元の野原に戻す」ことにしたとさらっと触れただけです。

後の「大坂の陣」での外堀・内堀埋めを彷彿とさせるような狡猾な家康の戦術(「元に戻す」とは「元の野原に戻す」ことだという詭弁)を強調せず、改宗を拒否した城郭のような一向宗の寺院をことごとく破却し、僧侶を追放したこと、また以後の三河では、20年にわたって本願寺教団の活動を禁じたことは全く説明していません。

③本来は、まず幼少期の竹千代を別の子役が演じて、今川方に人質に取られる途中で織田方に奪い取られ、その後織田信広との人質交換によって今川方の人質となり十数年に及ぶ人質生活を送るので、その間の心の揺れを描くのが筋。

最初から「桶狭間の戦い」では唐突感がぬぐえず、視聴者はついていけません。

(6)信長の登場が単発的で唐突感がある

①信長は突然に「鷹狩りをする」と称して、三河領内で捕えた忍びの者を家康に見せたり、別の回では「鷹狩りをする」と称して家康に上洛の計画を打ち明けたりと唐突感がある。

②家康の動向と同時に、信長や武田信玄などがその時どのような動きをしていたのかも、アナウンサーによるナレーションでもよいので、わかりやすく説明しないと視聴者は置いてきぼりになる。

(7)物語の本筋と関係のない無用な場面が多すぎる

①瀬名とお田鶴との仲の良かった子供時代の回想などが多すぎる。

その割になぜお田鶴が頑強に家康に抵抗したのか、城に火を放って城門を開いて突撃するほど追い詰められたのかの状況説明がないので、実態がよくわかりません。

家康がお田鶴を助けようとおろおろする姿も不可解なばかりです。

②信長が人質時代の家康(竹千代)を「俺の白兎」と呼んでいたぶる場面が何度も出てくる。

③人質時代の家康(竹千代)が瀬名と「ままごとあそび」をしている場面が出てくる。少年期を別の子役が演じるのであれば、あり得ない話ではないが、松本潤と有村架純がすると非常に違和感がある。

④家康の最初の側室お葉(西郡の局)が同性愛者のような設定になっているが、最近LGBTQが話題になっているとはいえ、史実も明らかでないこの設定は不可解。

「男色」は当時広く行われていて、徳川家光の乳母・春日局(春日局は家康の愛妾で、家光は家康と春日局の間に生まれた子だったのではないかと私は推測しています)が家光の男色をやめさせるために側室を次々にあてがった話は有名です。

また江戸時代には稚児をめぐる若侍同士の刃傷事件があり、殺された若侍の幼い息子が「仇討の旅」に出て、苦労の末に敵討ちを見事に果たすという話もあります。

また、於大の方や瀬名などから女性らしい仕草を指南されたのに、操り人形のようなわざとらしいぎこちない動作をするのには失笑を禁じ得ませんでした。

一方、よく気がつき、鼻緒の切れる時期を予期していたり、肩が凝っている場所を心得ていたりと優秀な秘書のような場面もありましたが、落差が大きすぎます。

その後女児を出産するも、恋しい相手が同僚の下女であると家康にカミングアウトして側室を辞退したいと話し、「御手打ちを」と願い出るのや、相手の下女が「私こそ御手打ちを」などと言うに至ってはドン引きです。

また、それを家康が許すという話でしたが、全く理解不能です。

(8)物語の本筋と関係のないコミカルな場面が多すぎ、しかもすべっている

①酒井忠次が面白くもない「えびすくい」の踊りを踊る場面が多すぎる。

②家康が武田信玄よりずっと格下で信玄の重臣・穴山梅雪山県昌景と同程度と酒井忠次石川数正が背比べのように比較する場面。

(9)オープニングCGが軽くお粗末すぎる

「鎌倉殿の13人」のオープニングは緻密に作り込んだ印象があるが、「どうする家康」のオープニングCGは薄っぺらで軽い。

なお、「どうする家康」ではCGを多用しており、信長の騎乗シーンもCGだそうです。本来の戦国時代を描く大河ドラマの魅力である迫力に欠けます。

(10)テーマ音楽の印象が薄い

「鎌倉殿の13人」のテーマ曲は重厚で高揚感もあり強く印象に残っているが、「どうする家康」のテーマ曲は印象に残らない。


(11)脚本・演出が悪い

(12)主演の松本潤の演技が下手過ぎる

(13)ありえないようなフィクションが多すぎて違和感がある

①武田信玄が対面場所から離れた家康と家臣のいる森の中に現れ、信玄が家康に団子を食べさせ、栗を瀬名への土産として渡す場面。

2.改善策(私の個人的な意見)

(1)無用なフィクションや明らかに歴史と異なるフィクションは入れないこと

「大河ドラマ」にもある程度フィクションが入るのはやむを得ませんが、あまりにも歴史上の事実を無視したフィクションはやめるべきです。

やはり日本の歴史上最大の人物の一人である徳川家康をモデルにするからには、ベースとして本当の史実に忠実でないと、違和感が広がるばかりです。

(2)うぶな家康がいかにして狡猾なタヌキおやじの戦国大名になり上がったかの過程をわかるように描くこと

私は「大河ドラマ」とは「大河小説」や「教養小説」のようなもの(であるべき)だという考えを持っています。

主人公が成長する過程を通じて、人間がどのように変貌していくかを示すドラマだと思っています。

その意味で、いつまでも一本調子の「頼りない家康」では見ごたえがありません。このままでは失敗作だった「いだてん」の二の舞になりかねません。

(3)群像劇として成功するには、登場人物の相互関係を浮き彫りにするような演出が必要

今のままでは、信長や秀吉、信玄が活発に動いているのに比べて、家康は自分の意思を明確に出さない影の薄い存在として描かれています。

しかし、これは歴史的事実とは明らかに異なっています。「どうする家康」というタイトルの自縄自縛に陥っているのでしょうか?

私がこのドラマに期待していたのは、現代の経営者にも参考になるような「危機に直面した時のリーダーの状況判断と決断力」を家康が示すのを見ることでした。

今のところ、それは期待外れだったようです。

(4)各話ごとに、時代背景を説明するアナウンサーによるナレーションを入れること

寺島しのぶの「講談調ナレーション」だけでは時代背景の説明が不十分であり、アナウンサーによるオーソドックスなナレーションが不可欠です。

特に今回の「どうする家康」のように、話が急に飛んだりすることがあるので、その時代の近隣戦国武将たちの状況や時代背景を丁寧に説明しないと、視聴者は置いてきぼりになります。

たとえば、信長が上洛を目指す京では、当時「戦国時代最初の天下人」である三好長慶(居城は高槻の芥川山城)がいましたが、このような時代背景は全く説明されていません。

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