<小学唱歌集 初編 明治14年(1881年)>
1.明治時代初期の「翻訳唱歌」
明治時代初期に刊行された音楽教科書「小学唱歌集」では、欧米列強の進んだ音楽教育を取り入れるべく、ドイツやスコットランドなどの外国民謡を原曲とする海外由来の唱歌が数多く取り入れられました。これがいわゆる「翻訳唱歌」です。
なお、太字の曲名は現代における曲名であり、その下の説明文では「当時の曲名」、その次に原曲名を記載しています。
(1)小学唱歌集 初編 明治14年(1881年)
①むすんでひらいて
当時の曲名『見わたせば』/原曲:讃美歌『Lord, dismiss us with Thy blessing』
『むすんでひらいて』は、18世紀フランスのオペラを原曲とする日本の童謡です。
海外では讃美歌『主よ、汝の祝福で我らを解き放ちたまえ Lord, dismiss us with Thy blessing』として定着しており、日本へは19世紀後半に伝えられました。
アメリカでは、『むすんでひらいて』は童謡『ロディーおばさんに言っといで Go Tell Aunt Rhody』としてアレンジされました。カプコンのゲームソフト「バイオハザード7 レジデント イービル(BIOHAZARD 7 Resident Evil)」テーマ曲としても有名です。
②ちょうちょう
『蝶々』/原曲:ドイツ歌謡『Hänschen klein』
童謡・唱歌『ちょうちょう(蝶々)』は、明治維新以降の日本の音楽教育において初となる音楽教科書「小学唱歌集」(明治14年)上で初めて日本で広められました。
江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が1867年に大政奉還を行ってから5年後の1872年、学制が発布され、小学校の一教科として唱歌(音楽の授業)が定められました。
しかし、当時は音楽を教えられる教師もおらず、十分な音楽教材や設備もなかった時代。実際に音楽(唱歌)の授業が行われることはありませんでした。
それから2年後の1874年(明治7年)、アメリカの教育体制を学ぶべく伊沢 修二(いさわ しゅうじ)(1851年~1917年)がアメリカへ派遣されました。
帰国した伊沢は1879年、音楽教員を養成する日本初の機関「音楽取調掛(のちの東京音楽学校)」を設立。日本における音楽の教育体制は着々と整えられていきました。
そしてついに1881年(明治14年)、日本初となる「小学唱歌集」が刊行されました。選曲にあたっては、アメリカにおける音楽教育の第一人者ルーサー・メーソンの助力を得て、『ちょうちょう(蝶々)』、『蛍の光』、『むすんでひらいて』など、外国曲のメロディに日本語の歌詞をつけた和洋折衷の楽曲が数多く取り入れられました。
③蛍の光 ほたるのひかり
余談ですが、「蛍の光」については「蛍の光には3番・4番の歌詞がある!戦後、歌詞が抹消・改作・改変された唱歌」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。
『蛍』/原曲:スコットランド民謡『Auld Lang Syne』
『蛍の光(ほたるのひかり)』は、1881年(明治14年)に「小学唱歌集初編」で発表された日本の唱歌で、卒業シーズンに歌われる卒業ソングの定番曲です。
原曲は、スコットランド民謡『オールド・ラング・ザイン Auld Lang Syne』。日本語歌詞の作詞者は国学者・教育者の稲垣 千穎(いながき ちかい)(1845年~1913年)。
原曲のスコットランド民謡『オールド・ラング・ザイン Auld Lang Syne』を三拍子に編曲した『別れのワルツ』は、閉店・閉館時のBGMとしてよく用いられます。
『別れのワルツ』編曲者は、2020年のNHK朝ドラマ「エール」で主人公のモデルとされた古関裕而(こせき ゆうじ)です。
ちなみに原曲のスコットランド民謡は、アメリカやイギリス、スコットランドなど英語圏の国々では、大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われる新年ソングとなっています。
なお、冒頭の歌詞「蛍の光 窓の雪」は、中国の故事・ことわざ「蛍雪の功(けいせつのこう)」の内容に基づいています。
④スコットランドの釣鐘草
『うつくしき』/原曲:スコットランド民謡『The Blue Bells of Scotland』
『スコットランドの釣鐘草(つりがねそう)/The Blue Bells of Scotland』は、戦争に徴兵されていった恋人を思い、彼の帰りを健気に待つ女性の心境を描いたスコットランド民謡です。
日本では、稲垣千頴と野口耽介によって、明治14年頃に『美しき』というタイトルで紹介されました。
タイトルの「釣鐘草(つりがねそう)」は、スコットランドの国花。キキョウ科ホタルブクロ属の多年草で、ヨーロッパ北部、北アメリカ北部、シベリアなど、冷涼な気候を持つ地方が原産地です。
⑤美しいドゥーン川の岸辺
『思ひいづれバ』/原曲:スコットランド民謡『Ye Banks and Braes』
『美しいドゥーン川の岸辺 Ye Banks and Braes / The Banks O’ Doon』は、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns)(1759年~1796年)の詩によるスコットランド民謡です。
ドゥーン川(River Doon)とは、スコットランド南西のクライド湾 (Firth of Clyde)に面するエアシャー(Ayrshire)地方を流れる川。ドゥーン湖(Loch Doon)から23マイル流れ、クライド湾へ注いでいます。
ちなみに、ドゥーン川の途中にあるアロウェイ(Alloway)には、ロバート・バーンズの生家があり、「ロバート・バーンズ生家博物館(Robert Burns Birthplace Museum」として公開されています。
ロバート・バーンズの詩に基づくスコットランド民謡としては、他にも『蛍の光 Auld Lang Syne』、『故郷の空』などが有名です。
(2)小学唱歌集 第二編 明治16年(1882年)
①霞か雲か かすみかくもか
同上/原曲:ドイツ歌曲『Alle Vögel sind schon da』
『霞か雲か(かすみかくもか)』は、1883年(明治16年)に発表された明治時代の小学唱歌(作詞:加部巌夫)。歌い出しは「かすみか雲か はた雪か」。
その後1892年(明治25年)には幼稚園唱歌として小鳥を題材とした『小鳥の歌』(作詞:大和田建樹)として出版されました。歌い出しは「小鳥の歌は いともたのし」。
現代版の歌詞は、1947年(昭和22年)発刊の音楽教科書に掲載されたもので、作詞は勝 承夫。歌い出しは「かすみか雲か ほのぼのと」。
②あの雲のように(人生を楽しみたまえ)
『年たつけさ』/原曲:ドイツ歌謡『Freut euch des Lebens』
『あの雲のように』は、ドイツ歌曲『Freut euch des Lebens』を原曲とする日本のリコーダー曲。小学校の音楽の授業などで演奏されます。
リコーダーの授業で「シーシドシドレーレレー♪」と音階で覚えながら演奏した記憶がある方も少なくないでしょう。
日本で初めて広まったのは明治16年(1882年)。音楽教科書「小学唱歌集 第二編」の中で、『年たつけさ』の曲名で初めて掲載されました。
このほか、『白バラの匂う夕べは』として日本語の歌詞もつけられています。小学校などの教育現場では、フォークダンス『みんな楽しく』のメロディとしても活用されているそうです。
③リンカンシャーの密猟者
『遊猟(ゆうりょう)』/原曲:イングランド民謡『The Lincolnshire Poacher』
『リンカンシャーの密猟者 The Lincolnshire Poacher』(リンカーンシャー・ポーチャー)は、18世紀頃から伝わる古いイギリス民謡(イングランド民謡)。 吹奏楽・行進曲としての演奏機会が多いようです。
イギリスの短波放送では、秘密情報部(Secret Intelligence Service/SIS)の運営とされる乱数放送(暗号放送/Numbers Station)において、『The Lincolnshire Poacher』のメロディの一部が用いられています。
リンカンシャー(Lincolnshire)とは、イングランド東部に位置する歴史あるカウンティ(州)のことです。
州都リンカン(リンカーン/Lincoln)には、1095年に最初に建てられたリンカン大聖堂(Lincoln Cathedral)があり、1311年に中央の塔が建てられた当時は、世界で最も高い建造物でした。
なお、リンカンシャーを題材とした吹奏楽曲としては、パーシー・グレインジャーが1937年に作曲した『リンカンシャーの花束 Lincolnshire Posy』が日本でも有名です。
④神の御子は今宵しも
『榮行く御代(さかゆくみよ)』/原曲:イングランド讃美歌『O Come, All Ye Faithful』
『O Come All Ye Faithful』(オー・カム・オール・イ・フェイスフル)は、イギリスに伝わる古いクリスマスキャロル・讃美歌です。
邦題は『神の御子は今宵しも(かみのみこは こよいしも)』です。
オリジナルの歌詞はラテン語『Adeste Fideles(アデステ・フィデレス)』で、ラテン語のままで歌われる機会も多いようです。
英語訳は、イングランド・カトリック教会の聖職者フレデリック・オークリー(Frederick Oakeley)版が有名です。
(3)小学唱歌集 第三編 明治17年(1884年)
①あおげば尊し
『あふげバ尊し』/原曲:アメリカ歌謡『Song for the Close of School』
『仰げば尊し(あおげばとうとし)』は、明治時代から伝わる定番の卒業ソング・卒業式の歌です。
原曲は、19世紀アメリカの合唱曲『Song for the Close of School』です。
かつては卒業式といえば『蛍の光』か『仰げば尊し』が歌われていたものですが、歌詞の古臭さや時代の変化を理由として、あまり公式行事の中で歌われなくなっているようです。
②アニーローリー
『才女』/原曲:スコットランド民謡『Annie Laurie』
スコットランド民謡『アニーローリー』に登場するのは、マクスウェルトン家の長女Annie Laurie(アニーローリー)。
1682年生まれの実在の人物で、数多くの男性から求婚を受けるほどの美人だったということです。
そんな彼女の魅力に惹かれた男性の中に、フィンランド家出身の詩人ウイリアム・ダグラス(William Douglas of Fingland)がいました。
アニーローリーとダグラスはお互いに愛し合い、二人は将来を誓い合っていました。しかし、運命のいたずらが二人の仲を阻みました。
当時のスコットランドは、断続的に内戦が続く混乱の時期。それぞれが属する氏族単位でまとまって、国を分ける大きな戦争を繰り広げていました。
運が悪いことに、ローリーとダグラスの二人の父親は互いに対立するclan(クラン)に属していたため、二人の結婚が許されることは到底適わぬことでした。
結局アニーは、父親の政略的な思惑も絡んで、1710年にクレイグダロック(クレイグダロッホ)の領主アレクサンダー・ファーガソン(Alexander Fergusson)と結婚しました。
残されたダグラスは、愛するローリーのことが忘れられず、彼女への熱い思いを一遍の詩に託しました。ダグラスの思いは、スコットランド民謡「アニーローリー」として、後世に歌い継がれることとなりました。
なお、メロディーは、スコットランドの女流音楽家Lady John Douglas Scott(ジョン・ダグラス・スコット夫人)により1838年頃につけられたものです。その際、歌詞も一部修正・追加されています。
③庭の千草
『菊』/原曲:スコットランド民謡『The Last Rose of Summer』
『庭の千草(にわのちぐさ)』は、1884年(明治17年)発行の「小学唱歌集(三)」に『菊』として掲載された日本の唱歌です。
原曲は、アイルランド民謡(歌曲)『夏の名残のバラ(夏の最後のバラ)』です。
作詞者(訳詞者)は、イギリス民謡『埴生の宿(はにゅうのやど)』訳詞でも知られる明治時代の文学者・里見義(さとみ・ただし)(1824年~1886年)です。
歌詞の内容は、原曲のアイルランド民謡『夏の名残のバラ』をある程度踏まえた内容となっています。
④野ばら(ヴェルナー)
『花鳥』/原曲:ドイツ歌曲『Heidenröslein』
「童は見たり(わらべはみたり) 野なかのばら」の歌い出しで知られるドイツ歌曲『野ばら Heidenröslein』です。
日本ではシューベルト版(1815年)と並び、ハインリッヒ・ヴェルナー(Heinrich Werner)(1800年~1833年)によるメロディーが広く知られています。
ヴェルナーの故郷キルホームフェルト(Kirchohmfeld)には、野バラに囲まれた記念の石碑が置かれています。
ヴェルナーの父は教師で、プロテスタント教会のオルガニスト兼合唱隊指揮者を務めていました。彼の兄弟はすべて音楽関連の職業についた音楽一家です。
父親から音楽の教育を受け、すでに11歳の時には村の教会でオルガンを弾いていたというヴェルナー。15歳のときにアンドレアスベルグの少年聖歌隊に入隊しました。
21歳頃から教職試験の勉強を始め、翌年に合格した後、兄の住むブラウンシュバイッヒに移り住みました。そこでオペラハウスのコーラス団長となり、並行して音楽教師として働き始めました。
シューベルトに感化されて作曲されたヴェルナーの「野ばら」は、彼が指揮を務めたブラウンシュヴァイク男性合唱団により1829年に初演され、すぐに人気を博して有名になりました。その後ドイツ各地で公演していた彼ですが、32歳頃に肺結核にかかり、翌年(1833年)に帰らぬ人となりました。
2.明治初期の小学唱歌に「スコットランド民謡」が多い理由
「小学唱歌集」が出版された明治初期当時の一般的な日本人にとっては、西洋音楽の音階や調性はあまり馴染みがないものでした。
そのため、欧米列強の音楽教育をそのまま取り入れても、多くの日本人にとってその習得は非常にハードルが高い状況にあったと言えます。
そんな中、『蛍の光』などの「スコットランド民謡」は、ペンタトニック・スケール(Pentatonic scale)と呼ばれる「五音音階」が用いられており、これは日本の雅楽や民謡などの一部にも見られる「ヨナ抜き音階」と同じであったため、明治時代の音楽教育に最適な教材として積極的に用いられました。
これが、明治初期の「小学唱歌集」において、「スコットランド民謡」を原曲とする唱歌がが多い大きな理由と考えられます。
3.中学校向けの音楽教科書
「小学唱歌集」の出版後、東京音楽学校の編纂によって、1889年に『中等唱歌集』、1901年に『中学唱歌』、1909年に『中等唱歌』が出版され、尋常中学校向けの音楽教科書が整備されていきました。
翻訳唱歌であった「小学唱歌集」と同じく、『中等唱歌集』でも海外の民謡やモーツァルトの楽曲などの西洋音楽が積極的に取り入れられました。
『中等唱歌集』に収録された唱歌としては、イギリス歌曲(オペラのアリア)『Home, Sweet Home』を原曲とする『埴生の宿(はにゅうのやど)』が有名です。
日本では『埴生の宿(はにゅうのやど)』として知られる『Home, Sweet Home(ホーム、スイート・ホーム)』は、1823年初演のオペラ「ミラノの乙女(Clari, Maid of Milan)」の中で歌われた歌曲です。
作曲は、イングランドの作曲家ヘンリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop)(1786年~1855年)。作詞は、アメリカのジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne)(1791年~1852年)。
ちなみに、『中等唱歌集』、『中学唱歌』が編纂された当時、東京音楽学校には瀧廉太郎(たき れんたろう)が在籍していました。
瀧廉太郎の代表曲『荒城の月』および『箱根八里』は、この『中学唱歌』向けに作曲された作品です。