日本語の面白い語源・由来(い-④)引導を渡す・唯々諾々・一目散・韋駄天・印税

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引導を渡す

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.引導を渡す(いんどうをわたす)

引導を渡す

「引導」は、「誘引開導(ゆういんかいどう)」という言葉に由来しています。「誘引開導」とは「人々を仏の教えに導くこと」という意味です。

「誘引開導」の「誘引」には「誘い入れること」という意味が、「開導」には「堀などを作り、水が流れるようにすること」「人が知識や経験を広げられるように指導すること」という意味があります。

「誘引開導」の出典は、仏教の二大流派のうちのひとつである、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の重要な経典のひとつとされている法華経(ほけきょう)にある、方便品(ほうべんぽん)というお経であるとされています。

引導を渡す」とは、諦めるよう最終的な宣告をすることです。

引導を渡すの原義は、人々を導いて仏道に入れることです。

そこから、葬儀の時、導師の僧が棺の前で、死者が迷わず悟りを開くよう法語を唱えることを意味するようになりました。

これは死んだことを分からせる儀式であるところから、残りの命がないことを分からせる意味でも用いられるようになりました。

更に、将来の見込みのない人に対し、諦めるよう最終的な宣告をすることも「引導を渡す」と言うようになりました。

葬儀の引導渡しの際に「喝!」という言葉を発し、この世の未練を断ち切らせる場合が多いようです。各宗派によって具体的な内容が異なっており、引導そのものがない場合もあります。

引導の儀式の際、松明を用いて投げる行為が一緒に行われます。これは古代中国の黄檗希運禅師の逸話に由来しており、禅師が発した引導法語で行われています。

浄土宗でも禅師の逸話に由来しており、「引導下炬(いんどうあこ)」と呼ばれています。 松明に見立てたもの2本を用い、この世を離れることを意味してそのうち1本を捨てます。 もう1本で円を描きながら法語を唱えて、その後捨てるという儀式が行われています。

浄土真宗では、死後は必ず浄土へ行けるとの考えから引導がありません。

時折、音が似ていることから「引導を渡す」を「印籠(いんろう)を渡す」と間違えてしまう人もいますが、誤用です。

印籠

「印籠」は「渡す」のではなく「目に入らぬか」と聞くものです。ただし、これは『水戸黄門』というドラマや映画での話で、実際の「印籠」は薬などを携帯するための小さな容器です。

2.唯々諾々/唯唯諾諾(いいだくだく)

唯々諾々

唯々諾々」とは、何事にも他人の言いなりになるさまのことです。

唯々諾々の「」には「ただ」「ひたすら」という意味のほか、即座に「はい」と返事をする意味があり、「唯々」で「はいはい」とすぐさまに返事をすることを表します。

」は引き受けることを意味し、「諾々」で「かしこまりました」と承知することを表します。

この二つが合わさった「唯々諾々」は「はいはいかしこまりました」で、少しも逆らわずに他人の言いなりになるさまの意味となります。

組織の中で、人間関係を重視し、仕事をスムーズに進めることは大変重要です。少々理不尽に思っても、大局を見た上でぐっと堪えて指示に従うこともあるでしょう。しかし、現代における「唯々諾々」という言葉のニュアンスは、決して肯定的なものではありません。

考えずに従っている人を批判するような使い方が多いと思われます。由来を見るとこの言葉は、権力者の立場から部下を指示に従わせることの重要性を説いたものです。現在のネガティブなニュアンスはここから当然生まれたものとも、視点が逆転してしまったものにも思えます。

唯々諾々という「四字熟語」も、中国の古典に由来する故事成語で、「韓非子(かんぴし)」に「此れ人主、未だ命ぜずして唯唯、未だ使わずして諾諾」と出てきます。

韓非子は、春秋戦国時代の「百家争鳴」といわれる中国思想の全盛期に生まれた思想家・韓非の著作です。

韓非は儒家・荀子(じゅんし)に学んだ人です。性善説の孟子、性悪説の荀子で有名ですが、性悪説は決して「人間は悪い者」と言う内容ではなく、法を重視します。

韓非もまた法を重視し、君主の権力を法により体系化しようとしました。これだけ聞くと、人々を苦しめる権力の強化について書かれたものかと思うかもしれませんが、戦乱の世において国の力を強化することは大変切実な問題でした。

韓非子のうち、八つの悪事と、悪事から権力を守る方法について述べた「八姦篇」に「唯々諾々」が初めて登場します。「八姦篇」の二番目、君主側近を利用する「在旁」(ざいぼう)という悪事について触れた箇所に記載があります。

側近はもともと、命令を受ける前から先回りして従う連中ですが、これら側近を利用した悪事を働かせないための対策が書かれています。それは、「側近を実際に働かせる。言葉通りの行動を求める。余計なことを言わせない」というものです。

ですから、「唯々諾々」という言葉は、側近たちを君主の命令通り確実に動かし、権力を保持するための重要な理念なのです。

3.一目散(いちもくさん)

一目散

一目散」とは、わき目も振らずに必死に走るさまのことです。「一目散に逃げる」など、多くは「に」を伴って副詞的に用います。

一目散は、「一目瞭然」など、ただひと目見ることを表す「一目」と、漢語「逸散(いっさん)」が合わさった語と考えられます。

日本では「逸散」を「一散」とも書き、「一目散」と同じ意味で用いられます。

わき見をしない意味の「一目不散」からとも考えられますが、「一目不散」の使用例が少なく、考えにくい説です。

近世、天候を司るとされた「一目連」という神の名からという説もありますが、「連」から「散」への変化など曖昧な点が多い説です。

4.韋駄天(いだてん)

韋駄天

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は散々な不評でしたね。

韋駄天」とは、足の速い人のたとえです。

韋駄天は、元ヒンドゥー教の神スカンダが仏教に取り入れられ、仏法の守護神となったもののことです。

捷疾鬼(しょうしつき)が仏舎利を盗んで逃げた際、韋駄天が追いかけて取り戻したという俗信から、韋駄天は足の速い神とされました。

そこから、足の速い人を「韋駄天」とたとえ、非常に速く走ることを「韋駄天走り」と言うようになりました。

5.印税(いんぜい)

印税

印税」とは、出版社やレコード会社などの発行者が、定価や発行部数に応じ、著作物の著作者または著作権所有者に対して支払う金銭のことです。

印税は、英語「stamp duty」の訳である「印紙税」の略語で、税金の一種ではありません。
元々は、発行部数の確認のため、著者が書籍の奥付などにに押印したり、押印した紙片(検印紙)を貼っていました。

その印の数に応じて支払いが行われるところが、収入印紙税に似ていることから、「印紙税」と呼ばれるようになりました。

検印紙を貼る印税方式は、明治から昭和40年代中頃まで行われていました。

検印紙が廃止になった以降も、「ロイヤリティー」の意味で「印税」という言葉は残り、書籍に関わらず、作詞家・作曲家・歌手など音楽関係の対価もいうようになりました。

余談ですが、日本で最初に印税制度を定着させたのは夏目漱石です。