日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.瓜二つ(うりふたつ)
「瓜二つ」とは、親子・兄弟などの顔かたちがよく似ていることのたとえです。
瓜を二つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、よく似ているさまを「瓜二つ」とたとえるようになりました。
瓜以外でも、果実の断面はだいたい似ており、瓜が選ばれた理由は不明です。
しかし、古くから美人の一つとされる形容に「瓜実顔(うりざねがお)」があり、余分な悪い意味を含まず使えることから、「瓜二つ」になったのではないかと考えられます。
同じウリ科でも「かぼちゃ二つ」などと言ってしまえば、似ていること以上に、不細工な二人を表すことになりかねません。
「瓜二つ」の形が見られるようになるのは近代に入ってからで、1645年刊の『毛吹草(けふきぐさ)』には「瓜を二つに割りたる如し」とあり、江戸時代の人形浄瑠璃時代物の『源頼家源実朝鎌倉三代記』には「見れば見るほど瓜を二つ」という形で見られます。
2.泡沫(うたかた)
「うたかた」とは、水面に浮かぶ泡。儚く消えやすいことのたとえです。
鴨長明の『方丈記』の冒頭にも、「ゆく河のながれは絶えずして、しかもゝとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし」とあります。
また当選する見込みが極めて薄い選挙立候補者のことを「泡沫候補(ほうまつこうほ)」と言いますね。
うたかたは、元は水面に浮かぶ泡をいう語ですが、古くから、消えやすく儚いもののたとえとしても用いられています。
うたかたの語源には、「ウクタマカタ(浮玉形)」の転、「ウキテエガタキモノ(浮きて得がたきもの)」の略、「ワガタ(輪型)」の「ワ」の延音「ウタ」、「ウツカタ(空形)」の転など多くの説があります。
古くは「うたがた」とも言ったことから、「かた」は「形・型」の意味と考えられますが、「うた」については未詳です。
漢字の「泡沫」は、意味からの当て字です。
3.嬉しい(うれしい)
「嬉しい」とは、 物事が自分の望みどおりになって満足であり喜ばしい、自分にとってよいことが起き愉快で楽しいということです。また、相手から受けた行為に感謝しているという意味(有り難い、もあります。
俗な言い方で、かわいいにくめないという意味もあります。(例文「何と嬉しい男じゃないか」)
うれしいの「うれ」は、「心」の意味の「うれ(うら)」が語源と考えられます。
「心(うれ・うら)」に由来すると思われる感情を表す言葉には、「うれい(憂い・愁い)」「うらめしい(恨めしい)」「うらやましい(羨ましい)」などがあります。
嬉しいの漢字「嬉」の「喜」は、「ごちそうを盛ったさま」+「口」の会意文字で、笑って食事をすることを示します。
「嬉」は「女」+「喜」で、女性と楽しんだり、女性がにぎやかに笑う意味を表しています。
4.雲泥の差(うんでいのさ)
「雲泥の差」とは、非常に大きな隔たり・違いがあることです。
雲泥の差は、雲と泥の比較ではなく、「雲」は「天」、「泥」は「地」を表し、天と地ほどの差があるという意味からです。
白居易の詩『傷友』にある「今日長安の道、対面雲泥を隔つ」が語源といわれます。
日本で最古の使用例は、菅原道真作の漢詩文集『菅家文草』にある「雲泥、地の高く卑きことを許さず」という句です。
なお、「月と鼈」という言葉も、「比較にならないほど二つのものの違いが大きいこと」で、同じような意味です。
5.姥桜/うば桜/乳母桜(うばざくら)
「姥桜」とは、ソメイヨシノなどのヒガンザクラやウバヒガンなど、葉が出るよりも先に花が咲く桜の通称です。
娘盛りが過ぎても、なお色気が残っていて美しい女性という意味もあります。
姥桜は、花の盛りに葉がない桜を、歯のない姥にかけたものです。
人間にたとえた「姥桜」ですが、それが反対にたとえとして使われ、かなりの年増でありながら艶かしい女性のことも言うようになりました。
年齢の割に色気が残っている女性をいう「姥桜」は、本来、桜の美しさにたとえた褒め言葉です。
誤解している方もおられると思いますが、幕末のころに「ソメイヨシノ(染井吉野)」がエドヒガンとオオシマザクラの交配で作られる前は、日本人にとって「桜」と言えば葉が花より前(ないし同時期)に出る「山桜」のことでした。本居宣長の愛した桜も山桜です。
余談ですが、「山桜」は「出っ歯」の俗語です。「歯が鼻より先(歯が鼻と同時)に出る」ということです。
しかし、現代では美しさを表す「桜」よりも、老いを表す「姥」に重点が移り、年甲斐もなく若作りをしている女性を指すことが多くなりました。
また、「年の割に」というニュアンスが含まれるため、褒め言葉のつもりであっても、「姥桜」を使うことは好ましいと言えません。