日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.形見(かたみ)
「形見」とは、死んだ人や別れた人を思い出すよすがとなるもの、残された品、遺品、遺児、過去を思い出させる記念の品のことです。
形見は文字通り、「形を見る」という意味から生じた語です。
残された品を見ることでその人の思い出し、形(その人)が見えてくるようなものなので、「形見」と呼ばれるようになりました。
「形見」の漢字は当て字で、本来は「片見」と書き、真の友は一つの品物を半分に分けて所持する習慣があったことから、「かたみ」と呼ぶようになったとする説もあります。
しかし、「かたみ」は古くから「形見」と表記され、現在と同様の意味で用いられており、「片見」の漢字表記や「半分に分けて所持する」といった意味で「かたみ」が用いられた例は見られません。
おそらく、「形見分け」の風習から連想して作られた俗説と考えられます。
2.カツアゲ/喝上げ(かつあげ)
「カツアゲ」とは、脅して金品を巻き上げること、たかりのことです。
カツアゲは、ヤクザや不良が用いた隠語から一般にも用いられるようになった語で、単に「カツ」とも言います。
カツアゲの「カツ」は「恐喝」の上略、「アゲ」は「巻き上げる」の「上げ」で、漢字では「喝上げ」と書きます。
「カツアゲ」の語源に「カツを揚げる」という意味は含まれていませんが、この語が広まり定着した要因としては、語感が「カツ揚げ」に通じることが挙げられます。
3.がさつ
「がさつ」とは、細かなところまで気が回らず、言動が荒っぽくて落ち着きのないさまのことです。
がさつは、動詞「がさつく」が形容動詞化した語です。
がさつくは、擬音語「ガサガサ」の「ガサ」と動詞「つく」の複合語で、がさがさ音がするという意味から、言動が粗く落ち着きがない様子も意味します。
「がさつく」の名詞形は「がさつき」で、音便化すると形容詞「がさつい」になり、その形容動詞が「がさつ」になります。
なおその他に、がさつの語源には、細かいところまで詮索する意味の漢語「苛察(かさつ)」からや、弁舌が巧みであった大江匡房の呼称「江師(がうそつ・がうのそち)」から、口達者なさまを表す形容動詞「がうそつ」が生じ、「がさつ」になったという説もあります。
4.鴨/カモ(かも)
「カモ」とは、カモ目カモ科の鳥のうち、体が小さく、首があまり長くなく、雌雄で色彩の異なるものです。また、詐欺などで騙しやすい人や利用しやすい人という意味もあります。
カモの語源には、以下の通り諸説ありますが定かではありません。
①「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になったとする説。
②水上で足を掻きもがくところから、「カキモガク」の略で「カモ」になったとする説。
③やかましく鳴くところから、「やかましい」「かまびすしい」の「かま(囂)」が変化して「カモ」になったとする説。
地方によっては「カモ」を「カモメ」と呼び、「カモメ」を「カモ」と呼ぶ地方もあります。
このことから、古くは「カモ」と「カモメ」の区別が曖昧であったとの見方もあり、「カモメ」と同源で「かま(囂)」とも考えられます。
ただし、「カモメ」の語源には「カモの群れ」とする説もあります。
「カモの群れ」の説が正しければ、同じ呼称になって当然なので、「カモメ」と同源という見方はできません。
「いいカモにされる(する)」など、騙しやすい相手や利用しやすい相手を「カモ」と言うのは、鴨猟に由来します。
カモは群れで行動する渡り鳥で、餌をとるため日没に飛び立ち、明け方に元いた場所へ戻ってくる習性があります。
猟師はカモが昼間にいた場所で待っていれば、簡単に多くのカモを捕らえられることから、簡単に負かすことができる相手を「カモ」と言うようになりました。
「鴨」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・海暮れて 鴨の声 ほのかに白し(松尾芭蕉)
・鴨啼くや 弓矢を捨てて 十余年(向井去来)
・鴨啼くや 上野は闇に 横はる(正岡子規)
・鴨の中の 一つの鴨を 見てゐたり(高浜虚子)
5.かったるい
「かったるい」とは、体が疲れて物憂い、だるい、もどかしい、物足りないことです。
かったるいは、平安時代に「カヒナダユシ」と用いられた語です。
「カヒナ」は「かいな(腕)」、「ダユシ」は「だるい」の意味です。
「カヒナダユシ」が略された「カヒダルシ」が、音便化して「カヒダルイ」となり、促音化して「かったるい」となりました。
つまり、かったるいは「腕(二の腕)が疲れてだるい」の意味からきた言葉です。
やがて、かったるいは腕だけでなく、「体が疲れてだるい」「気分が晴れない」といった意味です。さらに、気が重く感じることから、「もどかしい」「物足りない」という意味でも用いられるようになりました。
現代では、「気分が乗らない」という意味から、「面倒くさい」「鬱陶しい」といった意味でも、かったるいは用いられます。
かったるいから派生した語には、「十分でない」「手ぬるい」を意味する近世江戸語の「おかったるい」があります。
6.忝い(かたじけない)
「かたじけない」とは、ありがたい、もったいない、恐れ多いことです。
かたじけないは、文語「かたじけなし」の口語です。
「ありがたい」が一般的なのに対し、「かたじけない」はあらたまった丁寧な言い方です。
本来、かたじけないは相手の身分や言動と自分を比べたときに引けを取り、「恐れ多い」といった感情を表す語です。
転じて、「ありがたい」「もったいない」という感謝の念を表す言葉となりました。
「かたじけない」も「ありがたい」も「もったいない」も、自分には不相応で恐れ多いという意味から感謝の気持ちを表すようになっており、日本人独特の感情表現と言えます。
「恐れ多い」という意味の「かたじけない」は、「ありがたし」の「がたし」の例から「かたしけ(難気)なし」が語源と考えられます。
容貌が醜い意味が転じ、「かたじけない」が恥じる意味になったとする説もあります。
これは『新訳華厳経音義私記』にある「醜陋下猥也謂容貌猥悪也猥可多自気奈之(かたじけなし)」から考えられた説です。
しかし、この一例だけで、「かたじけない」が「容貌が醜い」意味として使われていたと断定することは困難です。
なお、「醜い」という意味から転じたとすれば、かたじけないの「かた」は「形」「貌」「片」のいずれかで、「じけ」が「しこ(醜)」と思われます。