四季の季節感を表す美しい言葉(その1「春」)花曇り・花篝・雀隠れなど

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日本の四季・春

前に「死語になった残しておきたい美しい日本語」という記事を書きましたが、このほかに「二十四節気」や「七十二候」にも季節を表す美しい言葉があります。

それ以外にもまだある日本の四季を表す美しい言葉のうち、今回は「春」の季節感を表す言葉をご紹介したいと思います。

・斑雪(はだれ)

山に降り積もった雪が消え残りまだらになった状態、または多く積もるほど降らない春の雪のことを言います。「春」の季語です。

・花曇り(はなぐもり)

春の天候を表した言葉で、桜の花が咲くころの薄ぐもりの天気のことを言います。

また、その時期の曇りがちの薄明るい空を表現していて、「春」の季語として多くの短歌や俳句に使われています。

花曇り 尾上の鐘の 響きかな(夏目漱石)

花曇り 朧につづく 夕べかな(与謝蕪村)

・花篝/花篝り(はなかがり)

夜桜を照らすために焚く篝火を、花篝といいます。「花雪洞(はなぼんぼり)」という可憐な名で呼ばれることもあります。

現代の夜桜観賞といえば、水銀灯やハロゲンランプの灯りで照らすものですが、京都の円山公園をはじめ、いくつかの桜の名所では、平安時代の花の宴を髣髴とさせる、篝火に照らされた夜桜を眺めることができます。篝火のなかから幻想的に浮かび上がる姿は、桜の異名「夢見草(ゆめみぐさ)」そのままの趣きです。

清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき(与謝野晶子『みだれ髪』)
夜桜の美しさに当てられて、高ぶり華やいだ気分が、伝わってくる歌です。

が、もともと「万緑叢中紅一点」という、十一世紀の中国の政治家・王安石の詩に由来する言葉です。かつては、たくさんの物のなかで、ただひとつ異彩を放つ物をいうときにも、用いられました。

・雀隠れ(すずめがくれ)

これは、春に草木の芽や葉が伸びて雀の姿を隠すほどになることで、春を表現する言葉として知られています。

気温も温かくなり、春の訪れを感じる際にぜひ活用したい表現です。具体的には、例えば「今月に入り、いよいよ暖かくなってきました。草木の成長も著しく、雀隠れが見られますね。」などの形で使用してみましょう。

・春一番

立春後に初めて吹く暖かい南よりの強い風のことです。春一番が吹くと、いよいよ春がきたという気がします。

心弾む語感がある言葉ですが、もともと春一番ということばは、長崎県壱岐市の漁師のあいだで使われていた言葉でした。江戸時代、春先の強い南風にあおられて五十人以上の漁師が水死し、以来「春一番」と呼んで、この風を恐れたといいます。

鹿児島県出水市には、10月になると越冬のために鶴が渡ってきます。ここで冬を越した鶴は立春が過ぎると、群れをつくってシベリアに帰りはじめます。これを「鶴の北帰行」といいますが、春一番のころにピークを迎えるため、出水では鶴の北帰行が春の訪れを告げるそうです。

「春一番」という言葉は「気象予報」でもよく聞きますが、私などはキャンディーズの同名のヒット曲をまず思い出してしまいます。

・陽炎(かげろう)

春のよく晴れた穏やかな日に、大気や地面が太陽に熱せられることで、地面からゆらゆらと空気の揺らめきが立ちのぼる気象現象を、「陽炎(かげろう)」といいます。
「糸遊(しゆう)」もこれと同じ意味ですが、糸遊には別の意味もあって、早春の晴れた日に、蜘蛛の糸が空中を浮遊する現象をいいます。「遊糸」と表現することも。
蜘蛛が糸に乗って空中を飛ぶ、その糸が見えるのだそうですが、ともすれば、見えずにひっかかってしまうほど細い細い蜘蛛の糸。光の加減で糸が見えたり、見えなかったりするところから、あるかなきかの頼りなさ、はかなさ、心細さを表わすことばとなったのでしょう。

・終日(ひねもす)

文字どおり、終日。「ひもすがら」とも読みます。朝から晩までの一日じゅう、日がな一日が、終日の意味です。「ひねむす」「ひめもす」「ひめむす」ともいいます。「日」に、接尾語の「ね」がついた「ひね」に、助詞の「も」がつき、さらに接尾語の「すがら」がついた「ひねもすがら」が変化して、「ひねもす」というようになったと言われます。

ひねもすといえば、まず思い出すのが、与謝蕪村の「春の海終日のたりのたり哉」という俳句ですね。慌ただしく追われる毎日、この句のように、蕩々として急ぐことのない春の一日に憧れますよね。

似たようなことばに「よもすがら」があります。「終夜」と書き、こちらは夜通し、一晩じゅうの意味です。

・胡蝶(こちょう)

胡蝶とは、蝶々のこと。蝶には「夢見烏」という雅な異名もあります。「蝶の昼」といえば、暖かく晴れた春の日の、まどろむような気分を表わした言葉です。一方、「狂う蝶」ということばもあって、蝶が花にまとわりついて激しく舞うさまを、夏目漱石は、「何事ぞ手向し花に狂ふ蝶」と詠みました。

大正時代に書かれた岡本綺堂の戯曲『番町皿屋敷』に、春は胡蝶の夢うつつという一節がありますが、夢とうつつが判然としないことや、この世のはかないことのたとえとして、「胡蝶の夢」という言葉があります。

「胡蝶の夢」は『荘子』斉物論に出てくる故事で、荘周が蝶になった夢を見て、自分が蝶になった夢を見る荘周なのか、荘周になった夢を見る蝶なのかわからなくなった……というものからきています。 「夢と現実の区別がつかない」だとか、「現実は夢のようにはかない」だとかの例えとなっています。

そこから死期が迫り、人生を夢のように思ったり、後悔することを「胡蝶の夢の百年目」というようになりました。「散る花や 胡蝶の夢の 百年目」(松永貞徳)は、振り返れば長い人生もひとときの夢のように思えるという感慨を詠んだ句です。

ところで、春に咲く三色菫の異名は「胡蝶花」ですが、これは花の形が羽を広げた蝶に似ているからだそうです。



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