江戸時代の笑い話と怖い話(その26)。美少女による主殺し

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西鶴・本朝二十不孝

1.井原西鶴の『本朝二十不孝』

井原西鶴作、貞享3年(1686年)刊行の『本朝二十不孝』は、20人の親不孝者を扱う一種の「悪漢小説」(ピカレスク小説)ですが、一方で不孝者出現の背景が「親の悪事・悪行の因果」であることを示唆する話が多くあります。「親の因果が子に報う」という言葉もありますね。

「孝」が絶対的な道徳であった時代に、「因果応報(いんがおうほう)」や「輪廻転生(りんねてんしょう)」という仏教思想の影響があるのかもしれませんが、親子関係を相対的に捉える点が斬新です。

2.『本朝二十不孝』にある「美少女による主殺し(しゅうごろし)」の話

紀伊熊野の奥深い山中で育った少女小吟は、立ち寄った旅僧が大金を所持していることを父親に告げます。むらむらと悪心を起こした父は、僧の跡を追い、殺害して金を奪います。

その後、小吟は美しく成長するものの素行が悪く、異見を加えようとする父親には、かつての秘密を盾に脅すため、父親も手を焼きます。総じて子に弱みを持つ親は、子の不良を助長します。

その後、小吟は和歌山の武家屋敷に奉公しますが、主人と通じ、それを諫めた奥方を逆恨みして殺害し、逐電してしまいます。

娘が出頭するまで父親は牢舎に入れられましたが、小吟は現れません。父親はかつての殺人を告白し、その報いであると覚悟して刑死します。

その後、小吟も捕まり成敗されます。

3.『本朝二十不孝』刊行の9年前の大事件

さて、この『本朝二十不孝』刊行の9年前の延宝5年(1677年)に、江戸上野の池之端で、唐物屋の手代が主人を傷害、主人の妻を殺害し、金品を奪って逃げる大事件がありました。

犯人は間もなく捕縛されて磔となり、「縁坐制」によって犯人の両親や弟妹たちも斬首獄門となりました。

その後、巷では次のような「説話」が広く語られるようになりました。

実はこの犯人の親には、かつて旅僧を殺し金を奪い取った過去がありました。その翌年のその日に生まれたのが犯人で、その子が成長して大罪を犯し、親も命を奪われることになりました。つまり、犯人の親が殺した旅僧が、わが子に転生し、縁坐制を利用して復讐を果たしたというわけです。

西鶴はこの大事件とその後に広まった「説話」にヒントを得て、「美少女による主殺し」の話を作ったのかもしれません。



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