日本語の面白い語源・由来(み-③)禊・冥加・味方・耳を揃える・身も蓋もない・緑・水掛け論

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禊

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.禊(みそぎ)

禊

」とは、「海や川・滝の水で身体を清め、罪や穢れを洗い流すこと」です。

身体を水で洗い清めることから、禊は「ミソソギ(身滌・身濯)」の約と考えられます。
「ソソギ」は「すすぐ(そそぐ)」の連用形が名詞化した語で、水で洗い清める意味から、「汚名をそそぐ(すすぐ)」など罪や穢れを清める意味でも使われます。

その他、禊の語源には「ミ」が「水」の意味、「ソギ」は「削ぐ(そぐ)」とする説もあります。
禊の起源は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、亡き妻の伊弉冉(いざなみ)を黄泉の国に訪ねた後、筑紫の日向で身体についた穢れを祓い清めるたものといわれ、『記紀神話』に見られます。

禊が略式化されたものは多く、寺社で参拝前に手を清めることや、雛の節句で人形を流す行事、潮干狩りなどが、禊の略式化されたものです。

また、塩で清める儀式は、海水で行った禊の名残といわれます。

現代では、スキャンダルが発覚した政治家が立候補する選挙を「みそぎ選挙」と言い、その政治家が選挙に勝った際には「みそぎは済んだ」と言うように、身体を水で清める以外にも「禊」は用いられます。

2.冥加(みょうが)

冥加

冥加」とは、「知らず知らずのうちに授かっている神仏の加護・恩恵。冥利。冥助。冥応。冥感。思いがけない幸せ」のことです。

冥加の「冥」は、「暗い」「覆われて光がないさま」のことで、死後に行くといわれる「冥界」や「冥土」の「冥」も同様の意味からです。
「加」は「神仏の加護」のことで、冥加は隠れていて見聞きできないところから受ける神仏の加護を表します。

知らないうちに授かっている加護の意味から、冥加は思いがけない幸せも意味するようになりました。

江戸時代の租税の一つである「冥加金」は、冥加を受けたことに対して、寺社に奉納される金品をいったことから転じた言葉です。

3.味方(みかた)

味方

味方」とは、「自分の属している側。支持・応援すること。また、してくれる人」です。身方。

本来、「みかた」は天皇の側を意味した語で、そこから天皇の軍勢や朝廷の軍隊の意味が生じ、さらに対立する一方の側をいうようになりました。

漢字の「味方」「身方」は共に当て字で、この言葉に「味」や「身内」といった意味は含まれていません。

みかたの「み」は敬意を表す接頭語「み(御)」で、古くは「御方」と表記されていました。

4.耳を揃える(みみをそろえる)

耳を揃える

耳を揃える」とは、「必要な金額を不足なく用意すること」です。多くは、借金の返済時に使われます。

食パンの端を「パンの耳」(下の画像)と言うように、「耳」は頭部の中心から端に位置することから「縁」も意味します。

パンの耳

大判や小判の縁も「耳」と言ったことから、金銭を不足なく取り揃えることを「耳を揃える」と言うようになりました。

札束の端を揃えることからとも言われますが、紙幣が一般に流通する以前から使われている言葉なので、語源的には大判や小判の縁を揃えることからです。

5.身も蓋もない(みもふたもない)

身も蓋もない

身も蓋もない」とは、「表現が露骨すぎて、味気のないこと」です。にべもない。

身も蓋もないの「身」は、物を入れる容器のことです。
容器の本体も蓋も無いのは、隠す部分が全くなく、何もかもさらけ出した状態となります。
そこから、露骨すぎて情緒もないことを「身も蓋もない」と言うようになりました。

6.緑(みどり)

緑

」とは、「色の名。青色と黄色の中間の色。光の三原色の一つ。緑色。緑色の木。新緑」のことです。翠。

みどりは、元来、「新芽」や「若枝」を表す具体名詞であったことから、「みづみづし(みずみずしい)」と関係のある語と考えられています。

「新芽」や「若枝」の色から、青色と黄色の中間色である「緑色」を表すようになりました。
それまで「緑色」を表していたのは「青」です。

7.水掛け論(みずかけろん)

水掛け論

水掛け論」とは、「互いが自説にこだわって、また自分に都合の良いことばかり言って、いつまでも解決しない議論」のことです。

水掛け論は、狂言の『水掛聟(みずかけむこ)』に由来するといわれます。
『水掛聟』とは、日照りが続いたある日、隣り合わせの田を持つ舅(しゅうと)と婿(むこ)が、自分の田に水を引こうとして口論となり、いつまでも言い争った挙句、互いの顔に水を掛け合いました。
妻(舅の娘)が仲裁に入りますが、最後は夫(婿)と一緒に父(舅)を突き倒して終わるというです。

一説には、水の掛け合いのように勝敗が決まらない論争の意味から「水掛け論」という言葉が生まれ、その後、『水掛聟』の話が作られたともいわれます。