日本語の面白い語源・由来(こ-⑫)金平糖・蒟蒻・御免・腓返り・紅一点・皇寿・古希・顳顬

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金平糖・箱入り

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.金平糖(こんぺいとう)

金平糖

金平糖」とは、小さな飴の核に糖蜜をまぶし、種々の色をつけて固めた砂糖菓子です。角状の突起があります。

金平糖は南蛮菓子のひとつで、「砂糖菓子」を意味するポルトガル語「confeito(コンフェイト)」が訛り、「コンペイトー」となりました。

英語の「confections」に当たる言葉ですね。なお「砂糖菓子」は普通、アメリカでは「ⅽandies」、イギリス英語では「sweets」といいます。

漢字の「金平糖」は当て字です。
「金平」は「強い」の意味で名詞の上に付けられる語で、砂糖の甘味が強いことから、この字が当てられたともいわれますが定かではありません。

近世には「金米糖」や「金餅糖」といった表記もされ、「糖花」とも呼ばれていました。

金平糖が日本に初めて渡来したのは、永禄12年(1569年)、ポルトガルの宣教師ルイス=フロイスが織田信長に献上したもので、元禄頃(1688~1704年)には大坂(大阪)で作られ、文政頃(1818~1830年)に江戸へ製法が伝わりました。

江戸中期には、大名の茶菓子として用いられていましたが、明治時代には贈答用・来客用の高級菓子として一般家庭で用いられるようになりました。

2.蒟蒻(こんにゃく)

蒟蒻

こんにゃく」とは、インドシナ原産のサトイモ科の多年草です。多くは、この植物の地下茎を粉にして水を加えて練り、石灰を加えて固めた食品を指します。

こんにゃくは、奈良時代に薬用として中国から伝来した植物で、漢語の「蒟蒻」も一緒に伝わったようです。

『本草和名』に「古爾也久(こにやく)」、『和名抄』に「古迩夜久(こにやく)」とあり、古くは「蒟蒻」が「コニャク」と読まれていたことが分かるります。

これは、「蒟蒻」を呉音で「クニャク」と言い、日本で「コニャク」となったもので、中世頃に音変化して「コンニャク」になったと考えられています。

「蒟蒻植う」は春の季語、「蒟蒻の花」は夏の季語で、「蒟蒻掘る」は冬の季語です。

3.御免(ごめん)

ごめん

ごめん」とは、自分の失礼に対して許しを請うたり、謝罪の意思を表すときに言う言葉です。他家を訪問した際の挨拶の言葉。拒絶の意を表す言葉。

人気のある商品に関して「売り切れ御免」と表示してあったり、相撲の番付表に「蒙御免」と書かれていたりもしますね。

「蒙御免(ごめんこうむる)」は、江戸時代に相撲興行(勧進相撲)の許可を寺社奉行から得たことを公言したことの名残です。昭和5年(1930年)4月29日に行われた「天覧相撲」のおりに発行された番付には「賜天覧(てんらんをたまわる)」と書かれました。

売り切れ御免蒙御免・相撲番付表

ごめんは、許す意味の「免」に尊敬の接頭語「御」がついた言葉で、鎌倉時代から見られます。
本来は、許す人を敬う言い方として用いられましたが、室町前期には許しを求める言い方で、相手の寛容を望んだり自分の無礼を詫びる表現になっていきました。

初めは「ごめんあれ」「ごめん候へ」などの形で使われていましたが、「ごめんくだされ」や、その省略の「ごめん」が多く用いられるようになりました。

ごめんなさいの「なさい」は、動詞「なさる」の命令形で、「御免なすって」の「なすって」と同じ用法です。

挨拶で用いる「ごめんください」は、許しを請う「御免させてください」の意味が挨拶として使われるようになったものです。

「それは御免だ」などの拒絶・断わりは、比較的新しい用法で江戸時代から見られます。

4.腓返り(こむらがえり)

こむら返り

こむら返り」とは、ふくらはぎの筋肉が痛みを伴なう痙攣を起こすことです。腓腹筋の過労や急に冷えたときなどに起こります。

こむら返りの「こむら」は、平安時代以降から見られる語で「ふくらはぎ」を指します。

平安末期の漢和辞書『類聚名義抄』に「転筋 コムラガヘリ」とあり、こむら返りは、ふくらはぎの筋肉がひっくり返ったような感じから名付けられたと考えられます。

「こむら」は「こぶら」とも言われていたため、「こむら返り」は「こぶら返り」とも言います。

「こむら」や「こぶら」の語源には、隆肉の意味で「こぶ(瘤)」に接尾語「ら」で「こぶら」になったとする説や、肉のかたまりを「肉叢(ししむら)」と言ったことから、「股(もも)」に対して小さな肉のかたまりなので、「小叢(こむら)」の意味などの説があります。

近世に「ふくらはぎ」の語が生まれたことで、江戸後期には「こむら」や「こぶら」の語は、ほぼ用いられなくなっていました。

現在は各地の方言には残っている程度で、共通語としては「こむら返り」の中にのみ残ります。

5.紅一点(こういってん)

紅一点

紅一点」とは、多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つもの。多くの男性の中に混じっている、ただ一人の女性のことです。

紅一点は、中国の王安石の詩『詠柘榴』の「万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)」の句に由来します。

この句は、万緑が一面の緑、叢中は草むらの中、紅一点は紅色の一輪の花(ザクロ)の意味で、一面の緑の中に咲く一輪の紅色の花が、紅一点の本来の意味です。

日本では明治以降、沢山ある中で一つだけ異彩を放つものの意味として、紅一点が用いられました。

その後、「紅」という色や艶やかに咲く花の印象から連想され、紅一点は男性の中に混じる唯一の女性の意味で用いられるようになりました。

さらにその意味から派生し、多くの女性の中に混じる唯一の男性の意味で「黒一点」や「緑一点」という俗語も生まれました。

6.皇寿(こうじゅ)

皇寿

皇寿」とは、数え年で111歳のこと。また、その祝いのことです。川寿。天子の年齢。

皇寿は、まず「皇」の字を分解すると、「白」と「王」に分けられます。

「白」は「白寿」と同じく、「百」の字の一番上にある「一」を取ると「白」の字になることから、100-1で99になります。

「王」を分解すると、「十」と「二」にで12なります。

99+12で111になることから、111歳を「皇寿」と呼ぶようになりました。

皇寿の祝い方は、基本的に還暦と同じですが、百歳を超えた祝いには基調色が決まっていないため、皇寿には特に決まった色があるわけではありません。

7.古希/古稀(こき)

古稀

古希」とは、数え年で70歳。また、その祝いのことです。

古希は、中国唐代の詩人 杜甫の『曲江詩』にある「人生七十なり」という詩句に由来します。

「稀」と「希」は同義語で、70歳まで生きることは古来まれという長寿の祝いです。

古く、長寿の祝いは40歳以上で10歳ごとにされていましたが、杜甫の詩の影響や、昔に比べて長生きになったことから「古希」のみが残ったと考えられます。

長寿の祝いには「還暦」や「喜寿」「傘寿」などもありますが、これらは近世からの風習です。
古希の祝い方は、基本的に還暦と同じですが、祝いの色は喜寿・傘寿・卒寿と同じく紫です。

なお、その他の年齢の異称については、「年齢の異称をわかりやすくご紹介します」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。

8.顳顬/蟀谷(こめかみ)

こめかみ

こめかみ」とは、目尻と耳の上の間にある、物を噛むと動く所のことです。

こめかみは、米を噛むと動くことから、「米噛み」が語源です。

ただ、「こめかみ」と呼ばれる部分は、米以外にも物を噛めば動きます。

食べ物の中でも「米」を取り上げて「こめかみ」とされたのは、日本人の主食は古代から「米」であったことや、古くは固いままの生米を食べていたため、よく噛まなければならず、その部分がよく動くからだといわれます。

平安中期の辞書『和妙抄』には、蟀谷に「こめかみ」の訓があります。

漢字の「蟀谷」は中国語で、「蟀」を用いた「蟋蟀」はコオロギを意味します。
ただし、この漢字が中国で「こめかみ」を意味するようになったのか、その由来は未詳です。