日本語の面白い語源・由来(し-⑦)篠突く雨・四天王・支度・正面を切る・尋常・四の五の言う・終局

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篠突く雨

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.篠突く雨(しのつくあめ)

篠突く雨

篠突く雨」とは、地面に叩きつけるように激しく降る大雨のことです。

篠突く雨の「」とは、細くて群がって生える竹や笹の総称「篠竹」(下の画像)のことです。

篠竹

「篠突く」は、篠竹を束ねて突き下ろすように、細かいものが集まって飛んでくるさまをいいます。

激しく降る大雨は、篠竹を束ねたものが落ちてくるような光景となることから、雨の激しく降るさまを「篠突く雨」と言うようになりました。

2.四天王(してんのう)

四天王

四天王」とは、ある道や部門、臣下・弟子などの中で、才能や武勇に最も優れた4人の者のことです。

四天王は、仏教の四人の守護神のことです。

仏教の守護神である帝釈天に仕え、須弥山(しゅみせん)の中腹にいて四方を守護する、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天をいいます。

そこから転じて、ある分野で最も優れた4人を「四天王」と呼ぶようになりました。

「ものまね四天王」は、清水アキラ、グッチ裕三、モト冬木、コロッケ、栗田貫一の5人で、4人ではありません。

これは、グッチ裕三とモト冬木が「ビジーフォー」というコミックバンド名で一緒に出場していたためで、ものまね四天王の場合は、ものまねタレント4組を指して言ったものです。

3.支度(したく)

支度

支度」とは、予定や計画などの準備をしたり、用意したりすること、外出などのために服装を整えることです。

支度の「」には「はかる」「計算する」の意味があり、「」も「はかる」という意味で、支度は「見積もる」「計算する」というのが原義です。

このような意味から、日本では「準備する」「用意する」の意味に転じ、近世以降には、外出などのために身なりを整える意味で用いられるようになり、「身支度」や「旅支度」などの複合語も生まれました。

したくの漢字は、語源のとおりの「支度」と書きますが、当て字で「仕度」とも書きます。

「仕」は 動詞「する(為る)」の連用形「し」の当て字で、特別な意味を持たせて「仕度」としている訳ではないため、「支度」と「仕度」に意味の違いはなく、使用場面に応じた使い分けもされていません。

4.正面を切る(しょうめんをきる)

正面を切る・見得を切る

正面を切る」とは、相手とまっすぐ向かって対する、改まった態度をとる、遠慮せず直接はっきりと行動する、堂々とすることです。

正面を切るは、歌舞伎用語からの説が有力です。

歌舞伎では、客席(正面)を向いて見得を切ることを「面(おもて)を切る」や「向かふ(むかふ)を切る」と言い、「正面を切る」も同様の表現と考えられます。

客に対してまっすぐ向かい見得を切るところから、相手に面と向かって対する意味や、堂々とした行動を言うようになったものです。

歌舞伎や能で「切る」は、目立つ表情や動作をする意味で用いられます。

5.尋常(じんじょう)

尋常小学修身書

尋常」とは、普通であること、当たり前、見苦しくないこと、しとやか、素直なこと、潔いこと、立派なことです。

尋常の「」も「」も長さの単位で、古代中国で「尋」は8尺(日本では6尺または5尺)、「常」はその2倍の16尺を表しました。

8尺や16尺は並みの長さであることから、「普通」や「当たり前」の意味に転じました。

日本では、普通が目立たず上品であるという意識から、尋常は見苦しくないことや、立派なさまもいうようになりました。

時代劇などで「いざ、尋常に勝負しろ」などという「尋常」は、「素直」「潔い」といった意味で、これも「普通」の意味から転じたものです。

6.四の五の言う(しのごのいう)

四の五の言う

四の五の言う」とは、なんのかんのと不平や文句を言い立てることです。

「四の五の」の語源には、諸説あります。

①サイコロ賭博で丁(四)が出るか半(五)が出るか迷うところからという、江戸末期の国語辞典『俚言集覧』にある説。
②「一も二もなく」といえば「即座に」「とやかく言うまでもなく」といった意味であるが、「一」や「ニ」どころか、「四」や「五」までもぶつぶつ言うところからとする説。
③儒教の経書の中で特に重要とされる、「四書五経(四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)」に由来し、「四書だの五経だのと理屈ばかりこねずに」という意味からとする説。

こじつけ感の強い「四書五経」の説を除くニ説が有力と考えられますが、特定は困難です。

「四の五の」という表現は、「あれこれ」を意味として江戸中期頃から現れました。

あれこれ不平などを言う意味の「四の五の言う」以外にも、「あれこれ言う余地がないほど素晴らしい」の意味で「四の五もなし」、「あれこれ言う必要がない」の意味で「四も五もいらず」などの表現もありました。

「四の五の」をもじったと思われる表現には、「酢の蒟蒻の(酢だの蒟蒻だの)」という言い方もあります。

7.終局(しゅうきょく)

終局

終局」とは、物事の結末のことです。特に、事件や戦争など争いごとに関して、その結末をさすことが多い言葉です。終末。終結。落着。

終局は、碁や将棋で打ち終わって勝負がつくことをいう語です。

終局

「局」は、碁や将棋の盤や、その盤を使ってする勝負を表します。

そのため、「終局」は争いごとに関する結末の意味で使われることが多いようです。