日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.杓子定規(しゃくしじょうぎ)
「杓子定規」とは、何でも一定の基準や規則に当てはめ処置しようとすること融通のきかない態度ややり方のことです。
杓子定規の「杓子」は、汁をすくったり飯を盛ったりするのに使う道具のことです。
現代の杓子は柄が真っ直ぐな物が多いですが、昔の杓子の柄は反るように曲がっていました。
そのような柄の曲がった杓子を定規の代わりにし、正しくない定規ではかるところから、無理に基準に当てはめたり、融通のきかないことを「杓子定規」と言うようになりました。
2.社会(しゃかい)
「社会」とは、人間が共同生活を営む際のまとまった組織や、その相互関係のことです。世の中。世間。同類の仲間や集団。
社会は、福地源一郎(福地桜痴)による英語「society」の訳語です。
明治初期まで「society」に相当する訳語は存在せず、「交際」「仲間」「連中」「組」「俗間」「社中」などが当てられていました。
その中で、明治8年(1875年)、福地源一郎が東京日日新聞に「ソサイエチー」のルビ付きで「社會(社会)」の語を使用したことで、「社会」という訳語が定着しました。
ただし、その当初、社会は「小さな共同体」「会社」など狭い意味で用いられていたにすぎません。
明治10年頃から、一般にも「社会」の語は普及し、現在のように広い意味で用いられるようになっていきました。
福澤諭吉が「society」の訳語として「社會(社会)」という語を作ったとする説もありますが、福地源一郎の方が早く使用しています。
「社会」という言葉自体は、中国の宋学の入門書『近思録(1176年刊)』に見られ、日本でも文政9年(1826年)の『輿地誌略』に「教団」「会派」の意味で「社會」が用いられています。
これらの事からも分かるとおり、「社会」が福地源一郎による造語という訳ではありません。
3.尻尾(しっぽ)
「しっぽ」とは、動物の尾、魚の尾びれ、細長いものの末端のことです。
しっぽは、「しりお(尻尾)」の「R音」が促音化した語です。
「しりお」から「しっぽ」に音変化したことがうかがえる方言には、「しりぽ」「すりぽ」「しりっぽ」などがあります。
4.自然体(しぜんたい)
「自然体」とは、気負いしたり身構えたりしない、あるがままの態度のことです。
自然体は、柔道や剣道で基本姿勢をいった語です。
柔剣道では、両足をわずかに前後または左右に開いて、無理ない形で自然なまま立った姿勢を「自然体」といいます。
5.将棋(しょうぎ)
藤井聡太五冠という天才棋士が現れて以来、俄然将棋人気が高まっています。
「将棋」とは、2人で行う室内遊戯のひとつです。縦横各9列の盤上に配置された20枚の駒を交互に移動させ、相手の王将を詰めた方を勝ちとします。
将棋の起源は不詳ですが、古代インドで生まれた「チャトランガ」にあるといわれます。
「チャトランガ」は、西洋に渡って「チェス」、中国では「シャンチー(象棋)」、朝鮮半島では「チャンギ(將棋)」となり、日本には中国経由で伝わりました。
「しょうぎ」は中国語の「象棋・象戯(シャンチー)」を音読したもので、「将棋」の漢字表記は日本で当てられたものです。
6.沈丁花(じんちょうげ)
「ジンチョウゲ」とは、中国原産のジンチョウゲ科の常緑低木です。早春、香りの強い花が多数開きます。瑞香。沈丁(じんちょう)。丁子(ちょうじ)。チンチョウゲ。
ジンチョウゲは、「沈香」のような香りがあり、フトモモ科の「丁字(クローブ)」に似た花をつけることから、「沈丁花」と名付けられました。
日本へジンチョウゲが渡来したのは室町時代で、古くは「ヂンチャウケ」と最後の音節が清音でした。
「チンチョウゲ」とも言い、中国名の「瑞香(ずいこう)」で呼ぶこともあります。
「沈丁花」「丁子」は春の季語で、次のような俳句があります。
・沈丁や 死相あらはれ 死相きえ(川端茅舎)
・沈丁の 香の強ければ 雨やらん(松本たかし)
・朝の岸 沈丁の花 またひらく(中田剛)
・行燈の 丁字落すや 雁の声(芥川龍之介)
7.時雨(しぐれ)
「しぐれ」とは、晩秋から初冬にかけて、ぱらぱらと降ってはやむ、一時的な通り雨のことです。
しぐれの語源には、「しばしくらき(しばらくの間暗い)」や「しげくくらき(茂暗)」など、一時的に暗くなるところからとする説。
「あらし(嵐)」の「し」や「かぜ(風)」の「ぜ」と同じく、「し」は「風」を意味し、急に風が強まったりすることから、「しくるひ(風狂い)」の転。
通り過ぎゆく一時的な雨なので「すぐる(過ぐる)」の転など、多くの語源説があります。
「時雨」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・草枕 犬も時雨(しぐ)るか よるのこゑ(松尾芭蕉)
・深川は 月も時雨るる 夜風かな(杉山杉風)
・天地(あめつち)の 間にほろと 時雨かな(高浜虚子)
・まぼろしの 鹿はしぐるる ばかりかな(加藤楸邨)
8.地団駄を踏む(じだんだをふむ)
「地団駄を踏む」とは、怒ったり悔しがったりして、激しく地面を踏むことです。「地団太を踏む」とも書くきます。
地団駄を踏むの「地団駄」は、「地踏鞴(じだたら)」が変化した語です。
「たたら(踏鞴)」は、足で踏んで金属の精錬・加工に必要な空気を送り込む大型の送風器のことです。
激しく地面を踏み鳴らすさまが、「たたら」を踏む姿に似ていることから「地踏鞴(じだたら)」と言うようになり、「地団駄(じだんだ)」に転じました。
「じんだらを踏む」「じんだらをこねる(地団駄を踏んで反抗する・駄々をこねる)」など、「地団駄を踏む」に似た方言が各地に点在しますが、これらも「地踏鞴(じだたら)」が変化したことによります。
なお、同じ「たたら」を踏む姿から生じた言葉でも、「たたらを踏む」と言えば、から足を踏むことを意味します。