日本語の面白い語源・由来(せ-④)海象・銭亀・贅沢・世知辛い・折角・銭・善哉・石鹸・背

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セイウチ

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.海象/海馬(せいうち)

セイウチ

セイウチ」とは、食肉目セイウチ科の海生哺乳類です。北極海の沿岸や浮氷上に群れをなして生息します。幼獣には体毛がありますが、成獣にはほとんどありません。皮膚は茶灰色。ひげが生え、二本の大きな牙を持っています。貝を主食とします。

2.銭亀(ぜにがめ)

銭亀

ゼニガメ」とは、イシガメの子、もしくはクサガメの子の呼称です。

ゼニガメは、イシガメの子の甲羅が江戸時代の硬貨「銭」に似ていることから付いた名です。
その銭は、寛永通宝一文銭(下の画像)といわれています。

寛永通宝一文銭

また、ゼニガメの甲羅は楕円形のため、その形や大きさから天保通宝百文銭(下の画像)ともいわれます。

天保通宝百文銭

イシガメが減少したため、現在では、クサガメの子を「ゼニガメ」と呼ぶことが多いようです。

「銭亀」「亀の子」「子亀」は夏の季語で、次のような俳句があります。

・銭亀を 流さぬやうに 水を替ふ(秋岡朝子)

・鯉に尻  押されてゐたる 子亀かな(夏秋明子)

・万緑や 亀の子親の 背より転ける(保坂加津夫)

・亀の子の バケツの底を 掻くばかり(岡和絵)

3.贅沢(ぜいたく)

贅沢贅沢ショコラ

贅沢」とは、必要以上に金や物を使うこと、分に過ぎたおごり、必要な限度をこえていることです。

贅沢の「贅」は、お金に代わって使用する宝貝の「貝」に、「余分」「有り余る」を意味する「敖」で、余計な財貨が有り余っていることを表した会意文字です。

贅沢の「沢」は、たたえた水を表し、「つや」や「うるおい」を意味します。

これらの意味から、「贅沢」は和製漢語として、近代より用いられるようになりました。

「贅」は漢音で「セイ」、呉音では「セ」で、「ゼイ」と読むのは日本の慣用音です。

4.世知辛い(せちがらい)

世知辛い

世知辛い」とは、世渡りがしにくい、暮らしにくい、勘定高くて抜け目がない、せこいことです。

世知辛いの「世知」は、本来仏教用語で「世俗の知恵」を意味します。

日本では「世渡りの才」も表すようになり、さらに「勘定高い」「せこい」といった意味でも用いられるようになった言葉です。

世知辛いの「辛い」は「世知」を強めたものですが、「世渡りの才」に対して「辛い」で「世渡りがしにくい」という意味になったのではありません。

「勘定高い」という意味の「世知」を強めた「辛い」で、世知辛いの本来の意味は「勘定高くて抜け目がない」です。

「暮らしにくい」「世渡りがしにくい」という意味は、「世知辛い人(勘定高い人)が多い世の中は暮らしにくい」という意味から派生した用法です。

世知辛いの語源には、本来は「切辛い」と表記し、「物事が切迫していて、容易に乗り切れない」といった意味からという説もありますが、「世知」の意味や用法の変化が明らかなので、この説は考え難いものです。

5.折角(せっかく)

せっかくグルメ

折角」とは、努力して、苦労して、力を尽して、つとめて、わざわざという意味です。

折角は、「せっかくお誘いいただいたのに」や「せっかく来たのに」など副詞として用いられることが多いですが、本来は「力の限り尽すこと」「力の限りを尽さなければならないような困難な状態」「難儀」の意味で名詞です。

名詞の「せっかく」は、「高慢な人をやり込めること」を意味する漢語「折角」に由来し、漢字で「折角」と表記するのも当て字ではありません。

漢語の「折角」は、朱雲という人物が、それまで誰も言い負かすことができなかった五鹿に住む充宗と易を論じて言い負かし、人々が「よくぞ鹿の角を折った」と洒落て評したという『漢書(朱雲伝)』の故事に由来します。

この故事から、「力を尽すこと」や「そのような困難」を表す名詞となり、「力を尽して」や「つとめて」という副詞、更に「わざわざ」の意味でも用いられるようになりました。

「わざわざ」の意味の「折角」については、『後漢書(郭泰伝)』の故事に由来するという説もあります。
その故事とは、郭泰という人の被っていた頭巾の角が雨に濡れて折れ曲がっていた。それを見た人々は郭泰を慕っていたため、わざわざ頭巾の角を曲げて真似、それが流行したという話です。

しかし、「折角」が『漢書(朱雲伝)』に由来し、名詞・副詞へ変化したことは明らかであるため、「わざわざ」の意味だけ『後漢書(郭泰伝)』の故事に由来するとは考え難いものです。

6.銭(ぜに)

銭形平次銭形平次・大川橋蔵

」とは、金・銀・銅など金属でつくられた貨幣のことです。貨幣。金銭。お金。

銭の字音「せん」が変化し「ぜに」と言うようになりました。

日本で最初の銭は、683年頃につくられた「富本銭(ふほんせん)」ですが、富本銭が流通貨幣であったか定かでないことから、708年の「和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)」が日本で最初に鋳造された流通貨幣とされています。

古くは金貨・銀貨を銭に両替することを「銭を買う」と言い、小銭を額面の大きい貨幣に両替することを業とする者を「銭売り」「金あきんど」などと言いました。

7.善哉(ぜんざい)

ぜんざい

ぜんざい」とは、関西ではつぶし餡で作ったおしるこ関東では餅に濃い餡をかけたものです。善哉餅。

善哉は元仏教語で、「素晴らしい」を意味するサンスクリット語「sadhu」の漢訳です。

仏典では、仏が弟子の言葉に賛成・賞賛の意を表す時に、「それで良い」「実に良い」といった意味で用いられます。

仏教語の「善哉」がおしるこを意味するようになった由来は、これを食べた僧があまりの美味しさに「善哉」と賞賛したためとされますが未詳です。

一説には、ぜんざいを初めて食べた一休禅師が、「善哉此汁」と言ったことからともいわれます。

出雲大社の「神在祭」で振舞われた「神在餅(じんざいもち)」が、訛って「ぜんざい」になったという説もあります。
出雲弁では「じんざい」が「ずんざい」のような発音で、他の地方の者には「ぜんざい」と聞こえるため、それが京都に伝わり賞賛の「善哉」と合わさったと考えられています。

神在餅が京都に伝わって「ぜんざい」になったことは定かでありませんが、神在餅とぜんざいの作り方が似ていることから、十分に考えられる説です。

「ぜんざい」と「おしるこ」の区別は近世後期に確立したもので、関東では餡に近く汁気が少なくいものを「ぜんざい」、汁気の多いものを「しるこ」と呼び、関西では汁気の少ないものは「亀山(かめやま)」、汁気があるもののうち、つぶし餡で作ったものを「ぜんざい」、漉し餡で作ったものを「しるこ」と呼びます。

8.石鹸(せっけん)

牛乳石鹸

石鹸」とは、洗剤の一種です。一般には高級脂肪酸のナトリウム塩・カリウム塩をいいます。シャボン。

石鹸は、「固い鹸」の意味として日本人が考えた造語です。
「石」は、固い物の意味。
「鹸」は、塩水が固まったアルカリの結晶、また灰をこした水のことで、アルカリ性で洗濯にも使えることから、本来は「鹸」の一字でも「石鹸」を意味します。

石鹸は南蛮貿易により渡来しましたが、当初は灰汁を麦粉で固めたものを言い、「鹸」の意味のまま用いられていました。

江戸時代には「シャボン」が常用語として使われていたため「石鹸」の語はあまり見られませんが、明治に入ると漢語重視の風潮になり、多く用いられるようになりました。

ただし、この当時の「石鹸」の振り仮名は「シャボン」とされるのが普通で、「せっけん」と読まれるのは明治後半からです。

「石鹸玉(しゃぼんだま)」は春の季語で、次のような俳句があります。

・ふりあふぐ 黒きひとみや しやぼんだま(日野草城

・向う家に かがやき入りぬ 石鹸玉(芝不器男)

・うすうすと 幾つもあげぬ 石鹸玉(原石鼎)

・しやぼん玉 届かぬ想ひ 飛ばしけり(渡部恭子)

9.背(せ)・背中(せなか)

背中

」とは、動物の胴体の両肩から腰あたりまでの部分で、胸や腹と反対の面です。背中。後ろ側。背面。身長。背丈。

背中」とは、背の中央、背骨のあたりのことです。背。せな。物の後ろの部分。

背の古形は「そ」で、現在「そ」の形で用いる言葉には「そむく(背く)」などがあります。

「そ」は「それ(反)」や「そへ(後方)」の意味で、「せ」の語源は後方の意味と考えられ、物の後ろ部分を「背」と言うのもこのためです。

背中は、背を「上」「中」「下」と三分した中間で、背の中央部分の意味です。

背中が中央だけでなく、全体も指すようになったのは、背が「身長」も表すようになったためです。

背が「身長」の意味を持つようになったのは、衣服のサイズが背を中心に決められることや、身長を測る際に背を向けて測るためと思われます。