日本語の面白い語源・由来(て-⑤)天狗・デザート・手形・手前味噌・泥酔・帝王切開・テロ・手・でかい

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天狗

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.天狗

天狗・高尾山薬王院
<高尾山薬王院の天狗>

私が子供の頃、嵐寛寿郎が主演した映画「鞍馬天狗」がありました。これは大佛次郎の小説『鞍馬天狗』を映画化したものです。

鞍馬天狗

本来鞍馬天狗とは、鞍馬山の奥・僧正ヶ谷に住むと伝えられる大天狗のことです。別名「鞍馬山僧正坊」で、牛若丸(後の源義経)に剣術を教えたという伝説で知られます。

天狗」とは、深山に棲息するという想像上の怪物です。人のかたちをし、山伏姿で顔が赤くて鼻が高く、翼があって手足の爪が長いとされます。神通力があり、飛行自在で、金剛杖、太刀、羽団扇(はうちわ)を持っています。自慢すること、高慢なことも「天狗」と言います。

昔、中国では流星や彗星の姿が、狗(犬)や狐に似ていると考えられており、「天の狗(いぬ)」で「天狗」と呼ばれました。

これは、隕石を怪物と見て呼んだ名で、流星や彗星の呼称という位置づけではなかったようです。

日本では、山中を異界ととらえていた里人が山に出現する怪異を天狗に写し、様々な姿形の天狗が想像されました。

この頃から、空中を自由に飛んだり、鬼のような姿は想像されていましたが、鼻が高くなるのはもう少し後です。

平安時代、天狗の棲む世界は「天狗道」と呼ばれ、傲慢な僧が死んだ後、転生する魔界と考えられるようになりました。

鼻が高いことから、傲慢な人を「天狗になる」と呼ぶようになったと考えられていますが、傲慢さの象徴として鼻が高くイメージされるようになったものなので前後が逆です。

鎌倉時代、山伏の修行法や風体が異様に見られたため、山伏も天狗と呼ばれるようになりました。

現在想像されているイメージは、中国で狗の怪物に見立てられた隕石が、日本では山に棲む妖怪として空中を飛ぶ鬼の姿となり、天狗道で鼻が高くなって、天狗に見立てられた山伏の姿が組み合わさったものです。

2.デザート/dessert

デザート

デザート」とは、西洋料理で食事の最後に出す果物・菓子・アイスクリーム・コーヒー・チーズなどのことです。

デザートは、英語「dessert」からの外来語です。

「dessert」はフランス語の「dessert」に由来し、「dessert」は「食事を下げる」「食卓を片付ける」を意味する「desservir」に由来します。

「desservir」は「反動の動作」を表す「des-」と、「サービスする(食事を提供する)」意味の「servir」が合わさった語で、14世紀頃から「食卓を片付ける」という意味で用いられました。

「desservir」から「片付けた」を意味する「dessert」が生まれ、16世紀に入って「デザート」の意味を持つようになり、英語に入って「dessert(デザート)」となりました。

元々、デザートは食卓をすべて片付けることを意味していたため、テーブルクロスも取り払っていましたが、食事の最後に出される「コースの一部」ということから、現代では、テーブルの上のもがすべてを片付けられることは無くなり、グラスなどは残されるようになりました。

3.手形(てがた)

約束手形・為替手形

手形」とは、一定の金額を支払うことを委託・約束した有価証券です。為替手形・約束手形の総称。広義には小切手も含みます。

今日では有価証券類を指しますが、文字通り、元は手のひらに墨や朱肉を塗って紙や布に押した手の形を言いました。

横綱の手形

この手形は後日のための証として、土地の売買などの法律的な文書に押されたり、宗教的な文書である原文に押されていました。

証文の印として押す習慣はなくなりましたが、手形はこのような証文類をさす言葉として残り、近世以降、信用取引の制度を表す語として用いられるようになりました。

4.手前味噌(てまえみそ)

手前味噌

手前味噌」とは、自分で自分のことを褒めることです。自慢。

手前味噌という際の「手前」は、「自分のすぐ前」という意味ではなく、「自家製」や「自前」、また一人称の「自分」のことです。

手前味噌の「味噌」は食品の味噌のことですが、現代でも「ポイント」の意味で使われるように、「味噌」には「趣向をこらしたところ」の意味があります。

それは、かつて味噌は各家庭で作るもので、それぞれが良い味を出すために工夫をこらしていたためです。

近世には「趣向をこらしたところ」の意味から、人に自慢する様子にも「味噌」が使われました。

「手前味噌」という言葉は、「手前どもの味噌は……」と、自家製の味噌の味を自慢することから生じたとするのも間違いではありません。

しかし、「味噌」という言葉自体に「自慢」の意味が含まれることから、自分を自慢する言葉として「手前味噌」が使われるようになったと考える方が妥当です。

5.泥酔(でいすい)

泥酔

泥酔」とは、正体がなくなるほど、ひどく酒に酔うことです。

泥酔の「泥(でい)」は、中国の『異物志』に出てくる空想上の虫のことです。

「でい」は南海に住み、骨が無くて水があると生き生きとしていますが、水が無くなるとたちまち酔って泥土のようになり、正体を失ってしまうとされています。(「南海有虫無骨、名曰泥、在水則活、失水則酔如一堆泥」)

その様がひどく酔った状態に似ていることから、「泥酔」と言うようになりました。

杜甫の詩にも「酔如泥」とあり、日本でも酒に酔った状態を「泥の如し」といった例が、平安時代頃の書物に見られます。

6.帝王切開(ていおうせっかい)

帝王切開

帝王切開」とは、妊婦の腹壁・子宮壁を切開し、胎児を取り出す手術法です。自然分娩が困難な場合や、母児の生命に危険がある場合などに行われます。

帝王切開は、ドイツ語で「帝王切開(切開切除)」を意味する「Kaiserschnitt」を日本語に訳した際、この語を切り分けて「Kaiser」を「皇帝」、「Schnitt」を「切開」などと間違って訳してしまったため生まれた語です。

しかし、帝王切開の語源には俗説が多く、一般の国語辞典でも誤った説(語源俗解1・2)を載せていることから、それらが定説となってしまっています。
以下、語源俗解の一部です。

(1)「帝王切開(切開切除)」を意味するラテン語「sectio caesarea」をドイツ語に訳す際、「caesarea」を古代ローマの将軍「ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)」と間違えてしまったとする説。
「Kaiser」はカエサルの名前から「皇帝」を意味するようになった語ですが、カエサルの名前の「Caesar」の部分は「分家」を意味し、元は「切る」「分ける」といった意味から派生した語で、「Kaiser」も同様に「切る」といった意味があることから間違いです。

(2)ガイウス・ユリウス・カエサルが、この方法で産まれたことからとする説。
古代ローマの帝王切開は、妊婦末期に妊婦が死亡した際、胎児を助ける目的で行われたものですが、カエサルの母はカエサルが40歳を過ぎるまで生きているため間違い。

(3)中国では占星術によって皇帝の誕生日が決められており、誕生日を守るために帝王切開で出産していたからという説。
「帝王切開」の語は、中国語経由でないことが明確なので間違い。

7.テロ

テロ

テロ」とは、政治的目的のために、暗殺・暴行・破壊活動などの手段を行使すること、またそれを認める主義のことです。恐怖政治。

テロは、ドイツ語「Terror(テロル)」、英語「テロリズム(terrorism)」の略です。
「Terror」「terrorism」は、ラテン語で「恐怖」を意味する「terror」「terreo」の語根です。

更に遡ると、「震える」を意味する印欧語「*ter-」の語根に辿り着きます。

ただし、テロが政治的目的のための暴力手段を意味するようになったのは、1793年6月~1794年7月、フランス革命の「ロベスピエールの恐怖政治(regime de la Terreur)」以降のことなので、直接的な語源はフランス語の「Terreur(テルール)」となります。

8.手(て)

手

」とは、人体の肩から出ている部分のことです。手首、手首から指先、手のひら、指などをさすこともあります。俗に動物の前肢をいうこともあります。

手の語源には、「とり(取・執)」の約転。「いで(出)」の意味。「たべえ(食得)」の意味。「とらえ(捕)」の意味。「はて(果)」の上略など諸説あります。

「手」の字音は、漢音が「シュウ」、呉音が「シュ」で、物を「取・執(しゅ)する」。
つまり、「手」の漢字は「(物を)とる」の意味や、「守(とられぬよう持つ)」「受(しっかり持つ)」といった意味からきています。

必ずしもではありませんが、手は人間にとって昔から重要な部分であるため、「て(手)」の語源と漢字の由来が似ることは考えられます。

漢字の由来からすれば、「て(手)」の語源は「とり(取・執)」の約転とする説が妥当です。

9.でかい

でかい

でかい」とは、大きい、厳めしい、甚だしいことです。でっかい。

でかいは、「並外れている様子」「多い」「大きい」を意味する「いかい(厳い)」に、接頭語「ど」を付けて強調した「どいかい」が変化した語と考えられます。

現在でも、方言では「大きい」を「いかい」や「どいかい」と言うことから妥当と考えられますが、この語が成立した時代に「どい」の音が「で」に変化したという点が疑問です。

他には、「出てくる」「現れる」を表す動詞「いでく(出で来)」の他動詞「いでかす」が変形して「でかし」となり、形容詞に転用されて「でかい」になったとする説があり、「巨大なものが現れた」という印象から、大きさを表すようになったとする説もあります。

「でっかい」は「でかい」を強めた言い方、「でけー」や「でっけー」は「でかい」の方言です。