日本語の面白い語源・由来(ま-⑥)満を持す・学ぶ・斑・饅頭・舞茸・幕内・幕下

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満を持す

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.満を持す(まんをじす)

満を持す

満を持す」とは、「十分に準備を整え、機会がやってくるのを待ち受ける」ことです。満を持する。

満を持すは、『史記(李将軍列伝)』が出典です。
「満」は「みちること」「いっぱいになること」を意味する語ですが、ここでは「弓をいっぱいに引きしぼること」を意味し、「持す」は「保つ」を意味します。

満を持すは、弓を引きしぼったままの状態を維持することから、十分に準備をして機会を待つ意味となりました。

2.学ぶ(まなぶ)

学ぶ

学ぶ」とは、「教えを受けて知識や技芸を身に付ける。勉強する。学問をする。まねる」ことです。

学ぶ(まなぶ)は、「まねぶ(学ぶ)」と同源で、「まねる(真似る)」とも同じ語源です。
そのため、学ぶの語源は「真似ぶ(まねぶ)」とされることも多いですが、「まなぶ」と「まねぶ」は同じ時代に見られる語で、その前後関係ははっきりしていません。

「真に似せる」の意味から「真似(まね)」や「まねぶ」が生まれ、「まなぶ」という語が生じた。
もしくは、「誠に習う」の意味から「まなぶ」が生まれ、名詞形「まね」と、その動詞形「まねぶ」の語が生まれたと考えられます。

「まなぶ」は、教えを受けたり学問をする意味で多く用いられ、「まねぶ」は「まなぶ」よりも学問をする意味は薄く、模倣する意味で多く用いられました。

また、「まねぶ」は主に口頭語として用いられていましたが、「真似る」が広く用いられるようになったため、「まなぶ」の雅語(雅言)として扱われるようになりました。

3.斑(まだら)

まだら

まだら」とは、「種々の色や濃淡が入り混じっていること」です。ぶち。

まだらの語源は諸説あります。
一般に流布しているのは、仏教語「曼陀羅・曼荼羅(マンダラ)」が音変化した語とする説です。
これは、曼陀羅は悟りの世界や仏の教えを描いた図絵で、一定の枠内に種々の色が入り混じり、仏や菩薩も種々描かれていることから、「マンダラ」が「まだら」になったとするものです。
しかし、「まだら」の語は8世紀の『万葉集』にも見られることから、マンダラが語源とは考え難いものです。
その他、まだらの語源には、「間離(まはだら)」の略、「間処有(まとあり)」の意味、「間加不足(またらざる)」の意味などがあり、「間」を主にした説が多いようです。

4.饅頭(まんじゅう)

饅頭

まんじゅう」とは、「小麦粉・そば粉などを練った生地で餡を包み、蒸すか焼くかした菓子」です。

漢字の「饅頭」は漢語「饅頭(まんとう)」の借用語で、「頭」を「じゅう」と唐音読みして「まんじゅう」となりました。

饅頭の起源は中国にあり、諸葛孔明(しよかつこうめい)が南征した際、川の神に人身御供として人の頭を捧げれば鎮まるという風習を改めるため、羊や豚の肉を小麦粉で作った皮でくるんだものを人頭に見立て、神に捧げたことに由来するといわれます。

当初は、蛮人の頭の意味から「蛮頭(まんとう)」が用いられていましたが、祭壇に供えた後、それを食べるようになったことから、「饅」の字が当てられ「饅頭」になりました。

中国では饅頭が主食とされ、中に肉や野菜を入れるのが普通で、餡を入れるのは点心のときだけです。

日本でのまんじゅうは、1349年に宋から渡来した林浄因(りんじょういん)が奈良で作った「奈良饅頭」が始まりといわれます。

仏教では肉食が禁じられ、餡を用いたことから、日本では餡が入ったものを指すようになったということです。

しかし、室町時代には「菜饅頭(さいまんじゅう)」もあり、主食として粉食が好まれなかったため、菓子として食べる甘いまんじゅうが残ったともいわれます。

5.舞茸(まいたけ)

舞茸

舞茸」とは、「担子菌類ヒダナシタケ目サルノコシカケ科のキノコ」です。秋にミズナラなどの広葉樹の根元に生えます。βグルカンを多く含み、抗がん作用があるといわれます。

舞茸は、茎が分岐して多数の傘が重なり合い、全体が舞っているように見えることから付いた名前です。

他には、昔は「幻のきのこ」と呼ばれるほど希少価値があり、見つけた人が舞い上がって喜んだことから、「舞茸」と名付けられたとする説もあります。

しかし、植物やキノコの名前は、見た目や味から付けられることが多く、人の行動が由来となる場合は、文献が残っているか、誰もが知る言い伝えになっているはずなので、この舞茸の説は考え難いものです。

『今昔物語集』には、京都の北山でキノコを食べたら、舞踊り笑いが止まらなくなった人が出たため、このキノコを「舞茸」と言うようになったという説話があります。
しかし、これは今日で言う「舞茸」ではなく、ワライタケなどの幻覚性キノコを指しています。そのため、これも舞茸の語源とは考えられていません。

「舞茸」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・舞茸の 裏より上がる 昼の月(飯塚ゑ子)

・舞茸や 沖にうつりし つむじ風(栗栖恵通子)

・舞茸の 老木秘密 とはならず(近藤貞子)

・舞茸の 触るれば脆(もろ)き 舞衣(三村武子)

6.幕内(まくうち)

幕内

幕内」とは、「相撲で番付の第一段目に名が書かれている前頭以上の地位、また、その地位の力士」のことです。幕内力士。幕の内。

幕内は、江戸時代、徳川幕府の将軍の相撲上覧に際し、仕切りとしてまわりに張り巡らす「幔幕(まんまく)」の内側に、数人の上位力士が控えることを許されたため、そのような力士を「幕内」と呼ぶようになったとされます。

一説には、節会相撲(せちえずもう)の際に、上位力士が幔幕の内にいたことから、「幕内」と呼ばれるようになったとする説もあります。

時代と背景は前後しますが、幕内は幔幕の内にいることが許された上位力士の特権に由来することは間違いありません。

なお、幕内は「幕の内」とも呼ばれますが、幕の内弁当の語源は相撲の幕内ではありません。

7.幕下(まくした)

幕下

幕下」とは、「相撲の番付で十両の下、三段目の上に位する力士」です。

幕下の位は、昔は十両の位が無く、幕内の下の段に書かれたことに由来し、幕内に入らない力士の総称でした。

番付の二段目に書かれたことから、幕下は「二段目」とも言われました。
現在は二段目(幕下)の上位を「十両」として区別し、幕内の下ではなくなりました。