日本語の面白い語源・由来(も-⑤)物見遊山・土竜・モヒカン刈り・元も子もない・モツ・元の木阿弥・勿体ない

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物見遊山

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.物見遊山(ものみゆさん)

物見遊山

物見遊山」とは、「物見と遊山。気晴らしに見物や遊びに行くこと」です。

物見遊山の「物見」は、文字通り、物を見ることで、見物することを表します。
「遊山」は、気晴らしに遊びに出かけることや、山野で遊ぶことを意味しますが、本来は禅宗の言葉で仏教語でした。

遊山の「遊」は自由に歩きまわること、「山」は寺のことで、修行を終えた後、他山(他の寺)へ修業遍歴の旅をすることをいいました。

転じて、山野の美しい景色を楽しみ、曇りのない心境になることを意味するようになり、それが一般にも広まって、気晴らしに遊びに出かけたり山野で遊ぶ意味となりました。

稀に「物見遊山」という四字熟語をひとまとめに「禅宗に由来する言葉」としたものも見られますが、禅宗の言葉が語源となっているのは「遊山」のみで、「物見」や「物見遊山」の語源ではありません。

2.土竜(もぐら)

モグラ

モグラ」とは、「地下にトンネルを掘って棲み、ミミズや昆虫などを食べるモグラ科の哺乳類の総称」です。

モグラは、土の中に潜ることから「もぐる(潜る)」が変化したとする説がありますが、動詞「もぐる」は比較的新しい語で、現在の「モグラ」の語形から考えられた俗説です。

モグラの古い語形は、平安時代には「ウゴロモチ」「ムグロモチ」「ウグルモチ」などで、他にも、第一音節が「ウ」か「ム」、第二音節が「グ」か「ゴ」、第三音節が「ル」か「ロ」の組み合わせでいくつかあります。

平安時代の辞書には「うぐろもつ」「うごもつ」など、土を盛り上げる意味の動詞があり、モグラが穴を掘って土を盛り上げることからの命名と考えられます。

中世には「ウグロモチ」が一般的な語として使われていましたが、文化の中心が江戸に移り、江戸の地方語であった「ムグロモチ」の語系が一般的となりました。

1603年の『日葡辞書』には「モチ」が抜けた「ムグラ」の語も見られ、江戸時代後期になって「モグラ」が見られるようになります。

「ムグラ」から「モグラ」へ音変化する際、動詞「もぐる」が影響したことはある程度考えられますが、「もぐる」が語源で「モグラ」になったわけではありません。

漢字の「土竜」は、土を掘った跡のトンネル部分が竜のように見えるため付けられたものです。
ただし、中国で「土竜」は「ミミズ」を指しており、日本に伝わった際に誤って「モグラ」に「土竜」が当てられたといわれます。

「土竜打ち」「土竜送り」は新年の季語です。これは、田畑を荒らす土竜の害を除くための小正月の予祝行事です。祝い歌を唱えながら竹ざおや槌を地面に打ち付けます。祝い歌や方法は地方によって異なります。

3.モヒカン刈り(もひかんがり)

モヒカン刈り

モヒカン刈り」とは、「頭部中央の前から後ろにかけて細長く毛を残し、両脇を全部剃り落とすヘアスタイル」です。

モヒカン刈りは、アメリカのハドソン川上流に住んでいたインディアン「モヒカン族(Mohican)」の髪型を真似たことから、こう言うようになりました。

単に「モヒカン」と言うと、インディアンを指しているのか髪型を指しているのか分かりづらいため、ヘアスタイルをいう場合は、略さず「モヒカン刈り」と言うべきです。

4.元も子もない(もともこもない)

元も子もない

元も子もない」とは、「何もかも失うこと」です。

元も子もないの「元」は元金、「子」は利子のことです。
投資をして利子を得るはずだったのが、それどころか元金も全て失くしてしまうことを「元も子もなくなる」と言いました。

そこから、金銭的なことだけではなく、無理をしたり欲張り過ぎ、何もかも全てを失うことのたとえとして用いられるようになりました。

5.モツ

モツ

モツ」とは、「料理に使う牛・豚・鶏などの内臓」です。

モツは、「臓物(ぞうもつ)」の上略です。
料理人や食肉業者間の隠語で言っていたものが、一般に広まったといわれます。

6.元の木阿弥(もとのもくあみ)

元の木阿弥

元の木阿弥」とは、「一旦よい状態になったものが、元の状態に戻ること」です。

元の木阿弥の「木阿弥」は人の名前で、次の話に由来します。

戦国時代、大和郡山の城主 筒井順昭(つついじゅんしょう)が病死した。
後継ぎ息子の順慶(じゅんけい)は幼少だったため、遺言どおり順昭の死を隠すことになり、替え玉として、姿や声の似た盲人の木阿弥を寝室に寝かせた。
順慶が成人した三年後、順昭の死を公表し、木阿弥は用済みになったため、城主から元の木阿弥に戻ったという話です。

元の木阿弥の語源は、上記の説が最も有力とされますが、他に以下の二説があります。

妻と離縁して出家し、木の実を食べて修行に励んだ木阿弥と呼ばれる僧がいた。
年老いた木阿弥は心身が弱ったため、妻のところへ戻り、長年の修行が台無しになってしまった。それを知った人々は、「元の木阿弥」と言って嘲笑したという説。

お椀の朱塗りがはげて木地が現れ、貧弱な木椀に戻ったことを「元の木椀」と言い、それが転じて「元の木阿弥」になったとする説。

7.勿体ない(もったいない)

勿体ない

もったいない」とは、「惜しい。おそれおおい」ことです。

もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語です。
勿体の「重々しさ」「威厳」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていました。

転じて、「自分には不相応である」、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの持つ意味は広がっていきました。

また、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音です。
「物の形」「物のあるべき姿」から派生し、「重要な部分」「本質的なもの」となりました。
さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされます。

これらの経緯から、「惜しい」といった意味で用いられる「もったいない」は、「本来あるべき物がない」と原義に戻ったようにも思えます。

しかし、「もったいないおばけが出るぞ」などと言われるように、「神聖な物」「重要な物」を粗末にする意味が含まれるため、「勿体」の意味が転じたものと考えられます。