犬が付く言葉(その2)ことわざ・慣用句

フォローする



犬の付くことわざ

現代は「ペットブーム」とやらで、亀や蛇などの爬虫類を飼う人もいて、時々そのペットが逃げ出して大騒ぎになることがあります。また外来種の爬虫類を飼育放棄する人がいて、日本の生物の生態系を脅かす存在になることもあります。

そんな変わった動物は別として、日本には昔から犬や猫を飼う人がたくさんおられます。

古代ローマでは、およそ15,000年前には狩猟を主な目的に、犬は家畜として飼われていたようです。

その後、中世のころからペットとして可愛がるための存在として犬を飼い始めたのではないかと考えられています。

その頃は貴族を中心に犬を飼っていましたが、その終わり頃には一般の人たちも犬をペットとして飼う文化が根付いていたようです。

日本でも同様に、はじめは家畜として犬を飼っていました。犬を家畜化していたのは縄文時代からと歴史は古いです。

日本で犬をペットとして飼うのが一般的になったのは、江戸時代以降のようですが、猫は、平安時代の昔からペットとして飼われていました。清少納言の書いた『枕草子』の「上にさぶらふ御猫は」や、紫式部の書いた『源氏物語』の「若菜下の巻」にも登場します。

平安時代は猫の鳴き声は「ねうねう」、犬の鳴き声は「びよびよ」と表現していたそうです。今は、犬の鳴き声を表す擬音語は、「わんわん」が一般的ですね。

しかし平安時代後期、白河院政期(1086年~1129年)頃に完成した歴史物語の「大鏡」の中の次のような逸話では、犬の鳴き声は「ひよ」(当時は濁点をつけなかったので、多分「びよ」)と表されています。

清範律師という播磨国の僧侶が、愛犬家から犬の法事を依頼されます。この犬の法事の席で、飼い主が愛犬を偲んで説法を頼んだところ、清範律師は「ただいまや 過去聖霊は蓮台の 上にてひよと 吠え給ふらん」と言ったという話です。

江戸時代初期に出版された狂言の台本集である「狂言記」(1660年)では、犬の鳴き声は「びよ」と書かれています。実際の狂言の舞台では、多分「びょう」と発音していたのではないかと思います。江戸時代中期以降は「わんわん」が一般的になったようです。

これについては「犬の鳴き声はびよびよ、猫の鳴き声はねうねうだった!?」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。

また世の中には、猫好きの「猫派」と犬好きの「犬派」がいます。

もちろん、どちらも嫌いという動物嫌いの方もおられるでしょうが、皆さんはいかがでしょうか?

これについては「あなたは猫が好きですか?猫にまつわる面白い話」という記事を書いていますので、ぜひご覧下さい。

猫が付く言葉については、「猫が付く言葉(その1)熟語」「猫が付く言葉(その2)ことわざ・慣用句」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。

そこで今回は、犬が付くことわざ・慣用句をご紹介したいと思います。

1.「犬」が付くことわざ

・生きている犬は死んだライオンに勝る

明石家さんま南田洋子

どんな偉人でも死んでしまってはおしまいだから、凡人でも生きている方がいいということ。「生ける犬は死んだ虎に勝る」とも言います。

明石家さんまさんの座右の銘「生きてるだけで丸儲け」(*)という言葉や、以前、NHKの朝ドラ「わかば」で主人公の祖母役の南田洋子さんが「人生、生きちょるだけで丸儲け」と宮崎弁のセリフを何度も言っていたのは、このことわざと同じような意味ですね。

(*)この言葉は、師匠の笑福亭松之助さん(2019年2月22日逝去・享年93)から「人間は裸で生まれてきたから、服一枚着ただけで勝ちなんや」と聞かされことで生まれたとされます。

・一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ(いっけんかげにほゆればひゃっけんこえにほゆ)

一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ

一人がいいかげんなこと言い出すと、世間の多くの人がそれを真実として広めてしまうことのたとえ。
一匹の犬が何かの影を見て吠え出すと、辺りの百匹の犬がそれにつられて吠え出すとの意から。
「影に」は「形に」「虚を」、「百犬」は「千犬」「万犬」、「声に吠ゆ」は「実を伝う」「虚を伝う」「実に吠ゆる」などと多くの表現があります。

・犬一代に狸一匹(いぬいちだいにたぬきいっぴき)

犬一代に狸一匹

めったにない大きなチャンスのたとえ。犬が狸のような大物を捕らえるのは一生に一度あるかどうかということから。

・犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃおはひがし)

犬が西向きゃ尾は東

「当たり前すぎるほど当たり前であること」をたとえたことわざ。犬が東を向くと、当然尾は西を向くことから。

・犬が星をまもる(いぬがほしをまもる)/犬が星見る(いぬがほしみる)

犬が星見る

身分不相応な高望みをすること。物欲しそうなことのたとえ。犬が物欲しそうに星を見続けていても何もできず、星を手に入れることはできないという例えから生まれたことわざ。

鎌倉時代に慈円が著した史論書「愚管抄」に、「すべて末代には、犬の星をまもるなんどいふ様なることにて、え心得ぬなり」と出ています。

・犬に小判(いぬにこばん)

犬に小判

どんなに尊く貴重なものであっても、価値の分からない者が持っていたら何の役にも立たないこと。有名なことわざの「猫に小判」や「豚に真珠」と同じ意味です。

犬にエサを与えれば飛びつくけれども、小判を与えても食べることも使うこともできないという例えから生まれたことわざです。

「犬に小判」も「猫に小判」も江戸時代から使われていましたが、「犬に小判」の方が歴史が古いそうです。

・犬に論語(いぬにろんご)

犬に論語

どのように説いて聞かせても無駄なことのたとえ。分からず屋に道理を説こうと骨を折っても時間と労力の無駄にしかならないことを比喩的に表現したことわざ。「馬の耳に念仏」も同様の意味。

・犬の糞で敵を討つ(いぬのくそでかたきをうつ)

犬の糞で敵を討つ

ごく卑劣な手段で仕返し・復讐をすることのたとえ。朝起きて玄関を開けて犬の糞が散らばっていたら、とても嫌な思いを相手にさせるという意味から。

・犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ(いぬはみっかかえばさんねんおんをわすれぬ)

犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ

犬は三日間飼えば、その恩を三年間は忘れないということ。犬であっても、餌を与えて育てれば三年間恩を忘れないのだから、人間が恩知らずであってはいけないということ。恩知らずを諫(いさ)める言葉。

・犬は人に付き猫は付く(いぬはひとにつきねこはいえにつく)

犬は人につき猫は家につく

犬は家人になつき、引っ越しにもついて行くが、猫は人よりも家の建物・場所になじむという意味。犬と猫の違いを表した言葉で、犬は飼い主である人間から受けた恩を一生忘れないというたとえ。

・犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき)

犬骨折って鷹の餌食

苦労して得たものを他人に横取りされたり、手柄を上位の者に奪われることのたとえ。

・犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる)

犬も歩けば棒に当たる

でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。

・犬も朋輩鷹も朋輩(いぬもほうばいたかもほうばい)

犬も朋輩鷹も朋輩

同じ主人に仕えていれば、役目や地位の違いがあったとしても、お互いに仲良くして助け合わなければいけないということ。鷹狩りをする際に、犬と鷹は異なる待遇を受けるけれども、同じ主人に仕える同僚であるという例えから生まれたことわざ。

・飢えたる犬は棒を恐れず(うえたるいぬはぼうをおそれず)

生活に困った人間は、危険な事や悪い事をするのを恐れないことのたとえ。飢えた犬は、人間が棒を持っていても恐れずに、食べ物にありつこうとするという意味から。

・兎を見て犬を呼ぶ(うさぎをみていぬをよぶ)

兎を見て犬を呼ぶ

事を見極めてから対策をしても遅くないということ。また、一見手遅れに見えても、対策次第で間に合うこともあるので、あきらめてはいけないということ。
兎を見つけてから猟犬を呼ぶという意味から。
また、兎を見つけてから猟犬を呼んでも遅すぎるとの意味で、手遅れのたとえとして用いられることもあります。「兎を見て犬を放つ」「兎を見て鷹を放つ」も同様の意味です。

・家の前の痩せ犬(うちのまえのやせいぬ)

家の前の痩せ犬

後ろ盾がある時は威張り、ない時は意気地がない人のたとえ。臆病者なのに人の力を借りて威張る人のこと。痩せて弱い犬も飼い主の家の前では威張って強そうに吠えることから。

・大所の犬になるとも小所の犬になるな(おおどこのいぬになるともこどこのいぬになるな)

鴻池の犬

どうぜ人に仕えるなら、勢力・権力のある相手の下に付けというたとえ。主人や相手は堅実でしっかりしたものを選べということ。

「大所(おおどこ)の犬になるとも小家(こいえ)の犬になるな」「犬になるとも大どこの犬になれ」とも言います。

余談ですが、落語に「鴻池(こうのいけ)の犬」(「大所(おおどこ)の犬」とも言います)という面白い噺があります。これは動物が主人公の上方噺で、鴻池という大富豪に飼われていた犬の物語です。

・尾を振る犬は叩かれず(おをふるいぬはたたかれず)

尾を振る犬は叩かれず

素直で愛嬌があれば、誰からもひどい仕打ちを受けることはなく、何事も上手くいくこと。飼い主に従順で、しっぽを振って寄って来る犬を可愛く思う人はいても、憎む人はいないという例えから生まれたことわざ。

・飼い犬に手を嚙まれる(かいいぬにてをかまれる)

飼い犬

日頃からかわいがり面倒をみてきた者や目をかけてやっている者からひどく裏切られたり、害を受けたりしてひどい目にあうこと。

・垣堅くして犬入らず(かきかたくしていぬいらず)

垣堅くして犬入らず

家庭内が健全であれば、外部からそれを乱す者が侵入してくることはないというたとえ。垣根が厳重だと犬が入ってこられないという意味から。

・噛み合う犬は呼び難し(かみあういぬはよびがたし)

噛み合う犬は呼び難し

何かに熱中していると、他から何を言われても耳に入らないことのたとえ。
いくら呼んでも、夢中で噛み合っている犬の耳には入らないとの意から。

・食いつく犬は吠えつかぬ(くいつくいぬはほえつかぬ)

食いつく犬は吠えつかぬ

自信や実力のある者はむやみに騒ぎ立てたりしないというたとえ。
臆病な犬はむやみに吠えるが、強い犬はむやみに吠えたりせず行動に出るということから。

・暗がりの犬の糞(くらがりのいぬのくそ)

誰も気づかないのをいいことに、自分の失敗を押し隠して知らないふりをすること。

暗闇では犬の糞が見えないから、人に気づかれることもないというたとえから生まれたことわざ。

・狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)

狡兎死して走狗烹らる

必要なときは重宝されるが、用がなくなればあっさり捨てられることのたとえ。敵が滅びたあと、功績のあった者が邪魔にされ、殺されてしまうことのたとえ。

中国の戦国武将・韓信が残した言葉で「足の速い兎が死んでしまえば、優秀な猟犬も煮て殺されてしまう」という意味の故事成語。

「狡兎」とは、すばしっこい兎。「走狗」とは、猟犬のこと。
兎を捕まえる猟犬も、兎が死んでいなくなれば用無しになり、煮て食われることから、必要(価値)があるときは大事にされ、なくなれば簡単に捨てられることです。

・米食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる(こめくったいぬがたたかれずにぬかくったいぬがたたかれる)

米食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる

大きな悪事をはたらいた者が罪を逃れ、小さな悪事を犯した者が罰せられるたとえ。また、首謀者は助かって、その下で関わった者が罰せられることのたとえ。

・自慢の糞は犬も食わぬ(じまんのくそはいぬもくわぬ)

自慢する者は嫌われ、誰からも相手にされなくなることのたとえ。

自慢をする者はまわりの人に嫌われ、糞をかぎ回る犬でさえ、そういう人間の糞は避けるという意味から。

・蜀犬、日に吠ゆ(しょっけんひにほゆ)

蜀犬日に吠ゆ

無知なために、当たり前のことに疑いを抱いて騒ぎ立てるたとえ。また、見識が狭い人が他人のすぐれた言動を疑って非難するたとえ。「蜀犬」は、中国の蜀地方の犬のこと。
蜀地方は、山地で雨の降ることが多く、天気の良い日が少ないため、太陽が出ると犬が怪しんで吠えるということから。

・捨て犬に握り飯(すていぬににぎりめし)

ムダなことのたとえ。捨て犬や野良犬に餌を与えても、恩など忘れて急いで食べてすぐに逃げてしまうことから。

・外孫飼うより犬の子飼え(そとまごかうよりいぬのこかえ)

他家へ嫁いだ娘が生んだ子は、いくら可愛がっても、将来の頼りにはならない。そんな孫を可愛がるより、犬の子を可愛がる方がましだということ。

「孫飼わんより犬の子飼え」も、同様の意味です。

・頼むと頼まれては犬も木へ登る(たのむとたのまれてはいぬもきへのぼる)

頼むと頼まれては犬も木へ登る

人に懇願されると、出来るはずのないことまで、なんとかやってみようという気になるというたとえ。
折り入ってお願いされると、木登りができない犬も木に登ってみようという気持ちになるとの意から。

なおよく似たことわざに「豚もおだてりゃ木に登る」というのがありますが、これは普段は無能な者でも、おだててその気にさせると期待以上の成果を出すことがあるというたとえで、ニュアンスが違います。

・旅の犬が尾をすぼめる(たびのいぬがおをすぼめる)

自分が威張っていられる家の中などでは威勢がいいが、外へ出ると意気地がなくなることのたとえ。犬が自分の縄張りから出ると、威勢がなくなり尾を垂れることから。

・杖の下に回る犬は打てぬ(つえのしたにまわるいぬはうてぬ)

自分を慕ってくるくる者には残酷な仕打ちはできないということ。
追い払おうと振り上げた杖の下に、甘えてじゃれついてくる犬は人情として打つことはできないとの意から。

・所で吠えぬ犬はない(ところでほえぬいぬはない)

所で吠えぬ犬はない

自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。

我が門で吠えぬ犬なし(わがかどでほえぬいぬなし)」も同様の意味です。

・殿の犬には喰われ損(とののいぬにはくわれぞん)

権力のある者には、どんなことをされても手向かいできず、泣き寝入りするしかないことのたとえ。

殿様の飼っている犬では、いくら噛みつかれても抗議もできす諦めるしかないという意味。

・能なし犬は昼吠える(のうなしいぬはひるほえる)

能なし犬は昼吠える

才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするというたとえ。

・夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)

夫婦喧嘩は犬も食わない

夫婦喧嘩は一時的なものであったり、つまらない原因であったりするから、他人が仲裁したり心配するのは愚かなことであるというたとえ。

・吠える犬は嚙みつかぬ(ほえるいぬはかみつかぬ)

強がったり威張る人ほど実力がないということ。よく吠える犬ほど噛みつく勇気がないことから。

・吠ゆる犬は打たるる(ほゆるいぬはうたるる)

吠ゆる犬は打たるる

吠えてばかりいる犬は、いつもは温和な飼い主にもいつか叩かれてしまうという意味。
むやみに人に食ってかかったり、言いたい放題ばかりしていると、人から恨まれ、災難を招くことになるというたとえ。

・煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)

いくら追い払っても離れない犬のように、煩悩というものは、人の心から離れないということ。

・負け犬の遠吠え(まけいぬのとおぼえ)

負け犬の遠吠え

争いに負けた者が、負けを認めない主張をしたり、陰で悪口を言ったりすることのたとえ。

「遠吠え」とは、犬などの動物が遠くで声を長く引いて吠えること。
喧嘩に負けた犬が、遠くまで逃げてから吠えるようであるところから。

・孫飼わんより犬の子飼え(まごかわんよりいぬのこかえ)

孫飼わんより犬の子飼え

孫を可愛がったところで後に孝行してくれるとは限らないし、孫が孝行できる年になるまで自分が生きているかもわからないので、三日飼えば一生恩を忘れないという犬の子を可愛がった 方がましだということ。

孫を溺愛することの戒め。または、孫を可愛がっても、後で孝行してもらうことは少ないということのたとえ。

2.「犬」が付く慣用句

・犬と猿(いぬとさる)

犬と猿

仲の悪い間柄のたとえ。犬猿 (けんえん) の仲。

・犬の遠吠え(いぬのとおぼえ)

犬の遠吠え

臆病者が陰で空威張り(からいばり)をしたり、他人を非難したり陰口をたたくことのたとえ。

・犬も食わない(いぬもくわない)

夫婦喧嘩は犬も食わぬ

誰も望まず相手にしないもの、雑食の犬ですら欲しない程度の低いものといった意味合いの表現。多くは「夫婦喧嘩は犬も食わない」の言い回しで用いられます。

・毛のない犬(けのないいぬ)

人情や良心がない人のたとえ。体に毛がないことだけが、犬との違いだとの意から。
「毛のない猿」とも言います。

・犬猿も啻ならず(けんえんもただならず)

仲が悪いといわれる犬と猿よりも、さらに仲が悪いこと。

・犬兎の争い(けんとのあらそい)

犬兎の争い

無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされることのたとえ。
「犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれた」という故事から。

「漁夫の利(ぎょふのり)」や「鷸蚌の争い(いっぽうのあらそい)」と同様の意味。

・犬馬の心(けんばのこころ)

臣下が主君のために尽くし、恩に報いようとする忠誠心のこと。

・犬馬の養い(けんばのやしない)

犬や牛馬を食物を与えて養うのと同じように、父母に対しても、ただ仕送りをするだけ、衣食を与えるだけで敬意を払わないこと。(出典:論語)

・犬馬の齢(けんばのよわい)

犬馬の齢

自分の年齢をへりくだっていう言葉。大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意から。
「犬馬の年」や「馬齢(ばれい)」とも言います。

NHKのバラエティー番組「チコちゃんに叱られる!」風に言えば、我々もぼやぼやしているとチコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という決めゼリフで叱られそうですね。

・犬馬の労(けんばのろう)

他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意から。

・喪家の狗(そうかのいぬ)

喪家の狗

痩せ衰えて元気のない人のこと。または、飼い主に見捨てられた犬。

「喪家」とは、喪中の家。「狗」は、「犬」のこと。喪中の家では、悲しみのあまり飼い犬に餌をやることも忘れ、犬はやせ衰えていくことから。
また、「喪家」は「家を失う」という意味もあることから、宿なし犬、野良犬の意味。

鄭鄭の人が、諸国を周遊してすっかりやつれた孔子を見て「累累として喪家の狗の若し(やつれ果てて、まるで喪家の狗のようだ)」と言った故事に由来。