1.超訳とは
最近、「超訳ニーチェの言葉」とか、「超訳古事記」、「超訳資本論」などと、本のタイトルに「超訳」と付けた本をよく見かけるようになりました。
これは、もともとアメリカのベストセラー作家シドニィ・シェルダンのミステリー「ゲームの達人」「真夜中は別の顔」などから始まった翻訳の方法で、「英文和訳」ではなく、「英意和訳」をすることです。つまり、従来の原文尊重の英文和訳調をやめて、日本の読者向けに滑らかな日本文に書き換えるということのようです。この「超訳」という言葉自体は、株式会社アカデミー出版(英語教材などを出版する会社)によって登録商標化されています。同社からこの「超訳シリーズ」が20作品以上出ているそうです。
確かに以前の外国文学の翻訳を読んでいると、「10年後、私は教室の反対側に立っている自分自身を発見した。」というように直訳調で生硬な、日本語として熟(こな)れていない文章に出会うことがよくありました。これは、「10年後、私は母校の教師になった。」と書き直せば「超訳」になるということでしょう。
2.超訳は、難解な本の入門書としては最適
「超訳ニーチェの言葉」や「超訳古事記」「超訳資本論」などは、原典を読むのはなかなか難しい一般読者のために、その道の専門家が、平易な言葉を使って内容を損なわない範囲で「意訳」して広く一般国民にその書物の内容を知ってもらうという「啓蒙」の意味があるように思います。
ですから、我々としては、「入門書」として、この「超訳」を読み、さらに興味が湧けば、もう少し詳しい別の書物か原典に取り組むという方法が良いのではないかと思います。もちろん。「意訳」のつもりが、「違訳」や「恣意的な改変」で「誤訳」になっている部分があるかも知れませんので、頭から全て信用することは避けるべきです。「超訳者」として名前の出ている人が信頼できる人かどうかも重要なポイントです。
3.プロの翻訳とは
経済・経営・金融関係の翻訳を主に手掛けるプロの翻訳家の山岡洋一氏は、「翻訳とは何か-
職業としての翻訳」で次のように述べています。
翻訳とは、原文を正しく理解し、理解しきった上で原文の日本語版を『執筆』することである。また翻訳家とは、自国に輸入したい知識や熱意があるから翻訳するひとびとである。
これは、まさに「超訳」に相通じるものがありますが、日本の「翻訳者」の何人くらいが、このような高い意識と力量を持っているのでしょうか?山岡氏はインタビュー記事の中で、「本当に翻訳の出来る人は10人~20人くらいかも知れない」と語っています。また「ベストセラーを翻訳している有名な人に、『英文和訳』が多い。びっくりするような(低)レベル」と辛辣な意見も述べています。この原因は、大量の翻訳をこなすために、外注・下請けで大学院生や翻訳家志望の人に「下訳」を分担させて、しっかり「校正」「校閲」をしていないのが原因かもしれません。
4.超訳・翻訳の「名義貸し」は読者の信頼を裏切るもの
中には有名な翻訳家が「名義貸し」だけして、自分自身は「校正」や「校閲」を全くしていないかほとんどしていないケースもあるかもしれません。もしこのようなことがあるとすれば言語道断です。
「大学共通テスト」の採点にも「大学生アルバイトを雇う問題」がありましたが、どこか似ていますね。
しかし、我々のような素人には、その誤りを検証することは無理です。ですから、そういう誤りも十分ありうることを念頭に置いて読むしかありません。
以前、「まんが日本の歴史」というシリーズがありましたが、最近また「まんがで身につく孫子の兵法」とか「マンガで身につくフレームワークの使い方の本」とかが出ています。これらも、「漫画」というビジュアルで頭に入りやすく平易に解説したもので、小中学生や若いビジネスマンには最適な入門書ではないかと思います。
ほかにも、新井 満氏(1946年~2021年)の「自由訳 老子」とか、「自由訳 千の風になって」「自由訳 方丈記」「自由訳 般若心経」という本があります。これも、趣旨としては「超訳」と同じです。
何も、「最初から絶対原典を読まなければならない」と決めてかかる必要は、全くありません。色々なアプローチがあってしかるべきです。そういう様々な手法で、一般国民が古典に親しんだり仕事の技術を身につけたりする傾向は歓迎すべきことです。
これからも、「超訳」や「自由訳」、「漫画」シリーズに大いに期待したいと思います。