1.「スズムシ」と「マツムシ」の名前が逆転した話
「マツムシ」は「スズムシ」の古称で、「スズムシ」は「マツムシ」の古称とされています。
紫式部の書いた「源氏物語」第38帖に「鈴虫の巻」があります。この巻名は、女三宮の贈歌「おほかたの 秋をば憂(う)しと 知りにしを ふり捨てがたき 鈴虫の声」および光源氏の返歌「心もて 草の宿りを 厭(いと)へども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ」によるものです。ここで言う「 鈴虫」は現代の「マツムシ」のことです。
(現代の「スズムシ」)
(現代の「マツムシ」)
なぜこのような名前の逆転が起きたのか、はっきりしたことはよくわかりません。しかし私の推理は次のとおりです。
明治時代に入って、西洋から近代科学を急速に取り入れるため、様々な学問分野で「お雇い外国人」を招聘したり、留学生をドイツやイギリスに派遣したりしました。植物学の分野での牧野富太郎や、博物学・生物学の南方熊楠のような人が、動物学や昆虫学の分野でもおられたのかも知れませんが、私はよく知りません。
しかし、昆虫学を学んだ留学生か大学教授が、日本固有種の昆虫の詳細な分類を行う中で、「マツムシ」と呼ばれていた今の「スズムシ」は「リーン、リーン」と鳴いて「鈴」という名前がぴったりなので「スズムシ」と変え、「スズムシ」と呼ばれていた今の「マツムシ」は「ティッティッ、リリッ」とやや不鮮明なので、反対に「マツムシ」に改名したのではないかと思います。
源氏物語の第38帖「鈴虫の巻」の「八月十五夜、秋の虫の論」では、中宮が「秋に鳴く虫の中では松虫(現代のスズムシ)が特に優れている」と述べています。
「虫の音いとしげう乱るる夕べかな」とて、われも忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞こゆ。げに、声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。
「秋の虫の声、いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、中宮の、はるけき野辺を分けて、いとわざと尋ね取りつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。
心にまかせて、人聞かぬ奥山、はるけき野の松原に、声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になむありける。鈴虫は、心やすく、今めいたるこそらうたけれ」などのたまへば・・・
しかし、一般的には昔の人は、秋に鳴く虫を種類ごとに聞き分けられる人はほとんどおらず、大雑把だったのではないでしょうか?今の人でも「スズムシ」は「リーン、リーン」、「マツムシ」は「ティッティッ、リリッ」と聞き分けられる人はあまりいないでしょう。「虫の声」という唱歌の歌詞に「あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん」とあることから「チンチロリン」と聞こえるものと思いこんで草むらでマツムシを探しても、決して見つかりません。
今はインターネットで「秋の虫鳴き声」を検索し、最初に表示される「鳴き声検索」で検索すれば色々な虫の声を聴くことが出来ます。これを聴けば、あなたもマニア並みの「秋の虫」通になれるかも知れませんよ。一度ご自分の耳で聴いて、確かめてみて下さい。
なお、名前の逆転というのは、それほど珍しくないという話を聞いたことがあります。その人の話によれば、Aという名前のものをBと呼ぶようになった場合、名前を無くしたBに代替としてAという名前を付けるというのです。この説によれば、「スズムシ」から「マツムシ」に改名した疑問も解消しますね。
前に「コオロギとキリギリスの名前が逆転した話」の記事を書きましたが、「スズムシとマツムシの名前が逆転した話」にも触れていていますので興味のある方はぜひご覧ください。
2.スズムシを飼育した話
私が小学生の頃、近所に虫好きの老人がいて、スズムシを累代飼育していました。毎年たくさんの卵が孵化するので、近所の子供たちに分けていて、私も6月ごろに孵化したばかりのひげのような小さな小さな鈴虫を10匹くらいもらいました。
7月下旬ごろに羽化しました。「リリー、リリー」「リーン、リリーン」と涼しげで透き通った音色ですが、どこか寂しい感じがしました。キリギリスと違って竹製の虫籠ではなく、ガラス瓶に砂利と土を敷き詰めて飼いました。餌はキリギリスと同じように、キュウリやナスを輪切りにして与えました。
秋になって雌が産卵するようになりましたが、雄は食べられてしまいました。「共食い」です。動物質の餌を与えなかったことが原因です。2年くらい飼育したように記憶しています。
虫の鳴き声を鑑賞する文化は、日本や中国で継承されて来ましたが、欧米人は虫の鳴き声を「雑音」として聞くか、鳴いていることすら気付かない場合が多いとされています。
3.鈴虫寺
京都嵐山にある「鈴虫寺」として有名な妙徳山華厳寺に、夫婦で訪れたことがあります。
華厳寺は、もともと江戸時代中期に華厳宗の再興のために開かれた寺ですが、現在は臨済宗の寺となっています。
本尊である大日如来のほかに地蔵菩薩も安置しており、全国から地蔵信仰、入学・開運・良縁祈願の人々が訪れています。
この鈴虫寺では、飼育室内の温度調節によって、「一年中スズムシの鳴き声が聞ける寺」として有名です。
4.スズムシを詠んだ俳句
「鈴蟲は鳴きやすむなり蟲時雨」(松本たかし)
「買って来たこの鈴蟲は唄が下手」(西 武比古)
「鈴蟲は死後に月照りありにけり」(神生彩史)