前に「ユートピア」の記事を書きましたが、ほかにも理想郷を描いた文学作品や、理想郷の実践の社会運動があります。
今回は陶淵明の描いた「桃源郷」と、ジェームズ・ヒルトンの描いた「シャングリラ」および武者小路実篤が実現を試みた「新しき村」運動についてご紹介したいと思います。
1.桃源郷
(1)桃源郷とは
桃源郷とは、陶淵明の伝奇小説「桃花源記」に由来する理想郷です。「桃花源記」のあらすじは次のようなものです。
東晋王朝の時代、武陵というところに住んでいた漁師が舟で川を遡り、桃の花が咲き乱れる林に迷い込んでしまいます。
林の尽きる水源の奥の洞窟を抜け出ると美しく豊かな不思議な山里が広がっていました。
その村では、秦王朝の戦乱を逃れた難民の子孫が、漢・魏・晋と数百年にわたる世の中の推移も知らずに、外の世界との接触を完全に絶って平和で豊かな暮らしをしていました。
漁師は数日山里で過ごした後、印を付けながら自分の家に帰りそのことを話しましたが、二度とその山里に行くことはできませんでした。
これは老子の「小国寡民(しょうこくかみん)」のユートピア思想を描いたものです。
(2)陶淵明とは
陶淵明(365年~427年)は東晋末期から南朝宋初期の詩人で、「桃花源記」のほか「帰去来辞」で有名です。
2.シャングリラ
(1)シャングリラとは
「理想郷」を描いた文学作品には、サー・トマス・モアの長編小説「ユートピア」と、陶淵明の伝奇小説「桃花源記」のほかに、「失われた地平線」という冒険小説があります。
「失われた地平線(Lost Horizon)」は、1933年に発表されたイギリスの作家ジェームズ・ヒルトンの小説で、そこには「シャングリラ(Shangrila)」という理想郷が描かれています。
余談ですが、アメリカ空軍は自軍の秘密基地をこの「シャングリラ(Shangrila)」という名前で呼んでいるそうです。メリーランドにあったフランクリン・ルーズベルト大統領の別荘も「シャングリラ」と名付けられました。(後に、キャンプ・デーヴィッドに改名されました)
本文は、イギリスのパスクル駐在領事だったコンウェイが熱病で一度記憶を失って重慶の慈善病院で作家のラザフォードに発見され、上海から日本経由でサンフランシスコへ向かう一緒の船旅の中で記憶を取り戻し、語った特異な体験をラザフォードが書き留めて原稿の形にまとめたものです。
プロローグとエピローグで、ラザフォードから原稿を受け取った話者である精神病学者がその前後の経緯を説明する形になっています。
あらすじは次の通りです。
1931年に革命騒ぎで混乱したアフガニスタンのパスクルから80人の白人居住者を避難させる任務に就いていた37歳のコンウェイ領事は、最後の3人(若い副領事マリンソン、東方伝道会のミス・プリンクロウ、アメリカ人のバーナード)とともに政府手配の小型機に乗りました。
しかしその操縦士は、本来の操縦士とは別人で、飛行機は本来の目的地のペシャワールではなく、チベット奥地へ飛び、乱暴な着陸をした後、操縦士は「近くにラマ教の僧院がある」と言い残して亡くなります。
夜が明けると、中国人の一行が来て、4人をシャングリラの僧院に案内します。
僧院には近代的な施設が整っており、近くには金鉱があって外部からの必要なものの購入に不自由はありませんでした。
ここでは人々は平和でストレスのない生活をしていて、年を取るのが非常に遅くなっていました。また外界に邪魔されず自らの思索に深く没入することができます。人を否定することはせず、お互いの信条を尊重し合い、ある意味で突き放した相互理解があります。
4人は外部に出る手段がないまま、シャングリラにとどまり、特にコンウェイ領事はこの地を好きになっていきます。
シャングリラでの現世の煩わしさから解き放たれた穏やかで不思議な世界の謎が、最高位のラマ僧「大ラマ」によって、コンウェイ領事に語られていきます。
この僧院は1734年に53歳でこの地に来たカプチン会所属のカトリック神父ペローによって創建され、次第にこの土地に馴染んでいったそうです。そしてこの「大ラマ」は齢250歳以上という奇跡の長寿を手に入れたペロー神父その人だったのです。
彼の話では、シャングリラではできる限り一定の数で新しい人を迎えるよう努めてきましたが、この20年ほど新来者がなかったので、信徒の一人が思い切って谷を出て補充の人員を連れてこようと提案し、コンウェイら4人の乗った飛行機を乗っ取ったということでした。
4人のうち、若いマリンソン副領事だけが「帰心矢の如し」でシャングリラを出たがっていました。彼は僧院の満州娘と恋仲になっていましたが、彼女は1884年に18歳でここに来たということなので、若く見えますが実際はかなりの高齢です
「大ラマ」はコンウェイとの何回目かの面会の時に、いよいよ自分の死期が近づいたことを告げ、シャングリラの歴史と運命を彼の手に委ねたいと言い残して亡くなります。
そしてコンウェイが若いマリンソンがシャングリラを出ていくのを山道の難所まで同行し、そこで運送業者と満州娘に会うところで手記は終わっています。
(2)ジェームズ・ヒルトンとは
ジェームズ・ヒルトン(1900年~1954年)はイギリス(イングランド)の作家で、「失われた地平線」のほか「チップス先生さようなら」で有名です。
3.「ユートピア」と「桃源郷」と「シャングリラ」の違い
「ユートピア」は、想像上の理想の社会=「自由と規律を兼ね備えた共和国」=理想郷です。
「桃源郷」は、仙人の住むところ、俗界を離れた清らかな場所で、誰からの支配も受けず、争いもなく、豊かな暮らしができる場所=「俗世間を離れた別天地」=理想郷です。
「シャングリラ」は、悩みや苦しみのない場所、安楽に暮らせる場所で、現世の煩わしさから解放された穏やかな世界=この世の楽園=理想郷です
4.新しき村
(1)新しき村とは
「新しき村」とは、1918年11月に白樺派の文学者武者小路実篤らによって、宮崎県木城村(現木城町)に設立された人類愛・人道主義をモットーにした農業協同集落(農業共同体)のことです。
子爵家に生まれ学習院で学んだ彼が、「誰もが正直に働き、人間らしく生きられる社会」という人道主義的理想の実現をめざしたものです。
「新しき村の精神」は次の通りです。
・全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想とする。
・その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。
・その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。
・全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。
・かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能性を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。
・されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人がはいる事で、入ろうとすることで、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。
各人が一定の義務労働を分担して、衣食住が無料で得られる社会をめざしましたが、農地の大半がダムで水没することになり、1939年に埼玉県入間郡毛呂山町に「東の村」を建設しました。
「新しき村」の精神は、「自他を犠牲にすることなく自己を生かすこと」にあり、村民は自らの労働によって自らの生活を支えた上で、自由を楽しみ、個性を生かせる生活をめざしましたが、この試みは成功したとは言えないようです。
ロシア革命(1917年)の成功による社会主義思想の普及、国内の政治的社会的混乱、大正デモクラシー運動などの多様な社会的要因に、彼のトルストイズムが結合した白樺派人格主義の実践・実験だったと言えます。
近年は村内の高齢化が進み、平均年齢は60歳を超えている上、鶏卵の値下がりや人手不足で養鶏をやめるなど農業収入の低迷もあり、村の運営は困難になってきているようです。過去の積立金を取り崩して補填しているとのことです。2018年時点では宮崎県で3人、埼玉県で8人が暮らしています。
(2)武者小路実篤とは
武者小路実篤(1885年~1976年)は、小説家・劇作家で1951年に文化勲章を受章しています。志賀直哉らと文芸雑誌「白樺」を創刊し、白樺派の代表的作家として活躍しました。
小説「お目出たき人」「幸福者」「友情」「真理先生」や戯曲「人間万歳」などがあります。
野菜の絵に文を添えた色紙も多数あります。