「テセウスの船」という話をご存知でしょうか?同名のコミックがあったり、竹内涼真主演のテレビドラマがあったりするので、この言葉はお聞きになった方が多いと思います。
ただ、元々の話は、いわゆる思考実験もしくはパラドックスと呼ばれているものです。
前に「トロッコ問題」「シュレディンガーの猫」「マクスウェルの悪魔」という思考実験の記事を書きましたが、これも興味深い思考実験です。
そこで今回は思考実験「テセウスの船」についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.思考実験「テセウスの船」
(1)「テセウスの船」とは
「テセウスの船」はパラドックスの一つで、「テセウスのパラドックス」とも呼ばれています。
「ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられた時、過去のそれと現在のそれとは「同じそれ」だと言えるのか否かと言う問題(同一性の問題)」です。
(2)パラドックスのバリエーション
①ギリシャ神話
帝政ローマのギリシャ人著述家のプルタルコス(46年から48年頃~127年頃)は、次のようなギリシャの伝説を挙げています。
テセウス(ギリシャ神話に登場するアテナイの王で、国民的英雄。ミノタウロスを退治したことで有名)が、アテナイの若者とともに、クレタ島から帰還した船には30本の櫂があり、アテナイの人々はこれを大切に保存していました。
しかしその船は年月を経るごとに朽ちていくため、朽ちた部分の木材は徐々に新たな木材に取り換えられていきました。
では、その船の木材が全て新しいものに取り換えられてしまったとして、それは本当に「テセウスの船」なのでしょうか?
論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となりました。
すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのです。
プルタルコスは、この哲学船の思考実験において、「全ての船の部品が新しいものに取り換えられてしまったとして、それは本当にテセウスの船なのか?」という問題のほかにも、そこから派生して「逆に抜き取られた古い木材を集めて、もう一度新しい船を作ったとして、それはテセウスの船と呼べるのか?」と言う問題も投げかけています。
②ヘラクレイトスの川
ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(B.C.540年頃~B.C.480年頃?)は、同一性に関して独自の視点を持っていました。
人々が同じ川に入ったとしても、常に違う水が流れている。
プルタルコスは、ヘラクレイトスの言葉として「同じ川に二度入ることはできない」と引用しています。
これは鴨長明の「方丈記」冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と同じ考え方ですね。
③おじいさんの古い斧
「おじいさんの古い斧(Grandfather’s old axe)」とは、本来の部分がほとんど残っていないことを意味する英語の口語表現です。すなわち「刃の部分は3回交換され、柄は4回交換されているが、同じ古い斧である」というわけです。
(3)実例
一番わかりやすい実例は、人間の体を構成する細胞です。人間の細胞は日々入れ替わっています。肌の細胞は約1カ月で全て入れ替わるそうです。成人の人体では細胞の平均寿命は10年以下とされています。
こうして生まれ変わったあなた(または私)の体は、果たして過去と全く同じと言えるでしょうか?
答えは明らかで、「細胞が全て入れ替わっても、あなた(または私)と言う存在は同一だ」ということです。
細胞が入れ替わるのは、その人間の「成長ないし老化」によるもので、全く別の人間に入れ替わるものではありません。
このほかに少し微妙な実例としては、次のようなものがあります。
①野球チームのパラドックス
読売ジャイアンツや阪神タイガースは歴史ある球団ですが、選手の引退や加入、監督の交代が行われ、チームを構成する要素は入れ替わっていますが、同一と言えるのか?
これは、「歴史の古い学校」や「歴史の古い会社」についても言えることです。
②アイドルグループのパラドックス
「モーニング娘」のように、当初のメンバーはいなくなり、メンバーが全員入れ替わったアイドルグループは、同一と言えるのか?
③ウナギ屋の秘伝のタレのパラドックス
ウナギ屋が創業以来継ぎ足して使っているという秘伝のタレは、もう最近継ぎ足したタレの成分しか残っていないのではないか?それでも同一と言えるのか?
④過去に全焼したり破壊されたりして復元された歴史的建築物
大阪城のように再建された歴史的建築物は同一と言えるのか?
2.解答の試み
古来哲学者たちは、この問題についていろいろな解答を試みてきました。
(1)アリストテレスの「四原因説」
アリストテレスは、全ての事物の在り方は、「質量因」「形相因」「動力因」「目的因」の四原因で説明できると考えました。
・質量因:何でできているか
・形相因:どんな形をしているか
・動力因:誰がどのように作ったか
・目的因:何のために作ったか
アリストテレスは、テセウスの船で重要なのは、物の見た目である「形相因」が重要であるとして、修理を繰り返したテセウスの船ですが、見た目は変わらないため「同一と言える」と結論付けています。
ちなみに「質量因」から見ると同一ではありませんが、「動力因」「目的因」から見ると同一と言えます。
(2)「同じ」の定義・質か数か
「同じ」と言う概念は、「質的」と「数的」の二つに分けられます。
テセウスの船は、徐々に部品交換されて「質的」には変わってしまっていますが、「テセウスの船」と呼ばれ続けた船は、当時から現在まで1隻しかなく、「数的」には同一のものと言えます。
ヘラクレイトスの川は、「質的」には同一ですが、「数的」には同一ではありません。
(3)「四次元主義」
この船は修理を重ね、パーツが入れ替わっていっても、過去から現在のどの時点においても「テセウスの船」としてあり続けました。
仮に「テセウスの船」でないと言うのであれば、一体どの時点から「テセウスの船」でなくなったのかと言う疑問が生じます。
空間的な広がりを示す3次元に対して、4次元は時間的な広がりを示す言葉です。一瞬一瞬の時間を区切って考えた(タイムスライス)時、一つ前の「テセウスの船」は一つ後の「テセウスの船」は別物です。
しかし一連のタイムスライスをまとめて考えると、最初から現在まで「テセウスの船」としてずっとあり続けているため、パーツが入れ替わっても同一のものということになります。
この考え方が、私には一番説得力があるように思います。
(4)価値から考える「構造主義」
これは物事の仕組みや構造を考え、本質をとらえようとする考え方で、「構造主義」と呼ばれることがあります。
「テセウスの船」としてパーツを取り換える前と同じように保管され、使用されているのであれば同じものであるという結論になります。