前に「三上(さんじょう)」についての記事を書きましたが、「三」という数字は、「万歳三唱」、「三々九度」「三国一」とか「三顧の礼」、「孟母三遷」「三度目の正直」「三人寄れば文殊の知恵」「三日坊主」「三年寝太郎」「三大美女」「三大悪女」などいろいろな場面で使われています。
日本で「縁起の良い数字」といえば、「奇数」で、1・3・5・7・9です。これは「陰陽道」から来ており、「奇数」は「陽」の数、「偶数」は「陰」の数とされているのです。(ただし、8は「末広がり」を連想させるので、縁起の良い数字とされています)
「スローガン」や「講話のポイント」の数は「三つ」までにするのが理想的で、それ以上にすると散漫になりますので、「3」というのは、とても重要です。
田中角栄元首相は、陳情に来るたくさんの人々に対して「結論を先に言え。理由を三つに限定しろ。それで説明できないことはない」と話していたそうです。
「三」の付く熟語やことわざはたくさんあります。その中から面白いものをいくつかご紹介します。
1.三多
(1)外山滋比古氏の「思考の整理学」で引用された「三多」
この「三多」は文章の上達に必要な三つの条件のことで、「看多」「做多(さた)」「商量多」の三つを指します。北宋の政治家・文人で「唐宋八大家」の一人として有名な欧陽脩(1007年~1072年)の「後山詩話」にある言葉です。
①看多(かんた):多くの本を読むこと
②做多(さた):多くの文章を書くこと
③商量多(しょうりょうた):多くの工夫や推敲をすること
お茶の水女子大学名誉教授外山滋比古氏(1923年~2020年)の「思考の整理学」(1986年発売)は、本の帯に「東大・京大で一番読まれた本」とあるように「34年間で245万部以上売れたロングセラー」で「長く読み継がれる良書」だと思います。
「これまでの学校教育はグライダー人間の訓練所」のようなものだと著者は指摘しています。先生と教科書に引っ張られ、受動的に知識を得る教育です。しかし、いくらグライダー能力が優秀でも、自力で飛び上がる飛行機の訓練を受けていないため、自分で物事を考えるとなると途端にまごついてしまうのです。コンピューターという人間以上に優秀なグライダー能力の持ち主が現れた今、自分で翔べない人間はいずれコンピューターに仕事を奪われてしまうと予見しています。
「新しいことを考え出す工場」のような創造的人間が求められているのです。「思考の整理」とは、自分の関心・興味・価値観によって、ふるいにかける作業のことです。
「書く作業」は立体的な考えを線状の言葉の上に乗せることです。「寝させる」(時間を置く)ことによって思考を発酵させ、「忘れる」(情報を取捨選択する)ことによって頭の中を整理して書き進めることで、少しずつ思考の整理が進んでいくわけです。
「自分の頭で考える力」を養いたい人はぜひ読むべき本だと思います。
外山滋比古氏の考え方は、上野千鶴子東大名誉教授が入学式祝辞で述べた「メタ知識」や、「アクティブラーニング」にも通じるものだと思います。
(2)一般社団法人日本生活習慣病予防協会が提唱する「三多」
これは、日本生活習慣病予防協会が「生活習慣病」を予防するために心がけるべきこととして、「一無、二少、三多」という3つの提案をしている中の一つです。
①多動:体を多く動かすこと
②多休:しっかり休養をとること
③多接:多くの人・事・物に接する生活をすること
ちなみに、「一無」とは「無煙・禁煙の勧め」で、「二少」とは「少食・少酒の勧め」です。
2.朝起きは三文(さんもん)の徳
「早起きは三文の得」と覚えておられる方も多いと思いますが、同じ意味です。朝早く起きると健康にも良いし、それだけ仕事や勉強もはかどるので得だということです。
私が現役サラリーマン時代、上司の「朝はゴールデンアワー(タイム)で、頭の働きが最も活発」との一言で、当日夕方ではなく翌日早朝に「(前日の)帰店報告」をする時がありました。
しかし、「当日の活動内容は当日中に報告したい」「夕方の方がエンジンが全開」「逆に朝は、あまり頭が働かない」という人もいるもの(私がそれ)で、大変苦労しました。
蛇足ながら、「Never put off till tomorrow what you can do today.」(今日できることを明日に延ばすな)というベンジャミン・フランクリンの言葉が私の信条です。
3.居候(いそうろう)三杯目にはそっと出し
「居候」というのは、現代ではあまりいないので、ピンと来ない人も多いのではないでしょうか?
「居候」は、近世の公文書で、同居人を「仁右衛門方居候」などと示したところから出た言葉です。他人の家に世話になり、ただで食べさせてもらうこと、またその人で、「食客(しょっかく)」とも言います。
他人の家にただで世話になっている者は、食事の時も遠慮しがちになるということです。居候の肩身の狭さを詠んだ川柳がことわざになったものです。
太平洋戦争中、東京や大阪で空襲に遭って焼け出された家族が、地方にある実家の親戚の家に居候することがあったようです。
最初は同情されて、一応歓迎されても、そのうちに「いつまでいるのか?厚かましい」という態度に変わっていき、食べ盛りの子供がお代わりをしようとした時には、ことわざのような状態になったようです。
4.一日(いちじつ)三秋(さんしゅう)
「一日千秋(の思い)」というのはよく聞きますが、「一日三秋」という言葉はあまり知られていません。しかし、意味は同じです。
詩経の「一日見ざれば三秋の如し」とあるのに基づきます。思慕の情が非常に強いこと、またある人や物が早く来てほしいという情が深いことのたとえです。
三秋(3年)なら、まだよいとしても、千秋(1000年)とはいかにも大袈裟ですね。しかし中国には「白髪三千丈」(約9km)という言葉もあるくらいなので、中国人は昔から物事を大げさに言う傾向があったようですね。
現在の中国の「経済成長率」のような統計数字も、あまり当てにならないという話を聞いたことがあります。
5.子は三界(さんがい)の首枷(くびかせ)
「三界」とは、仏教の教えで、人が生死で輪廻を繰り返す世界を三種に分けたもので、「欲界」「色界」「無色界」のことです。「首枷」とは、罪人の首にはめて自由を奪う刑具の一種です。
親が子へ抱く愛情が深いからこそ、子のために自由を奪われるということです。子供がいくつになっても親は子供のことを心配するものだと実感する今日この頃です。
6.世の中は三日見ぬ間の桜かな
「世の中は、3日見ないうちに散ってしまう桜のようなものだ」という意味で、世の中の移り変わりが激しいことのたとえです。
これは、一見普通のことわざのようですが、実は江戸時代の俳人大島蓼太(りょうた)(1718~1787)の俳句です。
7.読書三余
「読書三昧」というのは、「一日中ひたすら書物を読むことに浸りきる様子」を表す言葉としてよく知られていますが、「読書三余」という言葉はご存じでしょうか?
これは、「読書をするのに好都合な三つの余暇のこと」です。それは、一年のうちでは「冬」、一日のうちでは「夜」、天候のうちでは「雨降り」を指します。「董遇三余」とも言います。
由来は、中国三国時代に魏の董遇(とうぐう)が、勉学する時間がないと嘆く弟子を諭した言葉です。この話には「前段」があります。董遇は弟子に最初から教えようとせず、まず自分で書物を熟読すべきことを説きました。『読書百遍 義自(おの)ずから見(あらわ)る』です。すると弟子の一人が、「私には、書物を百回も読む暇がありません」と言ったのです。それに対して董遇は「暇がないことはない。三余にしなさい」と答えたということです。「晴耕雨読」が生活の基本であった当時、「余暇」(自由に使える時間)は農作業の忙しくない季節である冬と、夜と雨降りしかなかったからでしょう。
ところで日本では一般に「読書の秋」と言いますが、中国にも「灯火親しむべし」(韓愈)という言葉があります。これは唐代の文人で「唐宋八大家」の一人である韓愈(768年~824年)の「符読書城南詩」という漢詩に由来する言葉です。「涼しい秋の夜は、灯火をともして読書をするのに適しているから、しっかり勉学にいそしみなさい」という意味です。
やはり「読書に最適な季節」と言えば日本も中国も秋ということに異存はないようです。