「和製漢語」や「新漢語」は明治の先人の努力の賜物。その他の面白い造語も紹介

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微苦笑

1.「和製漢語」あるいは「新漢語」

日本は明治時代に、文明国である西洋の学問・文化・文物を積極的に吸収し取り入れる「欧化政策」を推進しました。その中で、英語やドイツ語から「日本語に翻訳した言葉」がたくさん作られました。

「哲学」という言葉は、江戸時代後期から明治時代初期の啓蒙思想家の西周(1829年~1897年)が「Philosophy」を日本語に翻訳した造語です。これは「和製漢語」あるいは「新漢語」と呼ばれるものです。

「和製漢語」あるいは「新漢語」は、このほかにも、「科学」「郵便」「自由」「観念」「福祉」「革命」「意識」「右翼」「運動」「階級」「共産主義」「共和」「左翼」「失恋」「進化」「接吻」「唯物論」「人民」など現在普通に使われている言葉がたくさんあります。

スポーツでも、「野球」「卓球」「庭球(テニス)」「「蹴球(サッカー)」「籠球(バスケットボール)」「排球(バレーボール)」「闘球(ラグビー)」「羽球(バドミントン)」「「孔球(ゴルフ)」「水球(ウォーターポロ)」「鎧球(アメリカンフットボール)」「氷球(アイスホッケー)」「避球(ドッジボール)」「送球(ハンドボール)」「門球(ゲートボール)」「投球(ボウリング)」「杖球(ホッケー)」「撞球(ビリヤード)」などの「和製漢語」あるいは「新漢語」がありますが、なかなかよく考えたものだと思います。

明治時代に多くの人々が苦心してこのような言葉を造ってくれたおかげで、現代の我々はすぐにその内容が認識できます。

それに反して最近は、このような「和製漢語」あるいは「新漢語」にせずに、英語の「カタカナ表記」のままのケースが多くなったように思います。前に「ゲマインシャフトで行こう」という記事でも、そのことは取り上げましたが、この傾向は英語に慣れるというメリットがある反面、一般の人が意味を理解できない弊害があると私は思います。

2.「微苦笑」

「微苦笑」とは、「微笑とも苦笑ともつかない笑い。微笑と苦笑との入り混じった複雑な笑い」のことです。

この「微苦笑」というのは、間違いなく小説家久米正雄(1891年~1952年)の造語です。彼は夏目漱石に師事した小説家です。

彼は「微苦笑芸術」という本の中で、「微苦笑といふのは、私の成語で、微かな苦笑と云ふ意味ではない。微笑にして同時に苦笑であるの謂(いい)である」と自ら解説しています。

3.「肩が凝る」

夏目漱石(1867年~1916年)は森鴎外と並ぶ日本の文豪で、私の好きな作家の筆頭ですが、彼は肺結核・神経衰弱・痔・糖尿病・胃潰瘍と多くの病気に悩まされた人でもあります。

「肩が凝る」という表現が、彼の造語であるという説が流布しています。彼の「門」と言う小説の中に「指で押してみると、首と肩の継ぎ目の少し背中へと寄った局部が石のように凝っていた」という表現があります。何やら「医師の所見」のようにも感じますね。

この説によれば、「それ以前は肩こりの症状を特に指す用語は日本語にはなく、肩こりという言葉が生まれたことで、多くの日本人が肩の筋肉が固くなる症状について自覚するようになった」とのことです。

しかし、調べてみると、同時期に狩野直喜という中国文学者が「日本國見在書目録に就いて」と言う本の中で「一體唐は詩賦文章の時代で、經學の如き肩の凝るものは嫌ひであった」と現代の用法と同じ意味で「肩が凝る」という表現をしています。

また、1686年の医学書「病名彙解」において「痃癖」として紹介されており、その俗語が「うちかた」であるとの記述があります。

また、樋口一葉(1872年~1896年)は、「門」の発表以前に「肩が張る」という表現を用いています。

以上の点から、「肩が凝る」は夏目漱石の造語とは言い難いようです。

4.夏目漱石によるそのほかの造語

夏目漱石については、「肩が凝る」以外にも、「新陳代謝」「反射」「無意識」「価値」「電力」という造語があると言われていますが、はっきりした確証はありません。

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