デカルトの名言

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我思う ゆえに我あり 

大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。

これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いていますので、興味のある方はぜひご覧下さい。

ところで、この三人の哲学者の名前は知らない人もいないほど有名ですが、それぞれの人物の生涯や思想については、詳しく知っている方は少ないのではないかと思います。

前回「近世哲学の祖と言われるデカルトとはどんな人物だったのか?」「近世哲学の祖と言われるデカルトの思想とは?」という記事を書きました。

そこで今回は、デカルトの名言をご紹介したいと思います。

<デカルトの名言>

(1)自分

・我思う、故に我あり。(コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum)

・世界ではなく、自分自身を征服せよ。

・健康は紛れもなくこの世で最上の善であり、ほかのあらゆる善の基礎となる。

・精神を思う存分働かせたいと願うなら、体の健康に留意することだ。

・私は自分の行為をはっきりと見て、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽りを区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。

(2)他人・人間

・人の考えを本当に理解するには、彼らの言葉ではなく、彼らの行動に注意を払え。

・ギリシアの画家アペレスは、自分の絵の後ろに隠れて人々の率直な批判をきき、腕を磨いたという。自己教育の手段である。

・私たちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、私たちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じる。

・私たちと全く反対の意見を持つ全ての人が、それゆえに野蛮で未開だというわけではなく、それどころか、多くの人が私達と同じかそれ以上に、理性を働かせていることに気づいた。

・不決断以外に深く後悔させるものはない。

・決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか、悟性が足りないのだ。

・賛成の数が多いからと言って、何一つ価値のある証拠にはならない。

・人間の誤りの主な原因は、幼少期に身に付いた偏見である。

・あまりに旅に時間を費やす者は、最後には己の国で異邦人となる。

・完全数というのは、完全な人間と同様、非常に稀な存在である。

(3)思考

・事物の真理を探究するには方法が必要である。

・知識を完全なものにするためには、企てに関するすべてのものを中断されない思考によって辿ってゆき、そしてそれらを秩序正しい枚挙によって総括しなければならない。

・知性や想像力や感覚や記憶による助力は、すべて用いるようにすべきである。要するに、人間として活用できるいかなるものも無視しないようにしなければならない。

・同一の事柄について真理は一つしかありえないのに、学者たちによって主張される違った意見がいくつかあるのを見て、私は真らしく見えるにすぎないものは一応虚偽とみなした。

・いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点を引き出すことだ。

・疑いは知のはじまりである。

・信じなさい。あなたの人生は、あなたの思い描いた通りになると。

・ひとたびでもわれわれを欺いたものを完全には信じないことは思慮深さのしるしである。

・自然(うまれつき)の理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人よりも、いっそう正しく私の意見を判断してくれるだろう。

・自分を判断する場合、いつも、自惚れるより疑心を抱く。

・常識とはこの世で最も広く分配されている日用品である。

・もしあなたがほんとうに真理を探究するなら、いちどは自分の人生におけるすべてのものを可能な限り疑わなければならない。

・精神を向上させるためには、学ぶことよりもより多く熟考していくべきである。

・不決断こそ最大の害悪である。

・理性すなわち良識が私たちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のものであるだけに、各人のうちに完全に備わってると思いたい。

・思考を除いて、我々の力の中で絶対的なものなど存在しない。

・楽観主義者は何もないところに明かりを見るが、なぜ悲観主義者はいつだってその明かりを吹き消そうとするのだろうか?

(4)行動

・行為すること、これが存在することである。

・良い精神を持っているだけでは十分ではなく、大切なのはそれを良く用いることだ。

・極めてゆっくり歩む人でも、常に真っすぐな道を辿るなら、走りながら道を逸れてしまう人よりも、はるかに前進することができる。

(5)学習・成長

・良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人々と親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、彼らの思想の最上のものだけを見せてくれる。

・最高の学問とは、世間という膨大な書物から学ぶことである。

・心を向上させるために、われわれは瞑想することよりも、学ぶことを少なくすべきである。

・勉学に努めた結果、私は多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、益々自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかった。

・大人になる前の子供は、色々な欲求や教師たちに長いこと引き回される。しかしそれらの欲求や教師はしばしばお互いに矛盾し、またどちらも恐らく、常に最善のことを教えてくれたのではない。

・過去の世紀になされたことに興味を持ちすぎると、現世紀に行われていることについて往々にしてひどく無知なままとなる。

・ものを研究することの目的は、知能を指導して、それが出会うすべての事柄につき、しっかりした真なる判断を下せるようにすることである。

・極めて些細で容易な事物に対しても、知能の全力を向けて真理を明瞭に直観することに慣れなければならない。

・知能が明敏になるためには、すでに他の人々によって見出された事柄を、自分で探求する練習をしなければならない。

・私は何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性の故である。

(6)失敗

・誤りとは欠陥にすぎない。

(7)問題

・欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている。

・私がこれまでに解決した個々の問題は、後に別の問題を解決するための法則となった。

・難しい問題は、小さく分けて考えなさい。

・難問はそれを解くのに適切かつ必要なところまで分割せよ。

(8)時間

・一日一日を大切にせよ。毎日のわずかな差が、人生にとって大きな差となって現れるのだから。

(9)自然

・自然は人間を嫌う。

(10)神

・神は天と地、およびその間に存在するすべてを創造した。

(11)哲学

・哲学はあらゆることについて、まことしやかな話をし、学の浅い人々の称賛を博する手段を与える。