大坂(現在の大阪市)も安土桃山時代までは上町台地付近まで海(大阪湾)でした。江戸の芝浜(現在の港区の田町駅の浜松町側のJR線路沿い)も海辺(江戸湾)で魚河岸(うおがし)がありました。「芝浜」と言えば落語でも有名ですね。
ところで驚くべきことに、わがふるさと高槻市も、太古の時代には「タカツキワニ」が生息する浅い海の中でした。当時は「氷河時代」の「間氷期(温暖期)」で、海水面が高かったようです。
今回は「タカツキワニ」と太古の地質時代についてご紹介したいと思います。
1.「タカツキワニ」とは
1966年(昭和41年)に高槻市安岡寺5丁目の市バス「上ノ口」バス停付近の住宅地造成工事で露出した地層から「タカツキワニ」の化石(歯、背骨、肋骨、腰骨)が発見されました。
生息していた時期は「地質時代区分」の「新生代第四紀更新世」で、約110万年前です。
この付近の地層は、「大阪層群」と呼ばれ、約300万年前~30万年前(鮮新世末~更新世前期)に大阪平野や大阪湾、京都盆地や奈良盆地に溜まった粘土と砂礫の地層です。
豊中市の「マチカネワニ」(約45万年前)や、岸和田市の「キシワダワニ」(約70万年前)も大阪層群で発見されたワニの化石です。
2.「新生代第四紀更新世」の地質時代における位置づけ
「新生代第四紀更新世」は、「新生代第四紀」の前半に相当する時代です。人類(ホモ属)の出現した時期で、約258万年前~約1万1700年前の期間です。
「氷期」と「間氷期」を繰り返した「氷河時代」で、人類の歴史では「旧石器時代」に当たります。
大陸の形は現在とほとんど変わりませんが、「氷期」「間氷期」の氷床の拡大・縮小により「海水準」が最大で百数十メートルの変動がありました。
生物ではホモ属(ヒト属)が進化し、現生人類(ホモ・サピエンス種)も中期に出現し、一方で「ヒト亜族」の大半が絶滅し、最終的に現生人類のみが生き残りました。
更新世の終わりごろからマンモスなどの「大型哺乳類の絶滅」が始まり、これは「完新世」まで続きました。
3.地質時代と生物の進化
地質時代の中では、映画「ジュラシックパーク」などでもおなじみの「恐竜」が繁栄した「中生代」の「ジュラ紀」「白亜紀」が有名ですが、私が特に面白いと思うのは「古生代」の最初の「カンブリア紀」(5億4200万年前~4億9000万年前)です。
この「カンブリア紀」には、それまで数十種しかいなかった生物が、爆発的に増加し約1万種になりました。この出来事は「カンブリア(大)爆発」と呼ばれています。この大量の生物種を創り出したのは何者なのか?私には答えが出せるはずもありませんが、考えてみると大変不思議な出来事ですね。
地球の歴史が46億年で、「カンブリア紀」が約5億年前で、ホモ・サピエンスが25万年前に出現したという悠久で壮大な時間軸で考えると、一人の個人の「人生100年」などほんの一瞬の出来事にしか過ぎませんね。また、いつかホモ・サピエンスが絶滅して新たな生物が地球上に現れて支配することになるかもしれません。