高槻市民に「天神さん」として古くから親しまれている「上宮天満宮」は、「太宰府天満宮」に次ぐ2番目に古い天満宮で、有名な京都の北野天満宮より歴史があると言われています。
1.「天満宮」とは
「天満宮」とは、菅原道真を祀る神社です。菅原道真が亡くなった後、平安京で雷・大火・疫病などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件で大納言の藤原清貫ら道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなったことから、道真は「大自在天」や「大威徳明王」などと関連付けて考えられるようになります。
「天満」の名は、道真が死後に贈られた神号「天満(そらみつ)大自在天神」から来たと言われています。
怨霊の記憶が薄れて太平の世になると、道真が優れた学者であったことから、天神は「学問の神様」とされ、多くの受験生が合格祈願に訪れるようになったというわけです。
2.「上宮天満宮」とは
「上宮天満宮」は、高槻市の「天神山」(「日神山(ひるがみやま)」)と呼ばれる丘陵にあり、社伝によれば太古に武照日命(たけひなてるのみこと)が当地に降臨して鎮座したと言われています。その後、正暦4年(993年)に菅原道真の霊を鎮めるため太宰府に赴いた勅使が、帰途この地で急に牛車が動かなくなる異変にあい、調べたところ、菅原氏の祖先とされる野見宿祢(のみのすくね)ゆかりの地であることを知って、ここに道真を祀ったとのことです。
3.「太宰府天満宮」と「北野天満宮」の歴史
右大臣であった菅原道真は、昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって太宰府に左遷され、翌年同地で亡くなりました。
その後「道真の祟り」と恐れられるような天変地異や陰謀に加担した者や天皇家の不幸などが重なり、道真の怨霊を鎮めるため、最初に亡くなった土地の太宰府に延喜19年(919年)に天満宮が作られます。
京都の「北野天満宮」は、天暦元年(947年)に創建されています。「上宮天満宮」は993年ですから、「北野天満宮」の方がだいぶ古いことになります。「上宮天満宮」が2番目に古いという言い伝えは、993年に「上宮天満宮」とされる前の927年にこの地に菅原氏ゆかりの「野身神社」として創建されていたからではないかと思われます。
蛇足ですが、「日本三菅廟」と言われるのは、「太宰府天満宮」「北野天満宮」「和歌浦天満宮(964年~968年ごろの創建)」で、残念ながら「上宮天満宮」も「大阪天満宮(949年創建)」も入っていません。
太宰府は菅原道真の没した地で、京都・北野は都で天満宮総本社、和歌浦は紀州徳川家の地で和歌浦という景勝地ということで優位性があるのでしょうか?