哲学と言うと、禅問答と同様に「よくわからない」というのが多くの人の印象だと思います。
ところで日本を代表する哲学者と言えば、「善の研究」を著した西田幾多郎と、禅を海外に紹介したことで有名な鈴木大拙ではないかと思います。この二人は今年生誕150年に当たります。
そこで今回は、この二人の哲学の巨人について、分かりやすくご紹介したいと思います。
1.西田幾多郎
西田幾多郎(1870年~1945年)は、石川県河北郡森村(現在のかほく市森)出身の哲学者です。実家の西田家は江戸時代、十村(とむら)と呼ばれる加賀藩の大庄屋を務める豪家でした。
(1)人物像
旧制四高を中退後、東京帝大哲学科選科に学びました。在学中に鎌倉の円覚寺などで参禅しています。1894年に大学卒業後、1899年旧制山口高校講師を経て四高教授となり、熱心に打坐・参禅して「純粋経験」「直接経験」「絶体矛盾的自己同一」など後の彼の根本思想となるものについて、思索を深めています。
四高では、心理学・論理学・倫理学・ドイツ語を担当し、「デンケン(denken:ドイツ語で『考える』)先生」と親しまれたそうです。
1911年に発表した「善の研究」は、当時の旧制高校生の代表的な必読書となったそうです。
学習院教授などを経て1913年に京都帝大文科大学教授(宗教学)に就任し、1914年からは哲学・哲学史講座を担当しています。
彼は若い時に、肉親(姉・弟・娘2人・長男)の相次ぐ死、学歴での差別(帝大における「選科(聴講生に近い立場)」への待遇の低さ)、妻との一度目の離縁など多くの苦難を味わっています。
1940年には文化勲章を受章しています。
(2)考え方
彼の哲学体系は「西田哲学」と呼ばれています。これは参禅経験と近代哲学を基礎に、仏教思想と西洋哲学をより根本的な地点から融合しようとしたものです。
まず、禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した「純粋経験論」から、その純粋経験を自覚することによって自己発展していく「自覚論」、そしてその自覚など、意識の存在する場としての「場の論理論」、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される「絶体矛盾的自己同一論」へと展開して行きました。
(3)名言
①善とは一言にていえば人格の実現である。
②衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある。
③自己が創造的になるということは、自己が世界から離れることではない。自己が創造的世界の作業的要素となることである。
2.鈴木大拙
鈴木大拙(本名:鈴木貞太郎)(1870年~1966年)は、石川県金沢市出身の仏教哲学者です。金沢藩藩医の四男として生まれました。
(1)人物像
旧制四高を中退後、1892年に東京帝大哲学科選科に入学し、1895年に卒業しています。西田幾多郎とは同級同窓で、旧制四高以来の友人です。
彼も大学在学中に西田幾多郎と同様に禅に興味を持ち、鎌倉の円覚寺の今北洪川、釈宗演のもとに参禅しています。
この時期、釈宗演のもとをしばしば訪れて禅の研究をしていた神智学徒のベアトリス・レインと出会い、後に(1911年に)結婚しています。
大学卒業後、学習院講師(英語担当)などを経て、1909年東京帝大文科大学講師(1916年まで)、1910年学習院教授(1921年まで)、1921年大谷大学教授(1960年まで)を歴任しています。
彼は「大乗仏教概論」「禅論文集」などの著作を英文で著し、日本の禅文化ならびに仏教文化を海外に広く知らしめました。
1949年には文化勲章を受章しています。
彼は、同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎(国文学者)とは旧制四高以来の友人で、この三人は「加賀の三太郎」と称されました。
また金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は、「お前は学問をやれ。俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、彼を経済的に支援したそうです。
1950年~1958年にはアメリカ各地で仏教思想の講義を行いました。1952年~1957年にはコロンビア大学客員教授として、仏教や禅の思想の授業を行い、ニューヨークを拠点にアメリカ上流社会に禅思想を広める立役者となりました。また、ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、プリンストン大学などでも講義を行っています。そのため、彼は海外での名声の方が高いのです。
生前の1963年にはノーベル平和賞候補に挙がっていたものの、受賞を逸しています。
余談ながら、「東京ブギウギ」の作詞者鈴木アラン(勝)は鈴木大拙とベアトリス・レインの実子とも養子とも言われています。その妻がジャズ歌手の池真理子で、その娘がセラピストの池麻耶です。
(2)考え方
彼の考え方の代表的なものが、「即非の論理」と「日本的霊性」です。
「即非の論理」とは、「通常の論理が分別知の論理であるのに対し、分別以前の論理あるいは無分別の論理」ということです。分別の論理が、対象を文字通り分節化するのに対して、即非の論理は、分節化以前の直接的な経験を大事にします。彼はこれを「主客未分の状態」と形容しました。これは西田幾多郎の「純粋経験」に通じるものがあります。
これは形式的に言うと「AはAだというのは、AはAでない、ゆえにAはAである。」となります。分別知にとらわれた我々には「論理矛盾」で非合理のように思われます。
しかし彼は、こう捉えることで物事の本質がわかってくると考えるのです。即非の論理では、「Aは非AであってかつAである」というよりも、「Aは非AであるからこそAである」「非Aという形で一旦否定された上でなければ、Aという形で肯定されることはない」ということになります。
これは一見「弁証法の論理」(自己の内にある矛盾を自らの発展によって無くして、新しく統合された統一に到達する理論)の「正ー反ー合」「措定ー反措定ー総合」(テーゼーアンチテーゼージンテーゼ)の論理構造と似ていますが、決定的に違うのは弁証法の総合的な真理が否定と肯定の繰り返しの結果事後的に現れる構成であるのに対し、即非の論理はそもそも初めから否定と肯定が併存したものとした構成となっていることです。
私の勝手な解釈ですが、次のようなことではないかと思っています。つまり、「自分の知識や今までの体験、肩書や社会的地位などの虚飾を一切消去して自分を見つめ直すことによって、初めて自分の本質が見えてくる、自分が自分であることになる」ということではないでしょうか?
「日本的霊性」とは、「日本人的な独特の霊性」のことです。「即非の論理は、知性ではなく霊性の分野で働くものだ」という場合の霊性もそれです。「即非の論理は、論理という言葉が入っているが、知性によっては捉えられず、人間に備わった別の能力を働かせなければならない、それが霊性だ」というわけです。
西田幾多郎の「純粋経験」は「即非の論理」と同様に「主客未分の混沌とした状態」ですが、西田幾多郎は分別知を加えて説明しようとしたのに対し、鈴木大拙は霊性によって説明しようとしました。これは「哲学者」と「宗教哲学者(宗教家)」の違いと言えるかもしれません。
(3)名言
①悲しみのパンを口にすることなくしては、あなたは真実の人生を味わうことはできない。
②苦しみ能(あた)うということが人間の特典なのだとすれば、十分にそれを味わっていくべきだということ。それができないとなると、人間である自分の特権を棄てるということになるというのです。
③仕事の最中、仕事そのものにとって、評価は重要ではない。第二義の問題である。禅は日々の生活を生きることであって、外からそれを眺めることではない。
外から眺める時には必然的に、実際に生きるという事実から遠ざかってしまう。