皆さんは「自灯明」「法灯明」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?
この「自灯明」「法灯明」という二つの言葉は、死が間近の釈迦(ブッダ)が、「師が亡くなったら何に頼ればよいのか」と嘆く弟子のアーナンダに諭した言葉です。
これは仏教用語(禅語)ですが、宗教を信じない人にも参考になる言葉なのでわかりやすくご紹介したいと思います。
1.自灯明(じとうみょう)とは
「自灯明」とは、「自分自身を頼り(拠り所)として生きて行きなさい」という意味です。
自分自身を目の前を照らす灯火として、先の見えない暗闇のような人生を歩いて行きなさいということです。
そしてこれは、自分が何を信じればよいのかわからなくなった時に、自分自身の光を信じなさいという意味が込められています。
自分を信じて、自分の考え方や価値観をもとにして、いたずらに他人の意見に左右されずに生きるべきだということです。
今は世界中の多くの人々が、コロナ禍で先の見えない不安に苛まれています。しかし、自分を信じて生きて行くしかありません。
私が子供の頃はよく停電がありました。そんな時はロウソクの明かりに頼りましたが、そんな頼るものが何もない場所でも、自分を頼りにすることで自分自身が明かりとなり、暗闇を照らすことができるということです。
昔、ラジオで「心のともしび」というカトリック教伝道番組があって、「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」という言葉がありました。私はキリスト教徒ではありませんが、これは「自助努力の推奨」の大変良い言葉だと思います。
もう一つ「天は自ら助くる者を助く」という言葉があります。
God(Heaven) helps those who help themselves.
これは、「天は他人の助力を頼りとせず、自分自身で努力する者に力を貸してくれる」という意味です。アメリカの政治家・物理学者のベンジャミン・フランクリン(1706年~1790年)の「富に至る道」にある言葉で、イギリスの著述家サミュエル・スマイルズ(1812年~1904年)の「自助論」(中村正直訳の「西国立志編」)にも、この言葉は引用されており、それ以来広く用いられるようになりました。
「自灯明」もこれらの言葉と同様の教訓を我々に与えているように思います。
2.法灯明(ほうとうみょう)とは
「法灯明」とは、「真理、つまり本当に正しいことを頼りにして生きて行きなさい」という意味です。
「法灯明」とは、本来は仏法(仏の教え)が自分自身の明かりとなることを指しています。もし自分自身にさえ自信が持てなくなってしまった時は、仏法の光を頼りにしなさいという意味が込められています。
しかしこの言葉を、「仏法」に限定して解釈するのではなく、もっと広く「何かを信じることではなく、何が本当かを見抜き、考え抜く生き方のこと」と拡大解釈してもよいのではないかと思います。
「真理」は仏教的な「釈迦(ブッダ)の教え」や「無常」「縁起」「解脱」「空」などにこだわらず、普遍的な真理と考えてよいと思います。