日本人は言葉を省略することが好きな民族のようです。「国際連合」を「国連」、「公正取引委員会」を「公取委」、「外国為替」を「外為」と略称で呼ぶように、長たらしい名前を広く認知できる短い言葉で表現するのは合理的と言えます。
特に若者にその傾向が顕著です。たとえば最近では「自己中心的」を「自己中」と言うなどの例があります。しかしこれなどは、まだ日本語として広く認知され定着しているかは疑問です。
もちろん英語圏にも「略語(略称)」はあります。主なものはアルファベットの「頭文字」を使用する「頭字語」で、「FBI(エフビーアイ)」のように「アルファベットを一文字ずつ発音するもの」(イニシャリズム)と、「NASA(ナサ)」のように「略語を普通の単語と同じように発音するもの」(アクロニム)とがあります。
ところで我々が「略語(略称)」と気付かずに当たり前のように使っている日本語の中には、「正式名称」を意外と知らないものがいくつもあります。
1.切手(きって)
「切手」という名称は、もともとは「持参人に表示された商品を引き渡す一種の商品券」を意味する言葉で、当初は「切符手形(きりふてがた)」と呼ばれていましたが、その後略されて「切手」と呼ばれるようになりました。
江戸時代に通称「蔵預かり切手」と呼ばれた「米切手」がその代表的なものです。ただし、現在の「切手」は「郵便切手」の略語です。
余談ですが、私が子供の頃は「空前の切手収集ブーム」で、私も「花切手シリーズ」や「国際文通週間シリーズ」「切手趣味週間シリーズ」などの「記念切手」が発行されるたびに買ったものです。
2.電車(でんしゃ)
「電車」という名称は、もともと自走式の「電動機付き客車(電動客車)」および事業用車を含む「電動機付き貨車(電動貨車など)」の略称でしたが、現在では一般名詞となっています。
3.割り勘(わりかん)
「割り勘」は「割前勘定(わりまえかんじょう)」の略語です。
この「割前勘定」を考案したのは、江戸時代の戯作者・浮世絵師の山東京伝(1761年~1816年)だと言われています。彼は友人との飲み会でも頭数で代金を計算していたことなどから、当時「京伝勘定」とも呼ばれたそうです。
最近は総務省の高級官僚が、菅首相の長男が役員を務める会社から一人あたり1万円を超える(最高額は7万円以上)の高額接待を受けたことが週刊文春の記事で明らかになり、「国家公務員倫理法違反」が問題になっていますね。
国民の誰が考えても明らかな違反で、過去に大蔵省の「接待漬け」が大問題になったのに、「割り勘」にせずこのような接待を受け続けていたのは、頭が良いはずの高級官僚の感覚が麻痺していたということでしょう。
4.ビー玉(びーだま)
「ビー玉」は「ビードロ玉」の略語です。「ビードロ」とは、ポルトガル語で「ガラス」という意味です。
「切手趣味週間」の記念切手にも「ビードロを吹く娘」というのがありましたね。これは喜多川歌麿の浮世絵版画を図案にしたもので、私も収集していました。
彼女が吹いている「ビードロ」は「ポッペン」と呼ばれるガラスの玩具で、息を吹き込むと底がポッペンと鳴るのでこう呼ばれています。
余談ですが、サイダーとよく似た清涼飲料にラムネにも「ビー玉」が入っています。
ただし、ラムネ瓶に入っているのはビー玉(不完全な球形のB玉)ではなくエー玉(完全な球形のA玉)だそうです。ちょっとややこしいですね。
そしてラムネに不合格のビー玉は、子供の遊び道具「ビー玉」として売られることになったのだそうです。ちなみに私の地元では「ビー玉」のことを「ラムネ」と呼んでいました。
5.演歌(えんか)
「演歌」は、「演説歌」を略したものです。明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した「演説歌」が作られたのが起源です。
演説への取締りが厳しかった時代に、演説を歌にすることで取締りから逃れていたのだそうです。
6.寒天(かんてん)
「寒天」は「寒晒し心太(かんざらしところてん)」を略したものです。
「心太を寒い屋外に放置してしまうというミス」が原因で偶然誕生したのが「寒天」です。
これこそ「セレンディピティ」の賜物ですね。
余談ですが、私の故郷である高槻市の原地区は寒天の産地として有名です。
江戸時代に摂津国島上郡原村字城山(現在の高槻市原)の宮田半兵衛が製法を改良して寒天製造を広めました。1798年には寒暖差の大きい島上郡・島下郡・能勢郡の18ケ村による「北摂三郡寒天株仲間」が結成されており、農閑期の余業として寒天製造が行われたそうです。
7.経済(けいざい)
「経済」は「経世済民(けいせいさいみん)」の略語です。
「経世済民」は、中国の古典に登場する言葉で、文字通りには「世を経(おさ)め民を済(すく)う」で、「世の中をよく治めて、人々を苦しみから救う」という意味です。
なお「経国済民」もほぼ同じ意味です。
8.軍手(ぐんて)
作業用手袋としておなじみの「軍手」は「軍用手袋」の略語です。旧日本軍の兵士が用いたことに由来しています。
9.食パン(しょくぱん)
「食パン」は「主食用パン」の略語です。これは日本に食パンが広まった頃に、「海外で広く主食とされていたパン」だったことから「主食用パン」と名付けられ、やがて「食パン」と略して呼ばれるようになりました。
なお、木炭筆でデッサンをする時に消しゴム代わりに使う「消しパン」に対して、食べるパンを区別するために「食パン」と呼ばれるようになったという説もあります。
10.バス(ばす)
電車と並ぶ公共交通機関として普段我々がよく乗る「バス」は、「オムニバス」(omnibus)の略語です。
もともとは「ラテン語」で「全ての人のために」という言葉でしたが、現代のバスのように大人数が乗れる「乗合馬車」が誕生したことがきっかけで「乗合馬車=オムニバス」となったものです。
11.ピアノ(ぴあの)
「ピアノ」は「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」の略語です。
イタリア語が語源で、「強い音や弱い音を出せるチェンバロ」という意味です。この「ピアノ」の原型は、17~18世紀のイタリア・フィレンツェの楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリ(1655年~1731年)が製作しました。
「ピアノ」が生まれるまでのバロック音楽の時代には「チェンバロ」が用いられていました。
12.パトカー(ぱとかー)
「パトカー」は英語の「patrol car(パトロールカー)」を略したものですが、日本語の正式名称は「警邏(けいら)用緊急自動車」です。
ちなみに、パトカーの車の上にある赤色でクルクル光る物体は、一般には「パトライト」と呼んでいますが、正式名称は「散光式警光灯」です。
13.白バイ(しろばい)
「白バイ」は英語では「Police motorcycle(警察のオートバイ)」と言いますが、日本語の正式名称は、「交通取締用自動二輪車」です。
14.ガラガラ(がらがら)
福引に使われる「ガラガラ」の正式名称は、「新井式廻轉抽籤器」です。
「新井式廻轉抽籤器」(新井式回転抽選器)とは、六角形や八角形の木製の箱にハンドルがついた抽選器であり、回転させることによって中から小玉が飛び出てきて、その小玉の色によって賞品が贈呈されるというものです。
ガラガラ、ガラポン、福引器(ふくびきき)などとも呼ばれます。
かつて東京で帽子屋を営んでいた新井卓也が客へのサービスとして考案したためこの名があります。かつては東京抽籤器研究所の専売特許で、その特許権はすでに切れています。
15.レーザー(れーざー)
「レーザー光線」や「レーザービーム」などで「レーザー(LASER)」という言葉が使われていますが、これは「Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation」の頭文字をとった 頭字語 (アクロニム)です。
これは「誘導放出による光の増幅放射」という意味で、「原子の固有振動を利用して光を放出させる装置」のことです。
16.宝くじ(たからくじ)
「宝くじ」の正式名称は、「当籤金附証票(とうせんきんふしょうひょう)」です。
最初の「政府宝くじ」は、1945年(昭和20年)10月に、財政難を解消するための「臨時資金調整法」に基づいて発行されました。
1948年(昭和23年)に「臨時資金調整法」は廃止され、代わって「当せん金付証票法」(昭和23年法律第144号)という宝くじに関する法律が出来ました。
17.郵便ポスト(ゆうびんぽすと)
「郵便ポスト」の正式名称は、「郵便物差出箱」です。
昔ながらの円柱型のポストは「郵便差出箱1号丸型」と言います。
18.柔道(じゅうどう)
「柔道」の正式名称は、「日本伝講道館柔道」です。
柔道は、古来より日本に伝わる「柔術」から生まれた武道であり、嘉納治五郎(かのうじごろう)(1860年~1938年)がその創始者です。
嘉納治五郎は明治15年(1882年)に東京下谷の永昌寺の書院を借り、12畳の広さの道場「講道館」を開きました。そのとき、彼は「日本講道館柔道」という名を付けました。
国際柔道連盟規約第1条3項に「国際柔道連盟は、嘉納治五郎により創始された心身の教育システムであり、かつオリンピック実施種目としても存在するものを柔道と認める。」と記述されています。
19.シャーペン(シャープペンシル)
「シャーペン(シャープペンシル)」の正式名称は、「早川式繰出鉛筆」です。
大正4年(1915年)、「早川金属工業株式会社」の創業者・早川徳次(1893-1980)が金属製繰出鉛筆を発明し、これを「早川式繰出鉛筆」と称して特許を取得しました。
そして「プロペリングペンシル」→「エバー・レディ・シャープぺンシル」(常備芯尖鉛筆)→「シャープペンシル」と改名しました。
大正12年(1923年)の関東大震災で、早川金属の町工場は全壊し、徳次は、工場だけでなく、妻と子までも失いました。
徳次は、東京から大阪へと移り、大正13年(1924年)に「早川金属工業研究所」を設立し、大正14年(1925年)には日本初の鉱石ラジオの開発に成功し、業績が拡大しました。
昭和17年(1942年)、「早川電機工業」に改名し、現在は総合家電メーカーの「シャープ」となっています。もちろん、社名は、最初のヒット商品でもある「シャープペンシル」にちなんでいます。