皆さんは「アキレスと亀」のパラドックスというのをお聞きになったことがあるでしょう。でも、この話を作ったゼノンはなぜこんな詭弁を考えたのでしょうか?
1.「アキレスと亀」のパラドックスとは
(1)「アキレスと亀」のパラドックス
アキレスは亀と競走することになりました。しかし相手は足の遅い亀なので、100mのハンデも与えました。
ルールは簡単で、「アキレスが亀を追い抜いた時点でアキレスの勝ち」です。誰が考えても、アキレスはすぐに亀のいた地点へ到達し、アキレスが勝ちそうです。
しかし、アキレスが亀のいた地点に到達するまでの間に、わずかですが亀もまた前に進んでいます。
アキレスはまた進んで、直前まで亀がいた地点まで到達します。しかしやはり亀もまた、わずかですが亀もまた前に進んでいます。
これを延々と繰り返すので、アキレスはどうしても亀を追い抜くことができないというわけです。
(2)「アキレスと亀」のパラドックスの誤り
「無限に繰り返せる(話が無限に続く)回数の無限」と、「いつまで経っても追いつけない(無限の時間をかけても追いつけない)時間や距離の無限」とを混同しているから誤りです。
2.ゼノンとは
ゼノン(B.C.490年頃~B.C.430年頃)は古代ギリシャの自然哲学者で、南イタリアの都市エレアの人です。パルメニデスの弟子で、養子でもありました。彼はアリストテレスによって「弁証法、問答法の創始者」と呼ばれました。
彼は政治活動家として命を落としました。当時エレアを支配していた僭主ネアルコスを打倒しようとしてかえって捕らえられ、刑死したそうです。
3.このパラドックスの真の創作者はパルメニデス?
余談ですが、この「アキレスと亀」のパラドックスは、ゼノンの最も有名なパラドックスの一つとして知られていますが、古期ソフィスト(弁論家)のパボリノスの説によると、この議論の創始者は古代ギリシャの哲学者で「エレア学派の祖」パルメニデス(B.C.515年頃~B.C.445年頃)だそうです。
パルメニデスは、「『有るもの』のみがあり、『有らぬもの』はないとの原理に立って、唯一・不生不滅・不変不動の充実した完全な存在者のみを「実在」と認め、これを捉える理性による認識を「真理」としました。
これに反して、「多」や「変化」は『有らぬもの』を前提とするので「実在」ではなく、感覚に基づく「錯覚」(仮象)であるとして、このような知識を「臆見」(ドクサ)と呼んで「真理」から区別しました。
彼は「存在と非存在」「存在と思惟」という哲学の重大問題を示唆し、後の「認識論」「存在論」に大きな影響を残しました。
4.ゼノンはなぜこんなパラドックスを作ったのか?
ゼノンは、師のパルメニデスの主張を擁護するために、このようなパラドックスを作ったようです。
「ピタゴラス派の主張は誤りである」と批判するために、このパラドックスを唱えたとも言われています。
私の勝手な推測ですが、次のような理由からではないかと思います。
(1)弁論術で相手を惑わせ論駁するため
ゼノンやパルメニデスはソフィスト(弁論家)で、相手を惑わせて論駁し、問答によって打ち負かすために、明らかに間違っているのにすぐに反論できない詭弁を考え出したのではないかと思います。
(2)数学の「微分」に似た発想から
「微細に際限なく分割して行く」「瞬間を切り取る」という数学の「微分」に似た発想から、このパラドックスを考え出したのではないかと思います。
もっとも数学の「微分」とは正確には違います。ただ「極限」という考え方を入れて特定の地点の変化率を取る「微分係数」と似ています。限りなく高速のシャッターで一瞬のシーンを切り取り、情報を得るイメージです。
(3)「無限」についての哲学的思索から
彼の論法は、「もし存在が『多』であるならば、それは有限であるとともに無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁する」ところに特色があります。
このような「無限」についての哲学的思索をする中から、出てきたものではないかと思います。
「1+1+1+1+・・・」と無限回の足し算をすると、答えも無限大になります。
しかし、「1+0.9+0.09+0.009+・・・」と無限回の足し算をすると、答えは限りなく2(有限)に近づいていくだけです。「無限の先に有限がある」(無限級数が有限の値に収束する)というわけです。