「床屋のパラドックス」とは?「ラッセルのパラドックス」をわかりやすくした例

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理髪師のパラドックス

「パラドックス」というのは、「頭の体操」として大変面白いものだと私は思います。

前に「テセウスの船」「アキレスと亀」「フェルミのパラドックス」というパラドックスを紹介する記事を書きましたが、今回は「床屋のパラドックス」をご紹介したいと思います。

1.床屋のパラドックス(理髪師のパラドックス)とは

「床屋のパラドックス」は、「数理論理学」と「集合論」における重要なパラドックスである「ラッセルのパラドックス」をわかりやすくしたものです。

・規則:ある村でたった一人の床屋(男性とする)は、自分で髭をそらない人全員の髭を剃り、それ以外の人の髭は剃らない。

・問題:床屋自身の髭は誰が剃るのか?

(1)床屋が自分の髭を剃らなければ、彼は「自分で髭を剃らない人」に属するので、床屋は自分自身の髭を剃らなければならなくなり、矛盾が生じる。

(2)床屋が自分の髭を剃るならば、「自分で髭を剃らない人全員の髭を剃る」という規則に矛盾する。

したがって、どちらにしても矛盾が生じる。

このパラドックスは、しばしばジョークに転用されます。その際の落ちは、「その床屋は女性だった」というものです。この時は床屋の性別は明示せず、「ある村でたった一人の床屋は・・・」と始めます。

なお余談ですが、床屋を使った有名ななぞなぞに次のようなものがあります。

村には床屋が二人しかいない。一人の髪はぼさぼさで、もう一人の髪は整っている。どちらに散髪を頼むべきか?

普通に考えると髪の整っている人に頼みたくなる。しかし、村に床屋が二人しかいないということはこの二人はお互いに散髪し合っているのである。したがって、髪の整っている床屋に頼むとぼさぼさの髪にされてしまい、髪がぼさぼさの床屋に頼むときれいに散髪してくれる、というものです。

2.ラッセルのパラドックスとは

ラッセルのパラドックス

「ラッセルのパラドックス」とは、「素朴集合論において矛盾を導くパラドックス」です。

自分自身を要素として含まない集合全体の集合 の存在から矛盾が導かれるという、素朴集合論におけるパラドックスである。いま と仮定すると、 の定義より  となるから、これは不合理である。したがって(仮定無しで)  です。ところが の定義より となるから、やはり不合理であるというものです。

これはイギリスの哲学者・論理学者・数学者のバートランド・ラッセル(1872年~1970年)が考案した「数理論理学」と「集合論」における重要なパラドックスです。

なお彼は「アリストテレス以来最大の論理学者」の一人で、1950年に「ノーベル文学賞」を受賞しています。受賞理由は、「人道的理想や思想の自由を尊重する多様で顕著な著作群を表彰して」となっています。

彼はイギリスの首相を二度務めたジョン・ラッセル(1792年~1878年)の孫で、名付け親はイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806年~1873年)で、ラッセルにも大きな影響を与えました。

余談ですが1964年に大河内一男東大総長が、卒業式での祝辞で「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」と述べたことがマスコミで報道され、大変話題になりました。

この言葉は大河内総長のオリジナルではなく、ジョン・スチュアート・ミルの「功利主義論」に出ている言葉からの借用です。しかも原文は「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスの方がよい」というものです。

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